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Concerts/Live ShowsNo. 251

#1064 藤本昭子 第92回地歌 ライブ
菊岡検校の世界〜古典の未来を担う演奏家との共演〜

text by Masahiko Yuh 悠 雅彦

2019年2月24日(日曜日)14:00
後援:公益財団法人日本伝統文化振興財団

1.楫枕(かじまくら)
藤本昭子(歌, 三弦)日吉省吾(歌,筝)黒田鈴尊 くろだれいそん(尺八)
2.芥子(けし)の花
藤本昭子(歌, 三弦)日原藤花維柯 ひはらふじかいか(歌, 筝)田辺恵山(尺八)
3.ままの川
藤本昭子(歌, 三弦)澤村祐司(歌, 筝)神令 じんれい(尺八)
4.竹生島
藤本昭子(歌, 三弦)芦垣皋盟 あしがきこうめい(尺八)
5.笹の露
藤本昭子(歌, 三弦)奥田雅楽之一 おくだうたのいち(歌, 筝)川村葵山 かわむらきざん(尺八)


大台の第100回公演まであと8回にまで漕ぎ着けた藤本昭子の『地歌 ライブ 』。来年12月5日の第100回記念演奏会に向けて恐らくは秒読みに入った段階といってもいいはずだが、当の本人の言動からはその緊張感はまったく感じられない。この日はプログラムを見てもご本人がいちばん好きだという「竹生島」を中心に江戸時代後期に盛名をはせた菊岡検校の代表的な地歌を5曲並べ、しかも初登場の新鋭を含む若手の共演者をズラリと並べたプログラムからいっても、藤本昭子みずからもこの公演を演奏家として大いに楽しもうと張り切っていたのではないかと本番前は想像した。事実、それは間違ってはいなかったが、いざ幕が開いて座長の彼女が述べた口上で気になったことがあった。それはこの日の舞台で共演する若い演奏家を起用することになった経緯(いきさつ)の中で、いま地歌箏曲は危機的状況を迎えているとほのめかしたことだ。例によって彼女のにこやかな話ぶりに、深刻に受け取った人はほとんどいなかったかもしれないが、私は思わず周囲を見渡して、そういえば席を埋めた観客の大半が私を含めて歳のいった人々であるという感慨と、若い仲間を育てていこうという彼女の思いとが一つになった瞬間、彼女の言う地歌箏曲における現代の危機的状況が相当に深刻であると認めざるを得なかったのだ。ただ、彼女のにこやかな笑みがその深刻さを薄める役割を果たしたことを、私も翌日の新聞を見るまでは大してシリアスには受け取っていなかった。

ところが、翌 2月25日の朝日新聞朝刊のオピニオン欄。「邦楽の音  守るには」の見出しのもと、田中隆文(邦楽ジャーナル誌代表・編集長)氏や、朝日新聞の邦楽専門記者・米原範彦氏、著名な邦楽執筆家・野川美穂子氏、三弦演奏家の上妻宏光氏とともに、何と藤本昭子の名前と顔写真が載っているではないか。何事かとびっくりした。紙面では<東京五輪・パラリンピックに向けて「和の文化」が注目される一方、足元では邦楽の危機とも言える事態が起きています。どうすれば豊穣な邦楽の世界を次代へ引き継げるのか>との問題提起に続いて、上記に挙げた諸氏がそれぞれに意見を述べている。本稿はライヴ演奏評であり、この<邦楽の危機的状況>については機会を改めることにするが、彼女はそこで、いまは「じっくり稽古するシステムが崩れています。あと10年、20年もつのかと暗い気持ちになります。若い人たちに共感してもらえるような ”良きもの” を伝えるしかないのでは」と、稽古のシステムが崩れている危機的状況を指摘しており、いずれ折りを見て他の音楽ジャンルとも比較しながらこの点を突っ込んで考えたいと思っている。

とはいえ、この日の若い演奏家 たちは、恐らくは期待以上の好演で藤本昭子の三弦演奏を盛り立てた。ここだけ切り取ってみれば現邦楽界に何の不安もないように見える。この日の5曲は、藤本に言わせれば体力のいる出し物であり、それが若手を起用する最大の理由になった。これら5曲は京都の三弦の名手として活躍した菊岡検校(1792~1847)の代表的な作品であり、ここでの5曲は「磯千鳥」、「御山獅子」、「夕顔」など、数多くの名曲を世に送った菊岡検校の名を永遠にとどめる逸品ぞろい。人気の高い手事物で知られる菊岡検校であるが、ここでも手事がない稀有な1曲「竹生島」以外の4曲は技巧の粋をさりげなく発揮させる名品揃い。筝の手付けを施したのは「楫枕」が八重崎検校、「芥子の花」が松崎検校、「ままの川」が松野検校、名品の誉れ高い「笹の露」が八重崎検校。「竹生島」だけは尺八との、いわばデュエット。谷垣内和子さんのプログラム解説によれば、この曲にも八重崎検校による箏の手付けがあるが、「端歌物本来の味わいを聴かせるために、尺八とのサシによる上演」となったという。

個々の演奏解説を施す余白がほとんどなくなってしまった。藤本昭子が地歌・箏曲の古典作品に全精力を傾注してきたのには、祖母が阿部桂子、母が人間国宝の藤井久仁江という最良の環境の中で芸を磨いてきたことと無関係ではないだろう。私も新宿の「タベルナ」で今は亡き藤井久仁江氏の演奏に触れた感激を忘れたことはないが、藤本昭子がお二人の薫陶を得て地歌における磁場を築き、今日、兄の藤井泰和とともに奮闘している姿にさぞ喜んでおられることだろう。

この日、藤本昭子の相手を務めた若き演奏家たちはそれぞれに力を発揮し、彼女が期待する若手のホープらしいフレッシュな演奏ぶりで観客の喝采を博した。「楫枕」では藤本、日吉章吾、黒田鈴尊のトリオがアンサンブルの面白さを力強く引き出し、特に芸大入試の曲だったと回想した黒田の思いのこもった尺八演奏が光った。この黒田の芸大での同級生、田辺恵山が初出演とは思えぬ落ち着いた尺八演奏を披露したのが「ケシの花」。しおりこと恵山は田辺頌山の愛娘で、この日は4回目の出演という日原藤花維柯と組み、手事を含めた中後半に逸材らしい力を発揮した。一方、3回目の共演という神令(じんれい)は2尺の尺八を持って登場した。盲目の筝演奏家、澤村祐司とともに、こんなに難しい曲はないと取り組んだ思い出を語った藤本と一体となって、手事を含む丁々発止の演奏で観客の大きな拍手を得た。

「竹生島」は筝を用いない尺八との対決型演奏という点でも、手事がないテンション豊かなルティーンで聴く者を惹きつけ魅了した演奏という点でも、ある意味ではこの日のクライマックスといってもおかしくない力演だった。そして最後の「笹の露」。酒を歌った手事物。酒ゆえではなく、この手事ゆえに愛聴する1曲。尺八の川村葵山は初登場だが、筝の奥田雅楽之一と組んで見事なアンサンブル・ワークを示した。この曲では手事が2回あるが、いかにも本調子手事物の名にふさわしい、また最後を飾るにふさわしい見事な演奏だった。

悠雅彦

悠 雅彦:1937年、神奈川県生まれ。早大文学部卒。ジャズ・シンガーを経てジャズ評論家に。現在、洗足学園音大講師。朝日新聞などに寄稿する他、「トーキン・ナップ・ジャズ」(ミュージックバード)のDJを務める。共著「ジャズCDの名鑑」(文春新書)、「モダン・ジャズの群像」「ぼくのジャズ・アメリカ」(共に音楽の友社)他。

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