JazzTokyo

Jazz and Far Beyond

閲覧回数 30,805 回

R.I.P. 鈴木勲No. 289

オマさんが教えてくれたこと by TOKU

Text by TOKU

偉大なミュージシャン、オマさんこと鈴木勲さん。
僕とオマさんに接点があって共演する間柄だったことを意外に思う人もいるかもしれない。
レギュラー・メンバーではなかったものの、デビューして間もないころに出会ったこのぶっ飛んだ方は、まだまだヒヨッコだった僕にいろいろなことを教えてくれた。
初共演に向けてのリハーサルをしてる時にバンドのメンバーや僕に出す指示は、音楽を高みにもっていくための適切なものだった。
(※冒頭の写真は、初共演のリハーサルの合間に腹ごしらえしたお店でのショット。)

言われるように上手くできることはなかったけど、それでもオマさんは励ましてくれた。
叱咤もされたけどそれは伝えたいという気持ちの強い表れで、僕がようやくオマさんの意図するところを理解すると「そうそう!」って強く優しく嬉しそうに言ってくれた。
自分のサウンドを作ることをとても大事にしながら、フロントマンの僕に、時にバンドをリードするやり方や大切さを教わったのは、僕の経験値を大きく上げてくれた。


写真: 今はなき関内「KAMOME live matters」でのライヴに遊びに来てくれた時のメンバーとのショット。前列左から楠井五月(b)、福森康(ds)、菊地太光(p)、TOKU(flgh, vo)。

ニューヨーク生活の生々しい話も刺激に満ちたものだった。そしてオマさんっぽくアレンジして話してくれるところも楽しかった(笑)

オマさんの横浜パトロールもミュージシャンの間ではよく知られてること。横浜界隈でライヴをやってるとよく立ち寄ってくれて飛び入りしてくれた。とくに山本剛さんのトリオと共演してる時は必ずといっていいほどやって来て、その自作スカートを含む富んだファッションでベースを弾いて刺激を残して行ってくれた。
その、よく剛さんのトリオと共演していた関内の「Jazz Is」が閉店してしまい、コロナ禍が深刻化し、オマさんに会える機会がなくなってしまって気になっていたころ、オマさんの最後の数年間をケアしたギタリストの小山くんと共にFacebookで配信ライヴをやっているオマさんの音を聞いた。87歳で音楽に向かう姿に感動し、改めて年齢など関係ないことをオマさんに教えられた。それが最後にオマさんに教わったことかな。
考えるとまだとてもさびしくなるけど、

オマさんのスピリットはいつも僕たちと共にある。そしてこれからもオマさんから教えられることはあるんだろうなと思う。

オマさん、本当にありがとう!


TOKU – Jazz Vocalist & Flugelhorn Player
新潟県三条市出身。父親の影響で様々な音楽に親しみ、10歳の時にマイルス・デイビス来日公演を地元・新潟で目の当たりにし衝撃を覚える。
世界が未知のウィルスにより一変した2021年、音楽が人々に与える勇気や希望を再認識する。音楽を奏で続けていく気持ちを新たにソニー・ミュージックから離れ、世界のジャズアーティストとしての新たな一歩を踏み出す。

コメントを残す

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください