#560 フェスティヴァルのあり方~「JAZZ ARTせんがわ」を観て
2013年7月19日(金)~7月21日(日) 調布市せんがわ劇場ほか
Reported by 横井一江 Kazue Yokoi
photos by Ikeda Masaaki
ジャズ祭は文化事業であり、ひとつのメディア
継続させることでさらに音楽と人とのさまざまな出会いをもたらしてほしいと願う
「JAZZ ARTせんがわ」は、独自の視点を持つフェスティヴァルである。日本国内で開催されるジャズ祭は多い。「東京JAZZ」のように大手スポンサーが付き、海外の人気ミュージシャンを多く招聘しする大規模なものから、その地域のローカル・イベントとして開催されるものまで、大小様々なジャズ祭がある。しかし、音楽監督を置き、ひとつのコンセプトを持ってプログラミングしているフェスティヴァルは「JAZZ ARTせんがわ」だけだろう。それはヨーロッパのジャズ祭に近い。
しかし、なぜそれが仙川の小さな劇場で開催されるようになったのか。2008年に出来た調布市せんがわ劇場の初代芸術監督にドイツ人演出家ペーター・ゲスナーが選任されたことが大きいと私は思う。彼の存在があってこそ、このようなジャズ祭が開催可能になったに違いない (ゲスナーが芸術監督を務めたのは2011年まで)。調布市せんがわ劇場の主催事業として「JAZZ ARTせんがわ」を行うに当たって、音楽監督の役割を担うプロデューサーを置くという発想は、ヨーロッパ出身者ならではだからだ。
では、フェスティヴァル自体、どのようなコンセプトなのか。総合プロデューサーの巻上公一はMCで、「簡単じゃない、楽しくない音楽、たいへんな音楽をやっている」というのがフェスティヴァルの目的だと言っていた。これは「音楽」という言葉をその字のごとく単に音を楽しむものだと思われることへの反発が言葉になって出てきたものだ。つまり商業的に売れる、あるいは耳当りのよい音楽ではなく、より本質的な表現行為を追求している音楽家を集めたフェスティヴァルをやりたいということだと私は解釈している。名は体を表すというが、フェスティヴァル名のJAZZ ART、そのARTという言葉がミソである。それがあるから、各人が思い浮かべるそれぞれ「ジャズ」のイメージから逸脱することも、マルチメディア・プロジェクトもステージに上げることも可能になるのだろう。上手いネーミングだ。
日本ではジャズ祭は興業と見なされているが、私は文化事業であると同時にひとつのメディアだと考えている。情報はただただ溢れかえっているが、一握りのメジャー・アーティストを除けば、いい音楽も来るべき才能もその存在自体が断片化されたデータの中で埋もれてしまっている。音楽を聴く、体験するという行動の前に、その入り口でウロウロ、行ったり来たりしている人は多いだろう。「JAZZ ARTせんがわ」のようなフェスティヴァルはメディアとしての発信機能も持っている。そのプログラミング、その切り口を通して、音楽シーンの今が呈示されていることにもっと注目すべきだ。私が何度も足を運んだベルリン・ジャズ祭、メールス・ジャズ祭といったフェスティヴァルからはひとつの状況論が見えてきた。それがあるからこそ、わざわざ出かけていったのである。
「JAZZ ARTせんがわ」のように、ジャズのメインストリームではなく、周辺のエッジな部分を取り上げるフェスティヴァルは貴重だ。そこにこそ次代に繋がる創造活動の芽があるからである。今日のマージナルな音楽は、かつてのフリージャズやインプロといったように、特徴的なスタイル、トレンドで括りきれるものではない。それくらい雑多であり、さまざまな形でインスピレーションを与えているのである。今回もまた、清濁併せ呑むようなプログラミングに現在の東京のリアルが垣間見えていた。とりわけ、第二会場であるJenny’s Kitchenでの実験的なプログラムがあることで、普段ごく限られたファンにしか知られていないようなミュージシャン、プロジェクトを観る格好のチャンスが与えられていた意味は大きい。ただ、2会場の進行が場合によっては重なってしまう難点があったので、このあたりはもっとゆったりとスケジュールを組んでほしいところである。観る側も目的のステージだけではなく、お得な一日券を利用して知らないミュージシャンを観てみようという人がもっと増えてくれればいいな、と思うのである。
3日間、土日は昼間から合計20以上のステージがあり、さすがに全部観ることはできなかったが、今年はよりバリエーションに富んだプログラムだった。本会場では毎年初日に詩人と音楽家によるパフォーマンスが行われてきたが、今年はビジュアルも用いた「タンデム音声詩[金澤一志(コンパイラ)+ことぶき光(アーキテクト)with 藤原清登(コントラバス・ソロ)]」で始まった。沢山あったプログラムの中では、2人の画家による「Double Live Painting!! [黒田征太郎+荒井良二+坂本弘道 (cello)]」というマルチメディア・プロジェクトが印象に残り、「坂田明ユニット[坂田明 (sax)、ジム・オルーク (g,etc)、坂口光央 (key)、高岡大祐 (tuba)、山本達久 (ds)]」、「Third Person [梅津和時 (sax,cl)、サム・ベネット (perc)] + 佐藤允彦 (pf)」というベテラン勢の底力を感じせるステージは文句なく楽しかった。興味深かったのは、やはり「JAZZ ARTせんがわ」でしか実現しないような顔合わせである。とりわけ「藤原清登+灰野敬二」が異彩を放ち、プロデューサー3人とダンサーによる「Jazz Art Trio[藤原清登 (b)、坂本弘道 (cello)、巻上公一 (vo)]+山田せつ子(ダンス)」がこのフェスティヴァルのコンセプトをよく表していた。総合プロデューサーが巻上公一ということもあり、毎年彼のバンド「ヒカシュー」が出演しているが、今年はゲストでローレン・ニュートンが参加というように、ここでしか観られない企画の多い年だった。毎年トリは「ジョン・ゾーンズ・コブラ」、今年は一番人気の「ジム・オルーク部隊」で締めくくられた。また、「BRIGHT MOMENTS」[高岡大祐 (tuba)、有本羅人 (tp)、橋本達哉 (ds)]、広瀬淳二ソロ、KILLER-OMA(鈴木勲 (b) × KILLER-BONG)などが演奏したJenny’s Kitchenのプログラムも秀逸だったが、移動がままならなかったりして多くを見逃したことが悔やまれてならない。
開催期間中、仙川駅を出たところにある広場には極小ライヴ・スペース「CLUB JAZZ屏風」が出現し、人々が回りを取り囲んでいた。通りすがる人々が振り向き、なんか楽しそうね、という。ごく数人しか中に入れない空間に、観客が入れ替わり立ち替わりそこに入って、ミュージシャンと相対して音楽を聴くというこのプロジェクトは、最初は奇妙に思えたが、今では路上パフォーマンスと共に仙川の風景にしっかり馴染み、ひとつの広告になっている感がある。昼間の「サンデー・マティネ・コンサート」(今年はサウンド・アーティストの鈴木昭男)、「子どものための音あそび」(今年は時々自動)のようにローカルと接点のある企画があるということも記しておかなければいけないだろう。
会場で、観光で来日中のスイスのタクトロス・フェスティヴァルのオーガナイザー、フレディ・ボスハルトと出会った。出演グループ「スーパーテルツ+コーホー・モリ・ニュートン+サイモン・バーンズ」がスイス在住で、今年のタクトロス・フェスティヴァルに出演した縁もあって、「JAZZ ARTせんがわ」に来たという。ヨーロッパのジャズ祭に行くと評論家だけではなくさまざまな関係者に出会うのだが、おそらく私が行った多くの場ですれ違っていたに違いない。そんな彼とせんがわで出会い、言葉を交わせたことは嬉しい。チューリッヒで毎年春に開催されるタクトロスもまた「JAZZ ARTせんがわ」とも共通するコンセプトのフェスティヴァルだが、もう30年続いており、それを持続させてきたエネルギーには感服させられる。「JAZZ ARTせんがわ」もずっと続くことで、さらに音楽と人とのさまざまな出会いをもたらしてほしいと思う。