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Concerts/Live ShowsNo. 292

#1226 波多野睦美 歌曲の変容シリーズ第15回 想いの届く日ふたたび~氷と熱の楽器バンドネオンと共に~

text by Kayo Fushiya 伏谷佳代

2022年7月22日(金)王子ホール

出演:
波多野睦美 Mutsumi Hatano (voice)
北村聡 Satoshi Kitamura (bandoneon)
田辺和弘 Kazuhiro Tanabe (contrabass)

プログラム:
ラカジェ:アマポーラ(詩:L.ロルダン)
グアスタビーノ:薔薇と柳(詩:F. シルバ イ バルデス)
ロジャース:私のお気に入り(詩:O.ハマースタイン2世)
メンデス:ククルクク・パロマ(詩:T.メンデス)
モリコーネ:もし~ニューシネマパラダイス(詩:A.デ・センジ)
ガルデル:首の差で(バンドネオン・ソロ)
ガルデル:想いの届く日(詩:A.レ・ペラ)
ラミレス/Sued編:アルフォンシーナと海(詩:F.ルナ)
プーランク:愛の小径(詩:J.アヌイ)
―休憩―
パーセル:ソリチュード(詩:K.フィリップ)
アーン:クロリスに(詩:T.ド・ヴィオー)
ビジョルド:エル・チョクロ(バンドネオン、コントラバス)
ピアソラ:もしもまだ(詩:S.バルドッティ)
ロドリゲス:ラ・クンバルシータ(バンドネオン、コントラバス)
ピアソラ/エスティガビリア編:私はマリア(詩:H.フェレール)
ピアソラ:オブリビオン(詩:D.マクニール)


コロナ禍により2年ぶりに開催された「歌曲の変容シリーズ」、第15回を迎えた当夜は第一部にバンドネオンの北村聡、第二部にコントラバスの田辺和弘が加わる、デュオ〜トリオを中心とした構成。プログラムは一瞥してスペイン語圏を中心に彷徨うが、こってりとした灼熱のラテンとは無縁の世界。波多野睦美は卓越した歌い手である一方、その形容にはやはり「ヴォイス」という言葉がしっくりくる。どのような編成であっても、波多野のステージに漂うのは客席との境界を感じさせない、サロンのような心理的な近しさだ。曲間に挟まれるユーモラスなMCと歌の世界とが、ゆるやかな延長線上に存在する。楽しいおしゃべりに耳を傾けるように、聴き手はめくるめくの世界へと、何の構えもなく没入している。

ラカジェの「アマポーラ」が始まるや否や、バンドネオンの甘やかな圧が空気を一新する。ノスタルジックな音色は有無を言わさず記憶の領域に直結。ロジャースの「私のお気に入り」、メンデスの「ククルクク・パロマ」と進むにつれ、バンドネオンとヴォイスによる柔らかな音の塔楼が構築されてゆく。ふと気がついたときに現前する広大な鳥観図。バンドネオンはタンゴに深く紐づく楽器ではあるが、様々なジャンルを横断してきた北村聡の豊かな経験値により、いとも自然な皮膚感覚で聴取される。淡雪のように音の記憶やリヴァーブが浸透し、張り巡らされる。そして、バンドネオンのソロから雪崩れ込むタイトルピース「想いの届く日」や「アルフォンシーナと海」に至り、歌詞世界と一体化した波多野のヴォイスの高揚感とともに、その場の時空はふわりと飛翔、異なる相を呈する。

第二部は一転、パーセルの「ソリチュード」で幕開け。内奥へと着々と降りてゆくコントラバスのピッツィカートにより、意識は逆方向へ巻き戻される。第一部の終盤に訪れた一種のユーフォリィとのコントラストが、プログラム構成の豊かな深淵を炙りだす。原譜よりさらに低音に調弦されたというコントラバスは、ガット弦が独特の湿度を生み、肉声に近い味わい。「私はマリア」で日本語の朗読と並走するピッツィカートの冒頭部なども、まるで田辺自身の声を聴いているように、楽器と身体がシンクロする。思えば蛇腹の抑制が生むリズミカルな律動など、三者三様の鼓動や息遣いがひとつの大きな有機体のように連なるユニットだ。余白が豊穣である。その包容力は、忘れがたい衝撃という類いのものではなく、身体に沁み込んだ記憶がさざ波のように寄せる瞬間を捉えた、静かな覚醒と充足。放たれた瞬間には奏者からは離れてしまう音のヴォヤージュ、その行く末。終曲がピアソラの「オブリビオン」(忘却)であるのも練られている。アンコールではトリオによる「アマポーラ」へと、みごとに円環した(*文中敬称略)。


関連リンク;
http://hatanomutsumi.com/
https://twitter.com/Tangoholic?ref_src=twsrc%5Egoogle%7Ctwcamp%5Eserp%7Ctwgr%5Eauthor
https://twitter.com/siq8frdqhmzxwx0

☟同メンバーよる新譜『想いの届く日』は一般発売(8月10日)に先立ち、こちらのWebにて発売中。
https://dowland.info/index.php/cd_hatano/

伏谷佳代

伏谷佳代 (Kayo Fushiya) 1975年仙台市出身。早稲田大学卒業。欧州に長期居住し(ポルトガル・ドイツ・イタリア)各地の音楽シーンに通暁。欧州ジャズとクラシックを中心にジャンルを超えて新譜・コンサート/ライヴ評(月刊誌/Web媒体)、演奏会プログラムやライナーノーツの執筆・翻訳など多数。

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