JazzTokyo

Jazz and Far Beyond

閲覧回数 55,446 回

特集『Bird 100: チャーリー・パーカー』Hear, there and everywhere 稲岡邦弥No. 269

#23 映画「バード (Bird)」

text by Kenny Inaoka 稲岡邦彌

映画『バード』(Bird)
監督:クリント・イーストウッド
脚本:ジョエル・オリアンスキー
製作:クリント・イーストウッド
製作総指揮:デイヴィッド・ヴァルデス
出演者:フォレスト・ウィテカー(チャーリー・パーカー)
ダイアン・ヴェノーラ(チャン・リチャードソン・パーカー)
音楽:レニー・ニーハウス
配給:ワーナー・ブラザース
公開:アメリカ/1988年9月30日 日本:1989年3月31日
上映時間:160分


本誌のコントリビュータ竹村洋子さんらがカンザス・シティで敢行したキム・パーカーへのインタヴューを読んだとき以来、5年ぶりに映画「バード」を見直した。キムさんが、映画「バード」は母親のチャン・リチャードソンの日記を下敷きに制作されたと発言していたからだ(チャンの日記は映画公開から10年後の1998年『My Life in Eb』のタイトルで公刊された)。キムさんは、バードと事実婚をしていたチャンの連れ子でバードが溺愛していた義娘だ。
映画の製作・監督はクリント・イーストウッド (1930~)。俳優として“マカロニ・ウェスタン”で3本、“ダーティー・ハリー”で5本のシリーズ化を果たしたクリントだが、早くから製作と監督に興味を示し(いずれも自分の意思を反映させる目的で)、「バード」を手がけるまでに10本以上の経験を積んでいた。クリントは早くから音楽にも馴染み、ピアノとフリューゲルホーンに親しんでいたという。長じてとくにジャズを愛好するようになり、その影響か息子のカイルはジャズ・ベーシストになりミュージシャンとして何度か日本を訪れている。また、クリントもカイルも作曲の手腕を発揮し、クリントは自作の映画の、カイルは。父親の映画を含め何本かの映画の音楽を何本か担当している。

そんなジャズ好きのクリントがジャズの歴史を変えた存在でありながらジャズ史上もっとも数奇な運命を辿った“バード”、チャーリー・パーカーの伝記映画の製作に手を染め自ら監督を務めたのも当然といえるだろう。悲運の天才とはいえジャズ・ミュージシャンの生涯を綴った映画の製作は商業的に旨味のあるものではなく、自ら製作プロダクションを経営していたクリント以外はあえて手を出さなかっただろうことも充分推察できる。何れにしてもクリント・イーストウッドの手によりチャーリー・パーカーの生涯を綴った160分の長編映画がこの世に遺されたのだ。この事実は重い。ジャズ・ファンは、“マカロニ・ウェスタン”や“ダーティー・ハリー”の稼ぎを「バード」に注ぎ込んでくれたクリント・イーストウッドに感謝の念を忘れてはいけない。そう、クリントは「バード」を製作した同じ年(1988年)に公開されたセロニアス・モンクのドキュメンタリー映画「ストレート・ノー・チェイサー」にも製作者の一員として名を連ねている。

実在したミュージシャンの伝記映画を製作する場合、いちばん問題になるのが演奏場面と音源である。演奏場面はなんとか取りつくろえても音楽そのものを再現することは困難だ。とくにバードのように即興パートが溢れ出る高速フレージングで構成されている場合は何者をもってしても不可能である。とはいえ、時代がかった音質の当時の演奏をそのまま使うことは不自然きわまりない。音楽を知悉するクリントが考案した妙手は、バードの演奏のみオリジナルを使い共演者の演奏を新たに録音し差し替えることだ。演奏には、モンティ・アレキサンダー(p)やレイ・ブラウン (b)、ロン・カーター(b)、レッド・ロドニー(tp) らが参加した。レッド・ロドニー  (1927~1994) はバードとつるんでいるうちにドラッグを覚えヘビー・ユーザーになっていき、映画でも重要な役割を負っている。製作時に現役を続けておりレイ・ブラウン (1926-2002) とともに協力することができた。バードの親友であったディジー・ガレスピー (1917~1993, tp)  も生存しており協力メンバーとしてクレジットされている。いかにバードが早生したかということだ。弱冠34歳!

映画は、バードの成長に沿っていくつかエピソードを拾っているが、胸を打たれるのは白人のチャン・リチャードソンとの事実婚生活。幸せな生活も束の間、バードのドラッグとアルコールの耽溺、愛娘の病死、自殺と負のスパイラルに落ち込んでいく。何冊かの伝記を通してすでに脳に刻み込まれた事実だが、映像の力は強い。カンヌで「主演男優賞」を受賞したウィトカーの演技も真に迫る。カウント・ベイシーとの唯一の接点でもあるジャム・セッションで、シットインしたバードの未熟でヨレヨレの演奏に立腹したドラムのジョー・ジョーンズがシンバルを投げつけるエピソード、バードの発奮を促すことになったのだが、猛烈に回転しながら空を飛ぶシンバルによってこの事実がバードのトラウマなったことを象徴させている。
唯一、不可思議なのは、伝記では検視医がバードの年齢を53と推察したと書かれ死亡診断書もあることからすでに公知の事実となっているのに、映画では65と誇張されていることだ。もうひとつ。些細なことだが、バードの住所Avenue BをBアベニューと訳す日本語のスーパー。Avenue BはあくまでアベニューBだ。愛娘の死を知ったバードが錯乱状態で何本も電報を打つ極め付けのシーンだけに興を削がれる。なお、タイトルの「BIRD」は “小鳥” ではなく、パーカーが愛好した ”チキン”(ヤードバード)に由来する。パーカーのアルバム・ジャケットに小鳥をあしらったデザインが使われているのはパーカーの優しさをイメージしたものかどうか、ご愛嬌である。

この映画「バード」は、1988年度のゴールデングローブ賞「監督賞」、カンヌ国際映画祭「主演男優賞(フォレスト・ウィテカー)」、ニューヨーク批評家協会賞「助演女優賞(ダイアン・ベノラ)」、アカデミー賞「音響賞」、をそれぞれ受賞、クリント・イーストウッドの労苦は少なからず報われたと思う。

なお、竹村洋子さんのチャンの娘キムさんへのインタヴューと新刊の『バード〜チャーリーパーカーの人生と音楽』を併せ読むことをお勧めする。素晴らしい相乗効果にしばし目がくらむ思いをする。

稲岡邦彌

稲岡邦彌 Kenny Inaoka 兵庫県伊丹市生まれ。1967年早大政経卒。2004年創刊以来Jazz Tokyo編集長。音楽プロデューサーとして「Nadja 21」レーベル主宰。著書に『新版 ECMの真実』(カンパニー社)、編著に『増補改訂版 ECM catalog』(東京キララ社)『及川公生のサウンド・レシピ』(ユニコム)、共著に『ジャズCDの名盤』(文春新書)。2021年度「日本ジャズ音楽協会」会長賞受賞。

コメントを残す

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください