音の見える風景 Chapter54 「スティーヴ・ターレ」

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スティーヴ・ターレ(後方ベースは金井秀人)

 

Steve Turre
photo & text by 望月由美

撮影:1980年秋 横浜「エアジン」にて

 

1966年の秋、カリフォルニア州立大学サクラメント校の学生だったスティーヴ・ターレは兄マイケル(ts,1946~)が持ってきたローランド・カーク(reeds,1936~1977,41歳)『We Free Kings』(Mercury,1961)を聴いて驚嘆、土曜の夜サンフランシスコのジャズ・ワークショップに出演していると聞いてすぐさまカークに会いに行く。
ジャズ・ワークショップの2ndセットが終わるとカークから「明日の日曜日の午後3時のサンデイ・セッションでキッズの為のマチネーをやるから楽器を持っておいで」と誘われ、日曜日に初めて共演し意気投合、ここからターレとカークの交流が始まった。ターレ18歳そしてカーク30歳の出会いである。

スティーヴ・ターレは晩年のカークの作品『カーカトロン』(Warner Bros. 1976)に参加、またその翌年の1977年カークの遺作となった『ブギ・ウギ・ストリング・アロング・フォー・リアル』(Warner Bros,1977)のレコーディングに参加しカークの神髄を、身をもって体験する。
カークと知り合って11年、カークの遺作に参加したことはターレにとって大きな音楽的な遺産になったのではないかと思われる。

以降カーク・ミュージックの伝承者の一人としての存在感を示していたが2004年にその集大成ともいえる作品『The Spirits Up Above』(High Note,2004)をヴァン・ゲルダー(1924~2016,91歳)・スタジオで録音している。

ターレがカークに捧げた<ONE FOR KIRK>を含めて全曲カークの曲を収録。
一曲目は<THREE FOR THE FESTIVAL>。『We Free Kings』の一曲目に入っている曲なのでおそらくターレが生まれて初めて聴いたカークの曲であり、演奏である。この曲をアルバムの冒頭に選んでいるところにもターレのカークへの特別な思いが伝わってくる。

このレコーディングでカーク役に選ばれたのがジェームス・カーター(ts,fl,1969~)で、聴けば聴くほどこれほどの適任者はいないという人選で見事にカークの世界を再現し、そしてさらに発展させターレとカークそしてカーターがサイクリックに循環していて聴くほどに楽しみがわいてくる。

1980年の秋「今夜、春樹と2トロンボーンやるから聴きに来ない!」
トロンボーンの板谷博に誘われて「横浜エアジン」に足を運ぶ。
セットは金井英人(b,1931~2011,79歳)のグループで、板谷博と佐藤春樹がJ&Kよろしく2トロンボーンで競い合っていた。
板谷博(tb,1947~1996,49歳)と佐藤春樹(tb,1953~)は当時、生向委、生活向上委員会大管弦楽団のトロンボーン・セクションで一緒の仲良しコンビだったのである。

そして二人が楽しくバトルを繰り広げているところへ、なんという偶然かスティーヴ・ターレがエアジンにふらっとやってきた。
当然の成り行きでターレがそのセットに加わり、即席の3トロンボーン・セッションが始まった。
写真はそのときの横浜エアジンでのショットで、後ろに写っているベースが金井英人。

最近はひげをそってこざっぱりした顔になっているが当時の雑誌に掲載された写真から抱いていたターレのイメージは太い眉、濃い口ひげとふさふさとしたあご鬚、ちょんまげに結った長い髪などから、いかつい精悍なイメージを思い描いていたが実際に会ってみると、時おり見せてくれる笑顔が何ともチャーミングですっかりファンになってしまった。

それもその筈、ターレの家系はお父さんがシシリアンでお母さんがメキシカンであり、ターレはその容貌もハートもしっかり両親の血を受け継いでいるので根は明るくハッピーである。

ターレは4人兄弟で、兄のマイケルMichael James Turre(reeds,1946~)はマルチ・リード・プレイヤー、弟のピーターPeter Joseph Turre(ds,1957~)はドラマーと、みんなジャズ畑の一線で活動している音楽一家である。
スティーヴ・ターレStephen Johnson Turreは1948年9月12日ネブラスカで生まれ現在69歳。
10歳でトロンボーンをはじめ、兄マイケルと一緒に演奏しながら腕を磨いた。
ターレ自身はヴァイオリンを弾きたかったが父親から<ヴァイオリンなんて道端で泣いている猫みたいな音だよ>と云われてトロンボーンを選んだそうである。
ターレの豪快なトーンはこのエピソードがその下地にあるのだろうか。

大学へはフットボール奨学金を得てカリフォルニア大学サクラメント校に進学するが2年で北テキサス音楽大学に転校し音楽理論を勉強する。
1968年から69年にかけてハンニバル・マーヴィン・ピーターソン(tp,1948~)のバンドに加わりプロとしての活動を始める。
カークと出会って2年後20歳の時である。
そして1970年にはカルロス・サンタナ(g,1947~)のレコーディングに参加する。このころからすでにターレのラテン的な素地は活かされていたようである。

あるときカリブ海沿岸を、旅したが、そこで沢山の大小さまざまな貝殻を拾い集めて持ち帰り、マウスピースやピッチの加工をして楽器として使い始めた。

10代の頃、ステージでカークがノーズ・フルートやミステリー・パイプなど様々な変わった楽器に交じって貝殻を持ち出して吹いたのを目撃したことがあって、これがきっかけでほら貝の吹奏に興味を持ったのだそうである。
とりわけオーストラリアのグレート・バリア・リーフで採取された巨大な貝はひと際ステージ映えし、そのサウンドと共に目を見張りターレの存在感を高めた。

ターレは4人のトロンボーン奏者に自分の集めたシェルを吹かせたバンド「Sanctified Shells」というシェル・クワイアを率いていたこともある。
カークのノーズ・フルートの向こうを張ってかどうかは分からないがターレはほら貝を二つ同時に鼻の息で吹くという妙技も持っている。

1972年にレイ・チャールズ(vo,p,as,1930~2004 73歳)のバンドに加わりR&Bを経験する。
1973年にはアート・ブレイキー(ds,1919~1990 71歳)のジャズ・メッセンジャーズやサド&メル・オーケストラ、1974年からはチコ・ハミルトン(ds,1921~2013 92歳)等々ビッグ・ネームのバンドに加わり一躍ジャズ・シーンの注目を集めることになる。

ターレはまた1980年から89年までウディ・ショウ(tp,1944~1989 44歳)のバンドで演奏していて、80年の12月ウディ・ショー・クインテットの一員としてマルグリュー・ミラー(p)等と共に来日する。
そして82年にはニューヨーク「ジャズ・フォーラム」でのウディのクインテットのコンサートに出演、その時の演奏が『マスター・オブ・ジ・アート』(Warner Bros.1982)として残されている。
因みにウディ・ショーはニューヨークの地下鉄構内での転落事故が元で1989年、44歳の若さで早死してしまう。
ターレはこのウディ・ショウに捧げてジョン・ファディス(tp)、ウオーレス・ルーニー(tp)、クラウディオ・ロディティ(p)、アフロ・キューバンのアルフレッド“チョコラーテ”アルメンテロス(tp)等のトランペッターを集めて『Woody’s Delight』(High Note,2012)を創っている。

一方『TNT(Trombone-N-Tenor)』 (Telarc,2000)ではジェームズ・カーター(ts)、デューイ・レッドマン(ts,1931~2006 75歳)、デヴィッド・サンチェス(ts)というそうそうたるテナー・サックスプ・レイヤーを集めてテナーのショーケースを展開している。
ターレはこのようにトロンボーン、ほら貝の演奏者としての活動にとどまらずトランペットやテナーの魅力を引き出すなど発想も豊かでプロデュース力にもたけている。

ビッグ・バンド・シーンでも大活躍で一時期ディジー・ガレスピーのオーケストラにも在籍し1987年の斑尾にはディジー・ガレスビー生誕70周年記念・ビック・バンドの一員として来日している。
ターレの持つハッピーなラテン・フィーリングがダイナミックなガレスピー・バンドにもマッチしたのかもしれない。

また、AEC、アート・アンサンブル・オブ・シカゴで知られるレスター・ボウイ(tp,1941~1999)とも付き合いが長く、レスターのブラス・ファンタジーでは1990年の第6回東京ミュージック・ジョイに出演し『Live At The 6th Tokyo Music Joy ’90』(DIW,1990)が記録されている。
『Avant Pop 』(ECM,1986)などレスター・ボウイのブラス・ファンタジーでの作品も多い。

そしてNBCテレビ局の番組サタデイ・ナイト・ライヴのハウス・バンドとして発足したサタデイ・ナイト・ライヴ・バンドには1985年から33年もの長きにわたってトロンボーンの座についているし、マッコイ・タイナー・ビッグ・バンドにも1988年から2002まで長期にわたって在籍している。

ラテン、サルサの分野でも本領を発揮しているターレは2000年の5月チック・コリア(p)やアルトゥーロ・サンドヴァル(tp)等と共にマイアミでラテンのコンサートに加わったがその模様は『A Celebration of Latin Jazz』としてTVでオン・エアされDVD化もされている。

近作の『Colors for the Masters』(Smoke Sessions,2016)ではメンバーにケニー・バロン(p)やロン・カーター(b)、ジミー・コブ(ds)と云った巨匠たちを迎えセロニアス・モンク(p)やウエイン・ショーター(reeds)、J.J.ジョンソン(tb)等の文字通りジャズ・マスターのカラーを鮮やかに描いた。

ジャズ・グレートの業績を研究、把握し、トランペットやテナーなど伝説のジャズ・ジャイアンツへのトリビュート作を発表してきたスティーヴ・ターレであるが現在はジャズの伝統を重んじながらも生まれながらにして身についているラテン・フレイバーを活かし独自の世界を築きあげている。

近年は演奏活動と並行してジュリアード音楽院の教授もつとめ、ジャズの伝道者としての貢献度も大きい。

望月由美

望月由美 Yumi Mochizuki FM番組の企画・構成・DJと並行し1988年までスイングジャーナル誌、ジャズ・ワールド誌などにレギュラー執筆。 フォトグラファー、音楽プロデューサー。自己のレーベル「Yumi's Alley」主宰。『渋谷 毅/エッセンシャル・エリントン』でSJ誌のジャズ・ディスク大賞<日本ジャズ賞>受賞。

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