#1141 UH(内田静男+橋本孝之)
2020年9月6日 (日) 東京・国分寺Live cafe giee
text and photos by 剛田武 Takeshi Goda
「UH」
内田静男(b)
橋本孝之(as,harm)
転がり続ける演奏体が作り出す自由の轍。
80年代より触媒夜、滲有無にて活動し、さまざまなユニットやソロの活動でインプロヴィゼーションを行う内田静男(b)と、.es 、kito-mizukumi rouber などのユニットやソロでジャンルを縦横無尽に横断する音楽家として独自の存在感を放つ橋本孝之(as,harm)により2017年から活動するデュオ、UH(ユー) の初めてのワンマンライヴ。会場は橋本が昨年夏2019年7月27日にやはり初めてのソロ・ワンマンライヴを開催した国分寺のLive Cafe giee。たった1年の間に新型コロナウィルス感染症の為に大きく様変わりした世界で、再びこのようなストイシズムの極北の体現者の単独コンサートが企画・実施され、11人とはいえソールドアウトした事実は、世の中一般の表面上の変化に関わらず、少なくとも14人(11人+UHの二人+gieeのオーナー)の表現欲求の核心には何の変化もないことの証明である。表現者・愛好家とはウィルスに負けるようなヤワな生き物ではないのである。
ストイシズムの極北と書いたが、この日の国分寺の地下ライヴバーgieeの空気は求道者の思念の冷気に凍える極寒地ではなかった。その真逆で、ここでしか体験できない音楽の交感を求める同好の志が発する期待感が仄かな微熱となって心を潤ませる希望の地であった。
予約者が全員来場するのを待って15分ほど予定時刻を過ぎ、最後の客が着席したのを確かめてからおもむろにステージに現れた二人の演奏は、セミアコースティック・ベースとハーモニカでスタートした。内田の十八番のドローン/アンビエント・スタイルの通奏低音の上に、橋本の口唇とハーモニカのメタルボディの軋轢と摩擦の飛沫が飛び散り、HighとLowが交錯する立体的な音像を組み立てる。動と静が入れ替わる波の間でふたつの音が衝突し融合し続ける。
橋本がアルトサックスに持ち変えても、両者の距離は同じように接近と離散を繰り返す。絞り出すハイトーンのサックスと、最底辺を浚うベースは、寄り添い歪な二重唱を奏でたかと思うと、我関せずと一人歩き続けたり、途中で立ち止まって地面を掘り始めたり、勝手に空中遊泳を試したり、何をしても自由な空気を醸しだす。それは二人の間で自己完結することはない。聴き手は心を解放して、二人の音の波間に意識を遊ばせていればいい。一触即発の緊張感とは無縁の慈愛に満ちた空気感がUHの本領である。
20分の和やかな休憩を挟んで始まった第2部で、アルトとベースの二人遊びはより振幅を広げ、全力疾走と完全停止の間に無限大の拓かれた可能性があることを明らかにする。微妙なメモリの変化が、演奏者と聴き手の心の中だけでなく、演奏行為から生まれる音(TONE)のエネルギーの満ち引きに反映され、音数の少なさに比して饒舌過ぎるほどの陽性のパワーが場を満たす。前半1時間、後半40分、休憩含め延べ約2時間のコンサートは静かな称賛の拍手で幕を閉じた。
UHとして活動を始めて4年目なので、お互いの手の内はかなり知り尽くしているだろう。同じパートナーと何度もコラボレーションすると、得てして予定調和やマンネリに陥る危険を伴う。しかしUHの二人の表情や演奏姿勢には常に新鮮な歓びの波動しか感じない。それはおそらく二人がユニットとしての完成形を求めていないからであろう。何かを目標にしたとたん、同時に演奏体としての限界が設定される。「次こそは」という自己抑制の罠に嵌る。それを避けるには、ひたすら前へ転がり続けるしかない。UHの二人は無意識のうちに自然体で転がる術を身につけたのだろう。そんな”Natural Born Rolling Stone”ぶりが、音と聴き手の心を解放するのである。転がり続ける演奏体UHの轍は、たとえ苔が生そうとも、表現者の足音が永遠に鳴り続けるに違いない。(2020年9月9日記)