ヒロ・ホンシュクの楽曲解説 #40 Wayne Shorter <The Three Marias>
ウェイン・ショーターの新譜、といっても昨2018年の9月リリースだが、『Emanon(エマノン)』が今年のグラミー賞を受賞した。最優秀ジャズ・インストゥルメンタル・アルバム部門だ。ショーターのグラミー受賞は通算9回で、ダニーロ・ペレス(Danilo Perez)、ジョン・パティトゥッチ(John Patitucci)、ブライアン・ブレイド(Brian Blade)を率いて19年前の2000年に結成以来『Emanon』に至る現在も活動している「Footprints Quartet(フットプリンツ・カルテット)」では、2003年の『Alegría』と2005年の『Beyond the Sound Barrier』、そして筆者のお気に入りの『Without A Net』でも2014年に受賞している。
ショーターはこのグラミー授賞式で、自分が目指していることは “Take a trail less trodden” だと言った。非常にわかりにくい表現だが、「ユニークで実現困難なアイデアを実現させることにチャレンジする」というような意味だ。実際ショーターの言葉はいつも難解だ。このアルバム、『Emanon』を池田大作に捧げるとするほど熱心な創価学会の信者で、それと関係があるのかないのか常に宇宙的な漠然とした考えで話す。後述するビルボード誌のインタビュー記事では、ショーターはいつも50歩先を考えているから、意味不明な部分も多々あると最初に断り書きがあるほどだ。ショーターの偉大さは語りつくせない。
しかし筆者にとってショーターと言えば当然マイルスだ。ショーターのマイルス音楽に残した功績は計り知れない。
マイルス第2期黄金クインテット
ショーターがマイルスの第二期黄金カルテットに残した作品をリストにしてみた。
Title | Album | Date | Year |
E.S.P. | E.S.P. | January 20 | 1965 |
Iris | E.S.P. | January 22 | 1965 |
Orbits | Miles Smiles | October 25 | 1966 |
Footprints | Miles Smiles | October 25 | 1966 |
Dolores | Miles Smiles | October 25 | 1966 |
Prince of Darkness | Sorcerer | May 24 | 1967 |
Masqualero | Sorcerer | May 17 | 1967 |
Limbo | Sorcerer | May 16 | 1967 |
Vonetta | Sorcerer | May 16 | 1967 |
Nefertiti | Nefertiti | June 7 | 1967 |
Fall | Nefertiti | July 19 | 1967 |
Pinocchio | Nefertiti | July 19 | 1967 |
Paraphernalia | Miles in the Sky | January 16 | 1968 |
Sanctuary | Bitches Brew | August 19 | 1969 |
マイルスはコルトレーン脱退後、ショーターがアート・ブレイキーのジャズ・メッセンジャーズを抜ける1964年まで4年間辛抱強く待った。ようやっとショーターが自由の身になった時、マイルスはショーターにカリフォルニアへのファーストクラス航空券を送りつけ、リハーサルもなしに舞台に立たせた。ビルボード誌のインタビューによると、この直後マイルスはショーターが抱えていた譜面の束に目を通し、<E.S.P.>を見て「この水曜にこれを録音する」と言ったそうだ。恐るべしマイルス。
同インタビューの抜粋だが、マイルスがショーターに質問を投げかけた。「ウェイン、ようウェイン、音楽みたいなサウンドがする音楽を演奏することに飽き飽きすると思わないか?」これは実は質問ではない。なぜならマイルスはショーターの返事を待たずに「お前もそう思うよな。」と言って終わったそうだ。マイルスは何を言っているのか。つまり、練習して作られた音楽など糞食らえだ。何が起こるかわからないから面白いんだ、と言っているのだ。マイルス恐るべし。
ショーターのソロのタイム感
筆者にとってウェイン・ショーターはジャズの歴史でマイルスの次に重要ではないかと思う(コルトレーン・ファンの皆さんごめんなさい)。まず作曲のスタイルの特異さだ。全ての曲のアイデアが奇抜でかつスタンダードになるほど万人を魅了してきた。そしてその多くがモーダルなメロディーなのに、美しい。それぞれの曲でショーターの言いたいことはくっきりはっきりだ。モチーフはキャッチーで、一度聞いたら忘れられない。彼の大学での専攻は音楽教育である。いったいどこでこれだけの作曲法を学んだのだろうか。いや、マイルスが言うように、ショーターは学んだ音楽ではなく、天才的な感覚だけで書いていたのかも知れない。そしてショーターのテナーの音は唯一無二だ。コルトレーン系ではあるが、誰もショーターの音をコルトレーンと間違えない。マイルス同様驚くほど説得力のある音質なのだ。
だが筆者はショーターから距離を置いて来た。ジャズの勉強におけるもっとも重要なことはトランスクライブであるが、ショーターのソロのトランスクライブは不可能なのだ。その理由は、彼のタイム感が四次元だからだ。あれだけどこに居るか判断できないタイム感で、宝石を撒き散らしたような音の配置をし、それでなぜあんなにグルーヴして聞こえるのか。脅威である。あのタイム感は絶対にコピーできないし、実際ショーターのソロのタイム感で演奏する奏者を筆者は知らない。タイムが甘い訳ではない。なぜならアンサンブルの時はタイトな演奏をするからだ。昔、筆者がジャズを勉強し始めた頃、ショーターを聴く度にこの迷路から抜け出せなくなり、随分とイライラして過ごしたものだ。ところでトランスクライブとは音をコピーすることで終わっては決していけない。採譜などは慣れれば簡単だ。雑誌に掲載されているくらいだ。難しいのは、タイム感をコピーし、ぴったり合わせて演奏できるようにすることだ。
余談になるが最近一つ気になったことがあるのでここに書く。
日本で名のあるジャズ教育者があるソシアル・ネットワークで面白い書き込みをしていた。リズムとグルーヴの違いである。「リズムとはある一定のパルスを出している状態のことで、グルーヴとは文化だ。」とし、そして「マイルス第2期黄金クインテットは全員で走っているが、全員合意で走っているので、これがグルーヴだ。」と。グルーヴという概念が薄い、踵からではなくつま先から歩く日本人の文化でこういう誤解が生じるのは仕方がないことなのかも知れない。まずリズムとはパルスに対する譜面上のパターンのことだ。語源は古代ギリシャ語のリュトモスであり、形と言う意味だ。(日本では「リズムが悪い」という表現があるのかも知れないが、アメリカでは存在しない。「タイムが悪い」になる。だが問題は用語ではなく概念であることに注目して頂きたい。)マイルス第2期黄金クインテットは決して走っていない。まず「走る」という状態は誰が聞いても不愉快にどんどん速くなる状態を言う。この走ってしまう、またはどんどん遅れる演奏家はタイムが悪い、つまり体にパルスを維持する体内メトロノームが欠如していることを言い、そういう人間は残念ながらリズム・セクションには向いてない。
そしてマイルス第2期黄金クインテットは決して走っていない。その証拠にそれぞれの曲の最初と最後を聴き比べて見れば良い。速くなってはいない。日本で理解されていない概念は「ドライブ感」だろう。ドライブ感というのは推進力のことだが、これはジャンルによって違う。ブルースやファンクやロックならバックビートがビハインド・ザ・ビートでなければドライブしないし、ジャズならオン・トップ・オブ・ザ・ビートとビハインド・ザ・ビートが共存していなければドライブしない。
だがグルーヴは文化であるというのは正しい。アメリカ音楽のグルーヴは全て英語の喋り方から生まれ、ラテン音楽のグルーヴは全てスペイン語の喋り方から生まれ、ブラジル音楽のグルーヴは全てブラジルのポルトガル語の喋り方から生まれている。そしてポルトガルの音楽のグルーヴはブラジル音楽よりラテン音楽に近い。なぜならポルトガルで話される言葉のタイム感はブラジルよりスペインに近いからだ。そしてアメリカ黒人音楽は例の黒人特有の喋り方と歩き方が大きく影響している。
ジャズは特異だ。我々がジャズと呼ぶビ・バップ以降のインプロ音楽は聴衆に対してと言うより仲間同士のジャム・セッションから派生しているから、民族音楽と同様聴衆を前提とする他の音楽とあり方が違う。そこで、聴衆を前提とする1対1の音楽に対し、ジャズのバンドをアメリカでよく目にする家族の披露の場と考えるとわかりやすいと思う。
アメリカのトラディッショナルな黒人家庭では母親が強い。映画などを観ていると、黒人の母親が左手を腰に当て、右手を振り上げて旦那や子供にまくし立てて怒るシーンがよくある。愛の囁きでも既婚黒人女性は旦那よりよく喋るという印象だ。このまくし立てて喋るタイム感はオン・トップ・オブ・ザ・ビートだ。これがベーシストの役割だ。父親は一家の主人で子供と遊ぶが、飲む打つなどするかもしれない。つまりドラマーの役割は父親であり、母親の役目である家族を引っ張ることと違い、楽しい家族生活を築く担当だ。母親と父親は子供をサポートするが、常に子供の行動を修正する用意をしていなければならない。年長の子供は年下の子供の面倒を見なければいけない。サポートしたり叱ったり。当然兄弟喧嘩のおまけ付きだ。これがピアノやギターなどの伴奏楽器の役目だ。そしてフロント楽器は一番責任のない末っ子達だ。つまりジャズコンボは家族構成の具現化なのだ。これがファンクやロックになると家族紹介ではなく、目的は色恋沙汰になり、対象は聴衆であり自分の相手に見立てる。だからバックビートがタイトにビハインド・ザ・ビートになる。そうでなければ効果的な色仕掛けにならないからだ。もしバックビートがオン・トップ・オブ・ザ・ビートならば自分勝手にせっかちに迫っているように聞こえるだろうし、オン・ザ・ビート(日本語ではジャスト)でメトロノーム位置なら無味乾燥な色気のない誘い方になる。このようにジャズが家族生活に似ているのに対し、大抵の他の音楽は1対1の状況から発生する。ちなみに政治的なメッセージを送るロックやフォークの曲も色恋と同様、自分と相手という1対1関係だ。
マイルス第2期黄金クインテットが脅威的なグルーヴを醸し出していた理由は、トニー・ウィリアムスが他の誰にも真似できないタイム感、つまりオン・トップ・オブ・ザ・ビートとビハインド・ザ・ビートを一人で自由自在に入れ替え、はちゃめちゃな若い父親役を努め、それに対しロン・カーターがトニーよりももっともっとオン・トップ・オブ・ザ・ビートでドライブしてはちゃめちゃ父さんをコントロールするスーパー母さん役を努めていたからだ。こんな超人技ができるリズム・セクションは他にいない。このオン・トップ・オブ・ザ・ビートとビハインド・ザ・ビートの概念は筆者の他の記事をご覧頂きたい(リンク→)。また、コルトレーン黄金カルテットのグルーヴに関する記事やキース・ジャレット・トリオのグルーヴに関する記事もご参照願いたい。
話を戻そう。ショーターがジャズ・メッセンジャーズにいた時の録音を聴くと明らかにタイム感が違う。当時は音もまだまだコルトレーンで、タイム感と言えば、まだまだドライブしているとは言えない。いずれにしても実に不可解なタイム感の人だ。それがマイルス・クインテットに入っていきなり水を得たようにドライブしている。ジャズ・メッセンジャーズではブレイキーが一人で全身でドライブしまくり、パルスに隙間を与えなかったからショーターとしては座り心地が悪かったのではないかと想像する。もちろんそう思っているのは筆者だけかも知れないのだが、マイルス第2期黄金クインテット参加以降のショーターのタイム感はこの世のものとは思えないのだ。
『Emanon』
EmanonとはNo Nameを逆に綴ったものだが、多くの場所で使われている。最初に思い当たるのはディジー・ギレスピ(日本ではガレスピー)の1955年作品の同名曲、そして1987年の同名アメリカSF映画作品(あまり評価は受けていないと思う)。日本では梶尾真治のSF小説シリーズが1983年に始まり、漫画化もされていると聞く。それと関係あるのかないのかサザン・オールスターズの同名曲が同時期に発表されている。ショーターは子供の頃からコミックブックを描き、日本の漫画にも精通しているらしいので、この『Emanon』は日本の影響だろうとする評もいくつかあった。真相は不明だ。ちなみにアメリカのコミックブックは日本の漫画と程遠い。筆者は未だにコミックブックに馴染めないでいる。日本の漫画と違い絵に動きが全く無く、写真のように静止した絵に無理やりセリフが与えられているように見え、欲求不満になってしまう。
さて、このアルバムは3枚組で、まず1枚目は<Pegasus>、<Prometheus Unbound>、<Lotus>、<The Three Marias>からなる50分以上に及ぶ4部作『Emanon』が、「the Orpheus Chamber Orchestra(オルフェウス・チェンバーオーケストラ)」と「Footprints Quartet」の共演で収められている。オーケストラ・パートも全てショーターの手による。<Pegasus>を除く3曲は他の数曲と共に2枚目と3枚目で「Footprints Quartet」によるライブ演奏が収録されている。そしてこのアルバムには84ページに及ぶコミックブックが付随しているらしい。らしい、というのは、筆者はブックレット付きのデジタルコピーを購入したのだが、ページ数はなんと46ページに縮小されていた。知っていればボックスセットを購入していたのに、と残念に思った。
ストーリーはショーター本人と脚本家Monica Sly(モニカ・スライ)の共作で、イラストはDCコミックスやマーベルコミックスで活躍するRandy DuBurke(ランディ・ダバーク)の手による。筆者が苦手なコミックブックの限られた46ページから読み取ったこのノベルの内容は、4つの星で活躍するヒーロー、エマノンの話らしい。ただし組曲とストーリーと直接の関係はないとショーターは強調する。実際<Pegasus>と<The Three Marias>は新曲ではない。そう考えるとどうも意図がつかめないが、天才ウェイン・ショーターのすることなので気にしないことにする。
話は戻るが、前述のショーターのビルボード誌でのインタビューでこんな一節があった。ショーターのマイルスの思い出の一つに、クラシックの曲を一緒に鑑賞してる時、このセクションじゃ自分のソロを入れるべきだ、などとコメントすることがあったらしい。そしてマイルスは他界する直前ショーターにオーケストラ曲を書いてくれるよう電話を入れ、弦のセクションに入ったら自分がソロを入れられるようにしろよ、と言ったらしい。
実は筆者はショーターのオーケストラ入りの録音があまり好きでない。『Without A Net』に収録されている<Pegasus>でもそう思った。新作もので有名なNYの「Imani Winds(イマニ吹奏楽団)」が、揃っていないだけではなく、イントネーション(日本語でピッチ)もひどい。これに対し『Alegría』でのオーケストラは随分とまともだ。それもそのはず、このアルバムのオーケストラはスタジオミュージシャンである。そう考えると「オルフェウス・チェンバー・オーケストラ」も「イマニ吹奏楽団」もジャズをバカにしているのではないかと疑ってしまう。ただし、ショーターのイントネーションもオーケストラ向きではない。それで嫌がられているのかも知れない。実際筆者はこのあたりも好きでない理由だ。『Emanon』の評でもオーケストラがフェードアウトしてカルテットのインプロが始まってホッとするというものもあった。もう一つ、アメリカではジャズが難しそうなクラシックの要素と融合することをありがたがるようなところがあるのも筆者は好きではない。ある評はショーターのオーケストラ・アレンジをコーポランドと賞賛していた。ただしこのアルバムはコーポランド基金がバックアップしているからだけなのかも知れないが。
「Footprints Quartet」
このカルテットは2000年に結成されたと言われているが、実際の初アルバム・リリースは2002年の『Footprints Live!』だ。ダニーロ・ペレス(p)、ジョン・パティトゥッチ(b)、ブライアン・ブレイド(ds)を得、ショーターは自分の今までの作品をフリーインプロで演奏し直すことを目的にし、5枚のアルバム中ライブ録音でないのは『Alegría』だけで、しかもこのカルテットが演奏しているのは3曲だけだ。この4人のインタープレイは驚異的で、多くの記事は、彼らはテレパシーでコミュニケートしているに違いないと賞賛している。ショーター本人は、このカルテットはマイルス第2期黄金クインテットのスリルを再現してくれるとコメントしている。自分の古い作品をフリーインプロで演奏し直すと言うアイデアがすごいと思う。作品のキャラクターに自信がなければできることではないことだし、実際にこのコンセプトを成功させているところがすごい。
筆者が初めてこのカルテットを聞いたのは『Without A Net』だった。このタイトルの意味は、危険を犯す、または冒険すると言うような意味で、実はタイトルに魅せられて購入した。パティトゥッチはチック・コリアのバンドで周知のように、ものすごいオン・トップ・オブ・ザ・ビートでドライブするベーシストだ。ペレスはパナマ人でラテン系のタイム感を持つが、ジャズのタイム感をしっかり習得しているだけではなく、ショーターのようにタイム感を4次元に飛ばすことができる奏者だ。そしてブライアン・ブレイドだ。初めて彼を見た時、アート・ブレイキーの再来かと思った。ドラミングが獣的なのだ。見ているだけでドキドキする。だがグルーヴ感はブレイキーと違いちゃんとベースにリードさせるので、実は筆者はブレイキーより好きになってしまった。ともかくパティトゥッチとブレイドのグルーヴを聴いているだけでワクワクする。ひとつ残念なのは、フリーインプロを目的とするカルテットなので、タイムで演奏するセクションが意外と少ないことだ。反対にここでペレスの魔術が効果を発揮する。タイムがないフリーなセクションも全く飽きない。もうひとつ面白いのは、ショーター以外全員がキース・ジャレットのごとく奇声を発しながら楽しみまくっている。ショーターが意図するようにこのバンドはライブ演奏あればこそのバンドだ。ここで前述の、ジャズは家族構成の披露であり、演奏家対聴衆の音楽のあり方と違うと言った筆者の意図をご理解いただけると嬉しい。このジャズの真髄はロバート・グラスパーの現在も継承されている。
筆者にとってこのカルテットでのショーターはマイルスだ。マイルスのバンドは、マイルスが常に無言のオーラでバンドをコントロールしていた。この「Footprints Quartet」もリズム・セクションが驚異的なインタープレイを楽しんでいるところを、ショーターが無言のオーラでコントロールしている。家族構成で言えば神童とその家族、と言ったところか。
<The Three Marias>
この曲のタイトルは、ショーター本人の説明によると、リスボンで言動の自由を妨げられて逮捕された三人のマリアという名の女性に捧げられたもので、一人はジャーナリスト、一人は劇作家、一人は詩人だったらしい。ただし三人のマリアという表現は聖書から伝わっている。十字架の元にも三人のマリアが居り、イエスの復活の場にも三人のマリアが居た。
この曲は1985年発表の『Atlantis』に収録されていた、かなり古い曲だ。だが、作曲作品としては恐ろしく完成されている。そしてソロセクションがないのも特徴だった。実は筆者はこのアルバムを聴きこんでいたわけではないのに、なんとこの曲だけははっきりと覚えており、『Emanon』で曲のタイトルが分かったものの収録アルバムが思い出せずに探し出すのに苦労した。そのうち『Atlantis』に収録されているオリジナルを詳しく楽曲解説で取り上げてみたいと思う。さて、この『Emanon』2枚目の冒頭で、おそらくショーターだと思うが口笛がモチーフを1小節だけ披露しただけで、そこから始まる27分にも及ぶフリーインプロがこの曲だとわかる。それほど強いキャラクターのモチーフなのだ。
原曲でもうひとつこの曲のキャラクターになっているベースのリズムパターンは、このフリーインプロのバージョンでは18分40秒あたりにパティトゥッチが短く挿入するにとどまっているが、この曲を聞き慣れた者には嬉しい挿入だ。
今から考えると1991年の映画、「ターミネーター2」のテーマはこのベースラインを拝借したのではないかと憶測してしまう。それほどキャラクターの強いパターンだ。
このセクションの後、ストレートビートが始まり、ペレスがガンガングルーヴしてソロを取り始めるが、ここでショーターが単音を散りばめて相槌を打ったりしてコントールしてるのが実に面白い。その後ショーターがソロを受け継いで顎が落ちるほどすごいソロを始めるが、徐々にペレスと同時ソロに盛り上がってどんどん変化していく。
このアルバム1枚目最後、つまり直前の曲も同曲だ。こちらはオーケストラ・バージョンで、筆者はどうにもオーケストラの演奏とショーターのオーケストラに対するイントネーションに不満で何回も聴く気にならないのだが、ショーターの編曲はさすがに面白い。原曲の重要なモチーフだけを残し、完璧に作曲し直している。ここでひとつ気が付いたのだが、ベースのパターンから発生したウェザー・リポート的な上行系のパターンを筆者はこの曲のもうひとつのモチーフであると考えていたのだが、今回『Emanon』に使われていないところをみるとそうではなかったらしい。よく考えて見れば、ウェザー・リポート系のサウンドを含めなかった理由がよく理解できるような気がする。
言葉で言い表せないショーターの凄さ、是非お楽しみください。
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