Jazz and Far Beyond
彼は演奏家以上に、座長たらんとしたのではないか。それがボローニャのライブステージで上演された。50分のオペレッタ〜演劇になったと考える。
私が大好きな彼の表現の特異な面 “ハラワタ” をさらけ出すことだ。
土取利行によるトリスタン・ホンジンガーとのデレク・ベイリー&カンパニーでの思い出
私の演奏が終わった後、彼は「You are mad」と言い放った。すかさず私も「You too」と言った。
超然とした狂気と世俗的な凡庸に揺れて。
トリスタンが生涯かけて追い求めた、生命の記憶を辿る音の旅はけして熄(や)まないだろう。
トリスタンの演奏も、要所で明確な主題なりフラグメンツを提示するなど、音楽のフォルムを茫洋とさせずに芯を作る技術に長けたものでした。
ホンジンガーはあくまでチェロ一本(時に弓は二本)にこだわった。その集中力は偏執狂的というべきものだった。
アムステルダム。チェロを置いてステージの中心に歩み出てきたホンジンガーは、しゃがみ込み、飛び跳ね、オーケストラを指揮した。メンバーたちも真剣に応じ、みごとなカーニヴァルの空間を出現せしめた。トリックスターの面目躍如である。
トリスタン・ホンジンガーという人間はそれが出来る人だった。そこには人間の尊厳が備わっていると強く感じられた。
アルバム・タイトルが示唆するとおり、コミュニケーションの極意は「分かりあえなさ」であることを知り抜いている。それ故の同時発話的な自由。演劇的・室内楽的な構築性を保ちつつ、フォーキーかつフリー、等しく個々の断片も光る。/ As the album title indicates, they know the fact that the essence of communication is its impossibilities for mutual understanding, then, followed by “all-at-once-ness” in the chatty but not-crowded mood. While keeping theatrical, chamber music-like constructability, the composition of Tristan Honsinger makes junctures for folky and free approaches, equally emphasize the tension of individual fragment.