JazzTokyo

Jazz and Far Beyond

閲覧回数 53,618 回

R.I.P. / 追悼No. 211R.I.P. 菊地雅章

Pooさんのこと

text by Kenny Inaoka 稲岡邦弥

Pooさんに思い残すことがあったとすれば、ピアノのキーに触れないまま逝ってしまったことだろう。もちろん、自宅ロフトの銘器ハンブルグ・スタインウェイのことである。指を横滑りさせるような独特のキー・タッチで象牙のキーの左右が片減りしていた...。
Pooさんから届いた最後のメールは12月20日付け。その10日前くらいから激烈な内容のメールが続いていたから、かなり体調が悪いのではと案じていた。2月に入ってさすがに心配になりトーマス(モーガン、TPTトリオのベーシスト)に問い合わせたところ、返事が返ってきたのがなんと4月の22日。
その間、ECM本社のサン・チャンから、ECM NYからの情報として、Pooさんが年末に再入院、その後、リハビリセンターで療養中との情報は得ていた。トーマスがトッド(ニューフェルド、TPTのギタリスト)とPooさんを見舞ったが、Pooさんの精神状態が良くなく、あまり意思の疎通が図れなかったことを嘆いていた。但し書きに、ジャズ・ファウンデーションの担当者が付いてニュージャージーの介護施設に入所する手はずを整えている、とあった。ミュージシャンが多い施設でピアノも持ち込めるから、という理由だった。Pooさんは、胸の手術の後、痛み止めに大量のモルヒネを投与され、記憶力をやられた無念を何度も口にしていた。メールの内容の錯綜がそれを物語っていた。気胸の他に悪性のものが見つかったとも漏らしていたがそれが何であるか問い詰める勇気は僕にはなかった。怜悧な頭脳の持ち主だったPooさんには意思通りに機能しない自分の脳がどれほど忌々しく、そして、腹立たしい思いをしたことだろう。察するに余りある。
僕が菊地雅章のマネジメントを担っていたのはちょうどバブル景気の時代に合致する。Pooさんのキャリアでいうと指を骨折したためにピアノから離れシンセサイザーに集中していた時代。スタジオでは「リアルタイム・シンセサイザー・パフォーマンス=サウンド・スカルプチャー」、ライヴでは「ブギバンド=AAOBB:オールナイト・オールライト・オフホワイト・ブギバンド」。それ以前にPooさんに関わったのは、トリオレコード時代にジョージ大塚『マラカイボ・コーンポーン』(1979)とギル・エヴァンス・オーケストラ『パブリック・シアター1980』(1981) との2作のプロデュース契約のみ。それだけに、ディレクターとして本格的に四つに組み最初に受けた洗礼は強烈だった。正月を返上してまでブルックリンのスタジオに籠り、山と積まれたテープを聴きながら二人で編集したマスターをクライアントの狂喜する顔を思い浮かべながら持ち帰った。ところが、帰宅した僕を待っていたPooさんからのメッセージは、「やり直し」のひと言...。1ヶ月の共同作業で得たものは何年間分にも相当する貴重なものだったが、マンハッタン・チェルシー(自宅ロフト)からブルックリン・グリーンポイント(スタジオ)を往復するドライヴィング・テクニックもそのひとつ。後にギル・エヴァンスを送迎する幸運にもつながることになった。道中、Pooさんから聞かされた話のなかにマイルスに関するものがあった。1階から2階に上がる階段の手すりに何か白く長い紙が貼り付けてある。近づいて見ると譜面を貼り合わせたもので、4、5mはあったという。マイルスに尋ねるとオペラ「トスカ」の譜面で、トランペットを吹きながら1階から2階へステップを上って行くのだという。テザード・ムーンでトスカを録音したのは、Pooさんなりにマイルスの遺志を継いだものだ。ところで、Pooさんが開発した「リアルタイム・シンセサイザー・パフォーマンス」は、シークェンサーでプレイバックされる予めプロミングされたサウンドを聴きながらキーボードでインプロヴァイズ、それをライヴ・ミックスするというスリリングな手法で、最終的にはCD10枚分位のマスターを仕上げた。今、聴いてもとても新鮮で、むしろ今こそ普遍性を獲得する作品かもしれないとさえ思う。
AAOBBは今や伝説の作品となった『ススト』(1981)をライヴで演奏するプロジェクト。1988年の来日はNYでPooさんの苦労を知った渡辺貞夫さんが「ブラバス・クラブ」に招聘してくれたもので、1週間にわたって渋谷の話題をさらった。エレクトリック・マイルスとギル・エヴァンス・オーケストラのエッセンスが色濃く反映されていたが、やはり菊地雅章のジャズ・ファンクだった。翌1989年の来日は、六本木ピットイン4日間はオーナー佐藤良武さんの大英断。ジャコ・パストリアス始め、来日中のミュージシャンが多数チェックに駆けつけた。一晩、CS放送がライヴ収録し、続く水戸公演が2枚組CDとしてリリースされた。AAOBBの公認記録として残されたものはこのCDのみということになる。九州・嬉野ジャズ・フェス出演とともにアクト川村年勝の尽力である。
突然、NYに呼びつけられたことがあった。長年連れ添ったパートナーとのトラブル収束だった。部屋に入ると無残な光景が広がっていた。彼女が丹精していた観葉植物の鉢が何個も床に散らばり、植物も切り刻まれていた。植物だけではない、彼女の衣類も切り刻まれて散らばっていた。おそらくPooさんの心はズタズタの状態だったのだろう、僕のちょっとしたひと言が逆鱗に触れ、たまたま遊びに来たAAOBBのパーカッショニスト、アイーブ共々ロフトから締め出されてしまった。数日後、ウッドストックのカーラ・ブレイのスタジオに誘い出したところ、カーラから譜面集をプレゼントされて機嫌が直った。それからしばらくして録音されたのが『Attached』(1989)だ。邦訳すれば「未練」といったところか。カーラの譜面集から2曲収録されている。Pooさんのソロでは珍しく情念が溢れ、曲によっては激情が叩きつけられている。CDを聴いたカーラが尋常ならざるエモーションの発露に驚いたのも無理はない。
パートナーとの別離の引き金となったのは、映画「ケニー」のサントラの不発だった。両足をもがれた少年ケニーが身体をスケボーに載せて生活する日本=カナダ合作の感動物語である。音楽の発注を受けたPooさんは作曲を拒み、ひたすら心の中から湧き出る音楽を待った。ピアノに向かって湧き出るフレーズを紡ぎ、カセットに録音していく。ギル・エヴァンスを交えてプレイバックを聴きながら選曲し、採譜する。トランスクリプションを担当したのは、当時ギルのアシスタントを務めていたマリア・シュナイダーである。この手法はしかし制作スケジュールのタイトな商業映画には通用しなかった。納期に遅れた上にカナダから試聴に訪れた監督に充分なプレゼンテーションができなかった。怒った監督はPooさんを馘にし、職業作家に発注すれば3日もあれば仕上げると罵った。もちろん、Pooさんにだってそれは可能だ。しかし、映画のテーマを重く見たPooさんは、音符を組み合わせて曲を作ることを拒み、自らの心の動きを待つことをした。失ったものは大きかったが、Poo さんは音楽家としての良心に従うことを優先させた。ギルもPooさんの音楽家としてのあり方を支持し、この重大な場面でマネージャー/プロデューサーとしての僕はその役割を完全に放棄していた。
2004年の春頃だったか、Pooさんから1本のDATが届いた。音を聴いて驚いた。まったく新しい世界が展開されていた。唸り声が影を潜め、表面だって認められるグルーヴ感も希薄で音が空間を浮遊している...。これを発売できるのはECM以外にはない、いや、ECMから発売すべきだと直感した。しばらくしてNYに飛び、Pooさんと数曲の選曲をやり直した上でDATマスターに仕上げた。ミュンヘンのオフィスでマンフレートに手渡した。これが、のちにECMから刊行された周年記念本『Horizons Touched:The Music of ECM』(2007) のカタログで予告された『at home project』である。その後、Pooさんとマンフレートの間で何度か激論が交わされた挙句、結局発売中止、トリオによる新作のレコーディングに変更、『サンライズ』(2012) のリリースとなった。激論の内容は、自宅ロフトで収録したことによる微弱ノイズとマンフレートによるリヴァーブの付加の問題。Pooさんは、このソロに関してはリヴァーブの付加を頑なに拒んだ。2本制作した『at home project』のDATマスターの1本は僕が預かっているのでいつか遺志を果たせることを夢見ていたが、ECMが2012年の上野文化でのソロ・コンサートを『東京リサイタル』として近々リリースするようなので、その必要もないかと思い始めている。
*初出:Jazz Tokyo # 207      2015.8.30

poo1 RIP Poo Kenny Inaoka poo2
poo-w-vitous poo-w-kenny
ギル・エヴァンス@Poo’s Studio in Brooklyn
altogether with ギル・エヴァンス
with ミロスラフ・ヴィトウス & Kenny @Maracaibo セッション
Poo & Kenny in Tokyo

稲岡邦彌

稲岡邦彌 Kenny Inaoka 兵庫県伊丹市生まれ。1967年早大政経卒。2004年創刊以来Jazz Tokyo編集長。音楽プロデューサーとして「Nadja 21」レーベル主宰。著書に『新版 ECMの真実』(カンパニー社)、編著に『増補改訂版 ECM catalog』(東京キララ社)『及川公生のサウンド・レシピ』(ユニコム)、共著に『ジャズCDの名盤』(文春新書)。2021年度「日本ジャズ音楽協会」会長賞受賞。

コメントを残す

This site uses Akismet to reduce spam. Learn how your comment data is processed.