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Concerts/Live ShowsReviewsNo. 255

#1083 藤井郷子+齊藤易子/二つの鍵盤

text by Masahiko Yuh 悠雅彦
photo by Kenny Inaoka  稲岡兇太郎

2019.6.29 14:30 渋谷・公園通りクラシックス

藤井郷子 (piano)
齊藤易子 (vibraphone)

1. 『月の海』by 齊藤易子 and 藤井郷子
2. 『Aspiration』(アスピレーション) by 藤井郷子
3. 『届かない手紙』 by 齊藤易子
4. 『On The Road』by 藤井郷子
5. 『水辺』by 藤井郷子
6. 『雨のあと』by 藤井郷子 and  齊藤易子
7. 『Cyclone』by 藤井郷子
8. 『かなたへ』by 藤井郷子


素晴らしい音楽や演奏に出会うと、人はかくも精神が高揚するのかという稀な喜びを久しぶりに噛みしめた。まさに心が充足した1時間余、心躍った土曜の昼下がりだった。そうした音楽や演奏に立ち会えた喜びを率直に語ることに加え、まるで秘め事を覆っていたヴェールをそっと剥がすのにも似たスリリングな快感を、本当に久しぶりに体感する稀れに見る演奏だったと言い換えても良い。長いこと忘れかけていた、ジャズの即興演奏の中でも最もスリリングな、一発勝負のきわどいやり取りやソロの妙技を、手の内を隠さぬかくも高度な技術と爆発するエモーションの応酬の華ともいうべき盛り上がりを通して堪能できたこの日の奇跡に巡り合って、もやもやが一気に解放されたかのような歓びが心のどこかで爆発するのを久しぶりに味わったひとときであった。

正直に包み隠さず言えば、私は面白いプレイの応酬があるかもしれないという期待がある一方で、もしかしたら何も起こらないかもしれないという私にとっての不安があることも覚悟の上で臨んだ顔合わせだった。というのは、藤井郷子さんの演奏や音楽は、40年近いお付き合いを通してよく知っている(と思っている)一方で、齊藤易子さんの音楽については何にも知識がなく、そのプレイを目の当たりにするのはこの日が実は初体験の機会であり、ある種の不安がなかったといえば嘘になるからだ。いつだったか一度お会いしたことがあるくらいで、そのときは彼女がヴィブラフォン奏者であることすら知らなかった。にもかかわらず、公園通りクラシックスでお会いしたときも旧知の間柄のような感じで会話を交わしえた彼女の気さくな人間性が、私の頭に巣食っていたモヤモヤした空気を一掃してくれたことは間違いない。演奏が始まるその瞬間までの両者は和気藹々として普段と何も変わるところなどなく、藤井さんなどはいつものひょうきんな話しっぷりで周囲を笑わせ、一方の齊藤さんの方も藤井さんと仲睦まじい言葉や表情のやりとりを交わしており、そんな姿を見ているとふたりは前世では本当に姉妹だったのではないかと思わずにはいられなかった。実際、齊藤さんが藤井さんの言葉に逆らったり、噛みついたりしたことは一度としてなく、実際のプレイでは両者がどんな丁々発止をするのだろうと興味がいよいよ深まった。

ところが、いざ演奏開始となった途端、ステージには瞬時に張り詰めた空気が漂い、何が起こるかまったく予想のつかない高度なテンションが、藤井、齊藤の繰り出す音を瞬く間におおった。藤井、齊藤が二人とも1音を発した途端目の色が変わったのを見て、何かが起こると私は確信した。それからの1時間余、私たちは両者の展開する切れ味鋭い音のやりとりに、身動きすらままならないほどの驚きと感動を体験させられることになった。それにしても笑顔を絶やすことのなかった藤井、齊藤のふたりがほとんど顔を見合わせたり、目で合図を送ったりすることもなく、ほころびひとつない高度なテンションが豊かな演奏を何らの傷もなく、それでいてどこにも破綻のない流麗で時に鋭いアヴァンギャルドな音形を交えた音やフレーズを印象的に提起するのにいたく感心した。それがときに私には現代詩に聴こえたり、ふたりの役者が舞台で丁々発止のやり取りをする場面を彷彿させたり、曲や場面に応じて変化に富んだアピールがなされたりする、その瞬間瞬間のスリルに自縛される己(おのれ)の感性の至らなさに呆然とさせられたのであった。

演奏された当日の曲目をご覧いただいてお解りになると思うが、一分の隙もないシャープでアヴァンギャルドな両者の即興演奏に対して、おそらく両者が意識的に曲名を考えてつけたものと思うが、まるで与謝蕪村の俳句を彷彿させるタイトルが並ぶ。ジャズは無論のことクラシックや民族音楽に明るく、音楽への偏見から身を隔てている両者ならではの思考の自由性が曲名にも発揮されているようですこぶる興味深い。そこでは両者の高度な音楽性がクラシックなどの音楽の枠をひょいと飛び越え、あるいはジャズの即興性との緊密な関係をも凌駕する居心地の良さを実現しているようで、なおのこと両者の今後のデュオ活動に期待せずにはいられない。

札幌出身で桐朋学園大学出の齊藤易子は、ベルリン芸術大学のジャズ科を終了した後、札幌交響楽団、メアリー・ハルヴァーソン、内藤和久、ソフィア・グバイデュリナ、演劇監督のヘルベルト・フリッチュ、あるいは安倍圭子、デイヴィッド・フリードマン、赤松敏弘といったジャンルも傾向も多彩な音楽家や演劇畑の鬼才と活動を共にし、教えを受けてきた。そうした経験やカテゴリーを超えた自由な発想から多くを学び、獲得しているという現在までのバックグラウンドに、彼女のしたたかな歩みと考え方が投影されている。彼女は第1回マリンバ・コンクールで第3位に、第2回のコンクールではジャズ&ブルース・アワード・ベルリンでついに優勝。今やジャズ、ロックを含む現代音楽分野のマリンバ&ヴィブラフォン奏者として最も熱い注目を浴びつつある期待のミュージシャンだ。昨年の9月には千葉県松戸の古民家でコンサートを行った。『Kokotob』(Flying Heart)というCDがある。Kokotob とはグループ名であり、昨年7月の日本でのツアーの実績がある。なお、メンバーはピアス・シルマ(cla)、ニコ・マインホルド(p)、それに齊藤易子というトリオ。齊藤はヴァイブのコンクールの審査員も務めるが、何よりその鋭敏な感覚と現代屈指のテクニックを駆使したヴァイヴとマリンバの演奏に注目したい。齊藤易子とは藤井郷子と田村夏樹夫妻が演奏旅行でドイツに行った折りに知り合って共演する関係を築いたとしか聞いていないが、今後両者がどんな音楽的展開を遂げるかに大きな注目をそらさず注視していきたい。

藤井郷子についてはもはや贅言を要さないだろう。ツアーの途次、松山のスタジオで録音したと聞く両者の冷徹で熱い演奏が1日も早くCD化される日を待ち望みたい。

悠雅彦

悠 雅彦:1937年、神奈川県生まれ。早大文学部卒。ジャズ・シンガーを経てジャズ評論家に。現在、洗足学園音大講師。朝日新聞などに寄稿する他、「トーキン・ナップ・ジャズ」(ミュージックバード)のDJを務める。共著「ジャズCDの名鑑」(文春新書)、「モダン・ジャズの群像」「ぼくのジャズ・アメリカ」(共に音楽の友社)他。

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