ヒロ・ホンシュクの楽曲解説 #46 John Coltrane <Blue World>
昨年6月29日にリリースになったコルトレーンの発掘盤、『Both Directions at Once: The Lost Album』(楽曲解説 #32 → )は、コルトレーン初のビルボード200にリストされただけではなく、なんと21位という高い位置にリストされ、25万枚以上の売り上げを出した。続いて来たる9月27日にまたしてもコルトレーンの未発表アルバムがリリースされることになり、そのタイトル曲である<Blue World>が、この8月16日にシングルリリースされた。
わたくしごとで恐縮なのだが、去る8月筆者はヨーロッパツアーがあり、9月に入ると今度は日本ツアーで嬉しい悲鳴を上げている。なにせ日本のすごいミュージシャンたちと共演させて頂くのでワクワクだ。筆者の日本ツアーの詳細は本誌のこちらを覗いて下さい(リンク → )。楽曲解説関係の質問等もナマでお受けします。さて、こういう事情なので今回は手短な記事にさせて頂くことをご了承下さい。
『Blue World』
このアルバム、ライナーノーツはなんとあのジャズジャーナリストのAshley Kahn(アッシュリー・カーン)らしいが、アルバムがまだ発売されていないので読みたくても読めない。ともかく限られた情報しかないのだが、できる限りかき集めてみた。今回の『Blue World』の録音は、『Both Directions at Once: The Lost Album』が録音された1963年3月6日の1年後、1964年6月24日に同じくVan Gelder Studio(ヴァン・ゲルダー・スタジオ)で録音された。このタイミングは『Crescent(クレセント)』の数週間後であり、そしてその年の12月にコルトレーンは『A Love Supreme(至上の愛)』に到達するといった流れだ。この時期のコルトレーンとこの黄金期のカルテットに関しては、『Both Directions at Once: The Lost Album』(楽曲解説 #32 → )に詳しく書いたのでそちらを参照されたい。
この録音はいわゆるロスト・アルバムではない。これは実は映画音楽として録音されたものだ。フランス系カナダ人で、ドキュメンタリー監督として名を挙げていたGilles Groulx(ジル・グルー)監督作品の『Le chat dans le sac (The Cat in the Bag)』という、かなり思想がかった前衛映画に使うために、コルトレーンファンだった監督が、コルトレーンのベーシスト、ジミー・ギャリソンと知り合いだったことから頼み込んだのだそうだ。蛇足だが映画音楽にハードコアなジャズを取り入れるきっかけを作ったのは当然マイルスの『Ascenseur pour l’echafaud(死刑台のエレベーター)』(1961年)だが、実はそれ以前の1959年、地名度の上がらなかった『Les liaisons dangereuses (危険な関係)』という映画の音楽はThelonious Monk(セロニアス・モンク)だった。どうやらフランス語系の映画のトレンドだったようだ。
さて、本題の映画作品『Le chat dans le sac (The Cat in the Bag)』(フランス語+英語字幕)は、なんとネット公開されている。ダウンロードは有料だがネットストリーミングは無料だ。(リンク → )
全部観たいところだが、どうにも時間が取れないでいる。ただ、最初のタイトルあたりから始まる<Naima>には唸った。その5年前に初録音されたのと比べて、サウンドや構成は同じでもコルトレーンとバンドの進化がはっきりと聴こえる。
そうなのだ。グルー監督はコルトレーンに過去のレパートリーを演奏させたのだ。マイルスなら怒っていたに違いない、は、さて置き、選曲は以下の通り。
- Village Blues(Coltrane Jazz — 1960年10月21日録音)3テイク
- Naima(Giant Steps — 1959年5月録音)2テイク
- Like Sonny(Coltrane Jazz — 1959年12月2日録音)1テイク
- Traneing In(John Coltrane with the Red Garland Trio — 1957年8月23日録音)1テイク
- Blue World(未発表)1テイク
NPR.orgが公開したカーンのライナーノーツの抜粋によると、コルトレーンがすでに録音した曲をふたたびスタジオ録音することはなかったという意味で、このアルバムは貴重な存在なのだとしている。つまり、スタジオ録音アルバムとして時間の経過がどう彼らの演奏に影響を与えているのかを知る唯一の機会を与えてくれている、と言及している。
<Blue World>
この曲は未発表とクレジットされているが、実は曲自体は既存のものだ。1962年録音/リリースの『Coltrane』収録1曲目、<Out of This World>と殆ど同じなのだ。違うのはテンポがかなり遅いことと、展開部分を省いて一発ものにしているということだ。この<Out of This World>という曲は、『オズの魔法使い』のミュージカルや数多くのヒット作を生み出したHarold Arlen(ハロルド・アーレン)の作曲で、Bing Crosby(ビング・クロスビー)が歌って有名になったあの例の曲なのだが、コルトレーンはかなりデフォルメしている。ちなみにこれが原曲だ(YouTube → )。ヘッドのメロディーはかなり認識困難だが、この原曲のポイントはしっかり抑えている。それはこの曲はE♭ドリアンの曲であるということと、展開部分は継承している。
このメロディだからコルトレーンはモードジャズとしてこの曲を取り入れたのだということは容易に理解出来る。スケールは以下の通り。
ご覧の通りアボイド音はなく、コードトーン以外は全てテンションとして使用出来る。マイルスが<So What>で開いた自由なインプロの世界だ。
さて、この曲をプレイバックして真っ先に驚くのは、ジミー・ギャリソンが始める音は3オクターブ下のE♭で、これはベースの音域より低い。つまりギャリソンはベースを半音下にチューニングしているのだ。そうか、ギャリソンは絶対音感ではなかったのだ。それならあの音程を重視しない演奏も理解出来る。
イントロ部分を採譜してみた。
ご覧の通りこれは6拍子の曲だ、が、6/8拍子ではなく6/4拍子だ。その理由は、8分音符がスイングの8分音符、つまり3連を感じた8分音符なので、4分音符をビートとした概念にしないとスイング感が出ないからだ。コルトレーンのこのスタイルをよく「八・六のアフロ」というような言い方で聞くが、それは間違いだ。8分音符をビートの基準とすれば8分音符はスイングでなくストレートビートで演奏しなくてはならなくなり、コルトレーンのスタイルのそれとは一致しない。余談だが、ギグに行って譜面を出されて、即座に概念を受けることができない譜面、例えばこの曲が6/8拍子で書かれてあった場合、初見でスイング感を出して演奏することはまず無理だ。作曲者は常に演奏者が初見でも作曲者の意思が即座に伝わる書き方をしなければならない。残念ながら現場重視のジャズでこういう教育はまだ浸透していない。
ここでMcCoy Tyner(マッコイ・タイナー)のボイシングに注意を向けてみたい。普段聞き流しているとマッコイは単純な4度和声でガンガングルーヴを提供する奏者と思っていたが、こうやって採譜してみると、そんな単純ではなく実はおしゃれなテンションが挿入されていたことに気が付いた。まず最初のE♭-11には9thのG♭音だ。これは何を意味しているのか、だ。この曲はE♭ドリアンの曲なので、D♭メジャースケールから派生したものだ。だが機能和声で考えた場合E♭マイナーというのはG♭メジャーの平行調だ。つまりマッコイはボイシングに9thのG♭音を挿入することによって、インプロバイザーにドリアンとエオリアン両方の可能性を与えているのだ。それに加えてこのボイシングの形はむしろA♭7Sus4だ。原則はD♭メジャーから発生しているので理にかなっているが、しかしボイシング自体が3度抜きのサウンドなので、もしインプロバイザーが望めばA♭マイナーに引っ越すことも可能なのだ。続くF -11のボイシングに度肝を抜かれる。マイルスの<So What>から始まった、ドリアン1発の曲の定番はマイナー11コードを長2度あげるコンピング(伴奏)スタイルだ。マッコイがそのスタイルを広めたと言っても過言ではなく、ここでもその法則に従っている、と思いきや、そんな安易ではない。4度積みのボイシングはその法則に従っているが、テンションは前のコードを継承していない。それぞれの音はD♭メジャーから派生した音程だが、ボイシングは完璧にA♭メジャー(add 2)だ。これにはびっくりだ。第2音であるB♭を9thとしないことで、このコードはドミナントとも4度コードともどちらにでも利用出来る様にボイシングされている。さらに、もし最初のコードのボイシングの形を前述のA♭7Sus4と解釈すると、この継承コードはその2度上、B♭7Sus4だ。ここで注目したいのは、マッコイはストレート7thコードではなく9thコードにすることによって、上がるコードに対して内声は下げているのだ。つまりこのおしゃれな細工で開放感を放出しているということだ。マッコイ実に恐るべし。
次にヘッドだが、前述の通りコルトレーンはかなりデフォルメしている。『Coltrane』に収録の<Out of This World>とこの<Blue World>両方を聴き比べて、コルトレーンが描いているだろうメロディを構築してみた。
ご覧の通りハロルド・アーレンの原曲のメロディで下降形の部分を、コルトレーンは上行形に変更しているので、これが同曲とは非常に判断しづらい。しかも録音はコルトレーン専売特許の、自由にリズムを変えての演奏だ。
McCoy Tyner(マッコイ・タイナー)
マッコイの有名な名言にこのようなのがある。
“You have to listen to what someone is doing and help them get to where they want to go, musically speaking.”
「バンドメンバーがやっていることを聴くんだ。そしてそのバンドメンバーが行きたい方向に行けるように助けるんだ。」
マッコイはこの<Blue World>でまさにこのお手本のようなことを披露してくれる。コルトレーンは、この時期の定番でペンタトニックスケールの応酬をしていた。ところがいきなりアウトする。37小節目、トラック1分58秒あたりだ。
これは手が滑ったのではない。コルトレーンは意識してE♭のVII7に当たるD7を挿入したのだ。つまり、これはコルトレーンがE♭ペンタから外に出たいという意思表示をした。それに対しマッコイは繰り返していたE♭ドリアンの長2度上がるコードパターンを崩した。コルトレーンが行きたい方向に導くために、というのが克明に聴こえて来る。41小節目、トラック2分8秒付近だ。採譜してみた。
最初のコード2つ、G♭Maj7(#11) とE♭-11は同じD♭メジャーから派生しているモードだが、続くE -11はモード全体を半音下げ、どこにでも移行出来るように導くと同時に、半音上げてアプローチ処理をして元に戻ることも可能にする。様子見だ。予想通り続くA♭9(Sus4) コードではまたモードに戻るが、続くコードはなんと半音ではなく全音下げている。ここで筆者がG♭9(Sus4) とせずにF#9(Sus4) としたのは、1回目の半音下げた場合と違い全音下げることによってはっきりと離脱する意思表明をしているからだ。音程で言えばそれまで存在しなかったBナチュラルとEナチュラルを提示して、ジョージ・ラッセルのリディアン・クロマチック・コンセプトで言うところのアウトゴーイング(浮力)移動をしているのだ。 そしてとうとうF#マイナーコードにまで進んでインプロバイザーに12の扉を提供しているのだ。このあとマッコイはこの踏み出して戻るという行為をどんどん発展させていくのでお楽しみ頂きたい。マッコイ実に恐るべし。マッコイの演奏、こんなにも奥が深かったことを今まで知らなかった自分を恥じる今回の楽曲解説ではあった。
このオフィシャル・プロモ動画でこの曲が聴ける。映像はこの白黒映画に緑の色を付けたものだ。お楽しみ頂きたい。