Jazz and Far Beyond
来年11月55周年を迎えるECMの活動がさらに活発化している。
4年ぶりにメールス・フェスティヴァルに出かけることにした。第50回には出かけるつもりがコロナ禍のためにストリーミングでの閲覧になり、50周年という節目の年であった昨年も出かけることは叶わなかったのでリベンジである。第一報として歩き回った界隈やステージをスライドショーにまとめた。
最後に出会ったのは、ニューレフト系の書店「寮原」.神保町、1970年代初めである。
小曽根さんを取り上げるのは今回で3度目になる。第一回は小曽根さんの指先から虹のように溢れ出るアイデアを、第二回はモーツァルト言語まで習得している彼の凄さを取り上げた。今回は日本ツアーを先日行ったこのスーパー・カルテットの10年前のライブ録音のリリースを機に、彼の作曲作品に焦点を当ててみた。ご機嫌なグルーヴと、小曽根さんがソロピアノで見せる自由な発想を可能にするこのコンボの解説も試みた。
巡る季節を進むLaL。コロナ禍の鎮静化にて最早完全に従前のペースへの軌道復帰も叶う中、今月号では卯月中旬から皐月上旬に巡った充実の現場6本をご紹介。
「KNITTHING FACTORY」は、NYダウンタウンの「新しい音楽」の発信地として知られるようになった。
「ジャスミンの香りふたつ」と「子持ち鮎の塩焼き」
来日したジャズ・ミュージシャンが残《日本録音作品》を通して見る日本ジャズ発展史。
まさに「即興は砂の城」と言わんばかりの刹那的な美意識だけが持つ高揚感に溢れている。
クラシック音楽へのリスペクトの上に作り込まれた緻密なストーリー構成、主演ケイト・ブランシェットの怪演に圧倒される。張り巡らされた伏線から衝撃の結末へ、音楽と人生にとって大切なものは何か観る者に問いかける。
「自然体」「流水不争先」(流水、先を争わず)のRobert Glasper。
園田游と前田隆が創り出す世界は<静寂>という音楽を『場』に捧げる儀式であった。立ち会う者は何も考えず、目に聴こえて、耳に見える音楽を受け入れればいい。いかなる作為も必要がない音楽の存在を愛でるだけでいいのである。
出演者もリスナーも、自由なスタンスとスタイルで音楽を楽しむ。それがこのフェスの醍醐味.
ブルックリンを主な拠点として活動するトリオ・Entropic Hopが来日した。
異能のサックス奏者パトリック・シロイシが日本公演を行った。ロサンゼルス在住のシロイシは日系のルーツを持つ(かれの祖父母は第二次世界大戦時の日系アメリカ市民を対象とした強制収容所で知り合って結婚した)。それだけに個人的な旅行を兼ねた今回の公演はずいぶん嬉しいものでもあったようだ。
ふだん押さえつけているエモーションが、際から際まで刺激される。曲が進むにつれて床へ落とされるスコア同様、様々な澱(おり)が剥がれおち、気がつけば鎧なき寄る辺なさ。容赦ないひりつき具合が、現実を串刺しにする。
他者との関係の中にしか自分はない、そしてそれは交流=交換でもある。
ポーランドのピアニスト、マテウシュ・ガヴェンダが、2017年にポーランド最高権威の音楽賞FREDERYKI賞にノミネートされた自己のトリオを率いて日本にやって来る。初来日直前のガヴェンダにインタヴューを試みた。
ジャズにはクラブの雰囲気があっているような気がする。
竹下勇馬(楽器製作家、演奏家)はいくつものセンサーモジュールを取り付けた「エレクトロベース」、回転・揺動スピーカー、半自動楽器などを自作し、自ら演奏する。また近年は野鳥の撮影にも本腰を入れており、あまりのオリジナリティに誰もが戸惑っているようにみえる。その不可解さは少なくないインプロヴァイザーたちも惹き付けている。