Hear, there and everywhere #16 追悼ヴァネッサ・ブレイ
text by Kenny Inaoka 稲岡邦彌
ポール・ブレイの未亡人であり、ヴァネッサ・ブレイの母親でもあるキャロル・ゴスから変わったメールが届いたのは (2019年) 12月 6日のことだった。
親愛なる友人たちと家族へ
みなさんのサポートにたいへん感謝しています。
ヴァネッサは私とおなじようにみなさんをとても愛しておりました。
ヴァネッサはみなさんがこのソロ・レコーディングに耳を傾けてくださることができるものと願っていたと確信しております。
このダウンロード・リンクは数日間で消えてしまいます。
ラヴ
キャロル
僕はまったく意味を解せないままあわてて音源をダウンロードし、キャロルに次のように返信した。
情報をありがとう。ダウンロードできましたのでできるだけ早い機会にじっくり聴いてみたいと思います。ところで、ポールの伝記はその後どうなりましたか?
アメリカの作家がポール・ブレイの自伝を執筆しており、日本で撮影されたポールの写真をできるだけ多く提供してほしいと依頼されていたからだ。
折り返し、キャロルからメールが届いた。そこには驚くべき事実が記されており、僕はその事実に頭が混乱し、終日心を落ち着けることができなかった。
親愛なるケニーへ
ヴァネッサのレコーディングを友だちに送りました。ポールが死んでからというものヴァネッサはずっと「生と死」について考え続けていたからです。
ポールの自伝『Stopping Time』はイタリア語に翻訳されイタリアで出版されます。英語圏用にはeBookで配信する予定です。執筆中の伝記については、直接下記へコンタクトしてください。
たくさんの愛をあなた、ケニーヘ
ヴァネッサがこの世からいなくなった...? ふたりの幼子を道連れに...?
そんなことはあり得ない、あり得るはずはない...。
少しは平安を取り戻した翌朝、おそるおそるウェッブで検索してみた。日本語で1件、英語で2件、彼らの死を伝えるニュースに出会った。間違いない、親子は自宅付近の道路でコントロールを失った対向車に正面から突っ込まれて車が大破、ほとんど即死状態だったようだ。母親だけ遺されなくて良かった、子供たちだけ遺されなくて良かった、など不埒な考えが頭をよぎった。
ヴァネッサと会ったのは一度だけ。キャロルから頼まれたポール・ブレイの愛弟子・藤井郷子とヴァネッサが出演できるスペースを必死に探した。突然の依頼で、しかも生ピアノが必要。藤井が渋谷のサラヴァ東京を探し出し、ポール・ブレイのファンというピアニスト山口コーイチを共演者に充てた。「コンサートにはピアノな夜」という素敵なタイトルが付けられた。関西をツアー中の藤井に代って僕が立会人になった。ポール・ブレイは僕自身のアイドルでもあり、ポールとは何度か創造の場を共有し、藤井とも1999年にはポールを招聘してツアーを組んだこともある。ヴァネッサはそのポールの娘であり、他人とは思えなかった。カリフォルニアでワイナリーを営むというパートナーも同行していた。幸せに包まれたふたりがそこにいたが、画家でもあるという彼は一度に家族のすべてを失ってしまった。
キャロルにはまだ慰めの言葉をかけられないでいる。
ヴァネッサの『生と死』も耳にすることはできないままだ。
偉大な父、ポール・ブレイの支配から逃れて、封印していたピアノを弾けるようになった。
これからはピアニストとしての道を歩みたいと決意を語っていたヴァネッサだったが...。