#891 ディーナ・ヨッフェ 「ピアノリサイタル」
2016年4月24日 豊洲シビックセンターホール
Reported by 伏谷佳代
ディーナ・ヨッフェ (Dina Yoffe) :ピアノ
《プログラム》
スクリャービン:24の前奏曲op.11
ショパン:24の前奏曲op.28
ロシアン・スクールの重鎮、ゲンリッヒ・ネイガウスに連なる名教師ヴェラ・ゴルノスタエヴァに師事し、1974年のシューマン国際ピアノコンクール、翌75年のショパン国際ピアノコンクール(このときの優勝はクリスチアン・ツィメルマン)とたて続けに入賞して以降、国際舞台の第一線で活躍してきたディーナ・ヨッフェ。名伯楽としても名高く、日本人の弟子も数多い。
この日はファツィオリ社の主催による、スクリャービンとショパンの『24の前奏曲』計48曲を1曲ずつ交互に織り交ぜて演奏するという実験的な趣向。スクリャービンの前奏曲がショパンのそれに多大なる影響を受けており、各々の曲の調性もショパンに準じていることは知られているが、こうしたスタイルでの演奏は稀有である。調性がフォーカスされることで、それぞれの作曲家の個性はもとより、音色自体がもつ多様性、演奏者自身の音楽観、楽器の独自性(この場合はファツィオリ)など、あらゆる地平が平等に浮き彫りになり、試されることとなる。常に音楽を思索してきたディーナ・ヨッフェならではの、学究的ともいえるアプローチである。
ヨッフェの演奏を聴いての第一印象は、すべての音色に慈しみが満ちていることである。サウンドスケープなどという単語をひきあいに出すまでもなく、考えぬかれた各々の音は、固有の色彩をもち、視覚化され、空間に作用する。音の実在感は最大限である。音色はきわめて多様性に富んでおり、普段我々が ”綺麗な音色” とよぶものが、いかに偏狭なイメージに過ぎないことに気づかされる(透明度や素直な音の伸びにのみフォーカスしすぎるきらいはないだろうか?)。濁りの美もあれば、不透明な屈折、切断された響きのなかに封じ込められた思索の軌跡など。それらが多彩な音色のグラデーションのなかに息づく。単音のレヴェルですでに個性的だが、推敲を重ねられた末に現前する音色は、何層をなそうと決して主張がブレることがない。語りたいことは何か、音楽によってどのような地平を切り開きたいかのか—その極点に向けての奏者の厳格なる意思は、静謐さを帯びるほどに神々しく研ぎ澄まされてくる。ファツィオリという楽器の後押しもあろう。深みと強さを併せもつ低音部のアタック、しなやかな高音部のきらめきなど、細部の美に聴き手は囚われつつも連綿と音楽は進行してゆく。楽曲は休憩をのぞいて24曲ずつ切れ目なく演奏されたが、不思議なのは個々の楽曲そのものよりも、それを繋ぐ曲間や残響、穿たれた音の生々しい記憶、といった次元の異なる要素が一気に空間に押し寄せることである。粛々と、聴き手の心理的な動きを鮮やかに刈り取るその手腕は、正統派の流れを汲みつつも異形(いぎょう)の域にまで達しているといえよう。(*文中敬称略。Kayo Fushiya)