Jazz and Far Beyond
ペーター・ブロッツマンだけではなく、東ドイツ出身のエルンスト・ルードヴィッヒ・ペトロフスキーやヨスト・ゲーバースは、いずれも60年代以降のドイツのフリー・ミュージック・シーン、そしてFMP (Free Music Production) 語る上で重要な人物だった。
日本では“Brötzmann, Yagi, Nilssen-Love”だけでなく、さまざまな編成でペーターと共演しました。中でも思い出深いのが2007年の春に東京で開催された『ブロッツフェス 2007』と『ポール・ニルセン・ラヴ〜ピット・イン・セッションズ』でした。
音楽はテクニックでもないし、複雑なことでもない。人生のようなものなんだ。人生を語るものだ。どのように感じたか。何が出来るか。演奏する時に悲しい気持ちならば、そう伝わる。
ポール・ニルセン・ラヴの提案を元にノルウェー国立コンサート協会 Rikskonsertene が主催事業として企画してくれた2008年4月の『ブロッツマン/八木/ニルセン・ラヴ〜ノルウェー国内10都市ツアー』は私にとって大きなランドマークとなりました。
ペーターとポール・ニルセン・ラヴとのトリオ結成のきっかけは2006年、ノルウェーのコングスベルグ・ジャズ・フェスティヴァルに絡むちょっとしたアクシデントでした。
“Hello, my little sister.” そう呼んでもらえる事はもう2度とない。イカつい顔のおじさんが初めて私をそう呼んだのは、確かポール・ニルセン・ラヴ(ds)とのトリオの2度目のヨーロッパ・ツアーのために集合した時でした。
彼との共演は我が音楽人生で計り知れない素敵な経験でした。
あれだけのことをやるだけやって、ストンと逝く生き方は見事だと言わざるを得ない。
コロナで多くの可能性を失ったが…生き残った者は、この一瞬の生を精一杯生きるべきだ。
ブロッツマンの演奏にも室町以前の日本音楽、音階という概念がない時代の音楽、(散楽、田楽、猿楽)を連想してしまう。
音楽にとって大切なのは、その人から音に託されるそのものの豊穣な世界、深淵さだ。
ブレッツマンは、フリージャズをフリーミュージックと書き換えて世界に布教した
この秋、私がブロッツマンのCDをプロデュースする機会がついに訪れた。
ペーター・ブロッツマンが残した大傑作のひとつに『Nipples』(FMP、1969年)がある。2021年、アメリカのテレビ番組「The Tonight Show」の「Do Not Play」コーナーにおいて司会のジミー・ファロンが笑い飛ばしたことにより、この作品はフリージャズ愛好家以外にも知られることになった。なにしろ乳首であり轟音であり騒音なのだ。
ペーター・ブロッツマン氏は、肺気腫ではあった。糸瓜の実りすら、間に合わなかった。
ブロッツマンも現代美術から音楽へ転進してきた。
1997年に日本で刊行された限定200部のディスコグラフィー。
ただただ痛快そのもの、狂気の一歩手前と言いたくなるほどその瞬発力は時を忘れさせてくれる。しかし、その内奥には優しい呼びかけ、訴えがある。