音の見える風景 Chapter 2「ハン・ベニンク」
text & photo : Yumi Mochizuki 望月由美
ハンは職人芸的な卓越した技巧と洒落たエンタテインメント性とを併せ持った天衣無縫のドラマーである。フリーからフォー・ビートのはざまを自由自在に行き来するユニークさは未だ健在、昨年の「ノースシー・ジャズ・フェス」でもデイブ・ダグラス(tp)とモンクの曲をスネアひとつで渡り合い、ステージを沸かせていたようである。たった一つのスネアからはいつもユーモアたっぷりな会話が聴こえてくる。それでいてスリリング。当意即妙、天真爛漫という言葉がぴたりと当てはまる。1942年4月17日、アムステルダムの生まれ。今年の4月で68歳になるハンの目にはいつも少年の茶目っ気、無邪気さが映っている。
ハンと初めて出会ったのは1982年の春、近藤等則が招聘したICPオーケストラのジャパン・ツアーの時であった。以来ICPオケやブロッツマンとのデュオ、サブ豊住とのデュオ等々でしばしばハンのスマートなフットワークに魅了されている。ハン(とミシャ)というと必ずといっていいほどに語られるのがエリック・ドルフィーとの『ラスト・デイト』(Fontana)であるがもう46年も前のことである。当時のハンはベン・ウエブスター、ソニー・ロリンズ、デクスター・ゴードンといったオランダを訪れるアメリカのジャズ・ジャイアンツと数多くのセッションを重ねジャズのエッセンスも吸収していたのである。
1967年にミシャとICP(インスタント・コンポーザーズ・プール)を設立以来、ICPオーケストラ、ミシャとのデュオはいうまでもなく、W.ブロイカー(reeds)、P.ブロッツマン(reeds)、D.ベイリー(g)等と即興の世界で遊んでいる。ハンにはフリーとかフォー・ビートとかの区別がない。スタイルを超越したみずみずしいリズムによって相手と会話を弾ませるのである。ハンのステージ姿は短パンにTシャツ、頭にハチマキという
スタイルが定番で、しかもそれがよく似合っているがオフではシルクのシャツに皮のパンツ、真紅の靴下に編み上げのブーツで決めるというお洒落さんで、格好いい。ドラマーはプレイも身体もダイナミックでなければならないからアイス・スケートで足腰を鍛えているんだとハンは語っていたが、ハンの俊敏な反応、瞬発力はこうして培われてきたのだろう。
ハンのステージはまた眼でも楽しませてくれる。ハンの領域はドラム・セットだけではおさまらず床から壁まであらゆるところを叩き、こすり色彩豊かなリズムを生み出す。時にはスティックが空を切り、空間にリズムという絵を描き出すこともある。ハンはミュージシャン一家に育ち自然な成り行きでミュージシャンになったが、もともとは画家志望だったようでハンの描く絵やアートワークにはセンスのよい面白いものが多くドラム同様にユニークさが際立つ。ハンの描いた絵は『AAN&UIT』(ICP)など多くのCDのジャケットでも使われている。マイルスにしてもトニー・ベネットにしてもミュージシャンの描く絵には大胆な色彩と筆遣いに驚かされるがハンの絵にも音楽に共通した豊かな色彩とイマジネーションが充ち溢れている。絵画にしてもタイコにしてもハンの作品には少年の眼のような旺盛な興味と奔放さがうねり、こころよい緊張感を与えてくれる。聴き終えた時の開放感は何物にも変えがたい。
いま、部屋にはラズウェル・ラッド、ミシャ・メンゲルベルク、スティーブ・レイシー、ケント・カーターそしてハンの5人が演じるハービー・ニコルス集『Regeneration』(Soul Note)が小さな音で流れている。ゆったりとした流れの中でハンが4ッつを刻んでいる。わたしのほっとするひとときである。(2010年4月)
*初出:JazzTokyo #135 (2010.4.16)