#1241 りら~雲を吐き、星を喰う homages to Tetsu~
Text and photos by Akira Saito 齊藤聡
2022年11月23日(水) 埼玉県越生町 ギャラリィ&カフェ山猫軒
Tamaki Kasamatsu 笠松環 (朗読)
Hisae Sasaki 佐々木久枝 (墨象)
Chiho Minami南ちほ (bandoneon)
Yuko Yabe 矢部優子 (piano)
Yoko Ikeda 池田陽子 (violin, viola)
Kei ケイ (衣装)
1. 浸水の森 不思議
2. 雫の音(詩 木村裕)
3. 星がまたたく(詩 乾千恵)
4. オンバクヒタム 琉球弧編1
5. 防柵11(アヒダヘダツ)(詩 野村喜和夫)
6. てぃきら、うぃきら、ふぃきら、ゆきら、りきら、ら(詩 薦田愛)
7. 霧の中の風景(詩 乾千恵)
8. 浸水の森 ミュゼット
9. よみがえりの花が咲く(詩 乾千恵)
1-9 作曲 齋藤徹
「りら」はコントラバス奏者の故・齋藤徹によるワークショップなど齋藤との縁から実施されてきた表現の場であり、異なる領域のメンバーが模索を続けてきた。1回目(2015年)には笠松環(朗読)、佐々木久枝(墨象)、南ちほ(バンドネオン)、行川さをり(ヴォイス)が集まり、齋藤がジャック・ディミエール(ピアノ)を連れてきた。2回目(2017年)は笠松、佐々木、南に加えて闘病中の齋藤が参加した。筆者はこれに触発され、佐々木、矢部優子(ピアノ)、岡川怜央(エレクトロニクス)によるライヴ「穢れ」を企画した(2020年)。そしてこの日、南、笠松、佐々木という元のメンバーに加え、池田陽子(ヴァイオリン、ヴィオラ)と「穢れ」に出演した矢部が入り、「りら」の3回目が実現した。池田はもとより南とも矢部とも親密な共演歴があった。
今回の演奏曲はすべて齋藤の手になり、その中には詩人たちがことばを寄せたものが含まれている。山の中にあって生き物の声が入ってくる山猫軒という場所も、いわば演者として参加した。そして、ケイの手になる演者の白い衣装が、演者たちにとって、ここで作り出される世界への入口となった。はじまりは組曲<浸水の森>から<不思議>。なにものかが息を潜めて待ち構えているような曲であり、おそらくそれは演者たちにとってもそうだっただろう。ステージを前にしてリハーサルや打ち合わせはなされていたが、実際のところ幕が開いてからでないとどのような世界になるのかわからない、そんな空気があった。
<雫の音>において、木村裕のことばがいったんばらばらに切断され、しかし有機的な結合を保ったままで集めなおされ、別のかたちになった。笠松の力量である。もちろん詩人はひとりひとりが異なり、産み出された詩には同じように相対するわけにはいかない。乾千恵の詩は解体せず一体のものであるべきものだ。<星がまたたく>では、笠松は乾のことばがもつ特性を活かしたままエモーショナルに読んだ。
池田陽子は1年ほどの間、突発性難聴で演奏活動を休止していた。やはり彼女の弦の力は特筆すべきものであり、<オンバクヒタム 琉球弧編1>は矢部のレインスティックとともに南の海のくらしを、齋藤ふうにいえば黒潮の流れを現出させた。また<浸水の森>から<ミュゼット>では、南のバンドネオンと少しずつお互いに時間の進行をずらしながら演奏し、じつに人間らしい重なりを作り出した(あとで南に聞くと、ずれは結果にすぎないものだった)。
<てぃきら、うぃきら、ふぃきら、ゆきら、りきら、ら>は、ことばで遊ぶようなつくりであり、このプログラムの中で驚きを与えてくれる。メンバーはただ遊びに乗るのではなく、逆に、多くの隙間を見出すほうを選んだ。矢部も鍵盤に触れず弾くエアピアノの指の動きで、たゆたう海の波のイメージを作り上げた。そしてこの時間によらず、矢部はあくまで矢部の音楽を展開した。
<霧の中の風景>では南が歌った。南によれば、これには伏線があった。2018年に齋藤、マクイーン時田深山(十七絃箏)と共演した際、南がリハーサルで<ああセリム>をうまく歌えず笑ったところ、齋藤に、うまく歌えずとも自分の声で表現すべきだと叱責されたのだという。ここでの南の声もまた決して流麗ではなかったが、生硬というわけでもない。曲と詩の世界を他者に依拠することなく引き受けたことは、観る者に間接的に伝わっただろう。
佐々木久枝は花を散らし、花を活け、墨を散らし、墨で文字を書き、墨の色を付けた。ときにことばを文字として書いては大きな図像の中に溶け込ませる動きをみせて、それにより、このステージの世界が観るものの内奥へとさらに広がっていった。
(文中敬称略)