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Jazz à la Mode 竹村洋子No. 239

ジャズ・ア・ラ・モード #8. レスター・ヤングのポークパイ・ハット

Lester Young’s Pork Pie Hat 

text by Yoko Takemura 竹村洋子
photos:Used by permission of the University of Missouri-Kansas City Libraries, Dr. Kenneth J. LaBudde Department of Special Collections
Courtesy of Fanny Dunfee Alaadeen

 

レスター・ウィリス・ヤング(Lester Willis Young、1909年8月27日 – 1959年3月15日)。幼少の頃から父親のリードするファミリー・バンドで演奏。19歳にして独立し、1933年にカンザス・シティに落ち着く。カウント・ベイシー楽団の花形テナーサックス・プレイヤーとして活躍し、チャーリー・パーカーのアイドルでもあった。その“漂うように流れる”ソロは独特のものであり、ビリー・ホリデイは『サックス奏者の代表』という意味で『プレジデント』略して『プレズ』と呼んでいた。

レスター・ヤングのポークパイ・ハットはあまりに有名で、彼のトレードマークとなっている。ポークパイ・ハットを被った数多くの写真が残されており、アルバムカバーにもなっている。(Lester Young -Live at Birdland 1953.1956)

レスター・ヤングがいつ頃からポークパイ・ハットを被っていたかは確かでないが、最初はフェードラ帽と呼ばれるフェルト製の中折れ帽に近いものをを被っていた。帽子のトップを縦に摘んだような凹みがあり、その前がつままれた形になっている。フランク・シナトラが愛用したいたことでも知られる。レスター・ヤングは最初被っていたフェードラ帽を、ある時自分でポークパイ・ハットに形を変えたようだ。おそらく1950年代のメンズファッション誌だと思うが、『How To Make A Pork Pie Hat』というレスター・ヤングがポークパイ・ハットの作り方を紹介している記事もある。

 

ポークパイ・ハットとはシルエットがイギリスのポークパイ(肉入りパイ)に似ていることからその名がつき、19世紀後半からイギリスを中心に流行した。
ポークパイ・ハットの特徴は短めで上向きのブリム(つば)とクラウンのトップ(頭頂部)が長円形に凹んでいるフォルムにある。
あらたまったスタイルだけでなく、カジュアルなシーンに於いても使い勝手がよく、季節によっても、変えられるように様々な素材がある。だいたいにおいて、たっぷり目のシルエットのズート・スーツにコーディネートされる。

 

レスター・ヤングが被っていたのは、おそらくフェルト地の極めてオーソドックスなものだと思われる。このポークパイ・ハットはレスター・ヤングの他にもイリノイ・ジャケイ他、多くのミュージシャン達が愛用していた。あの帽子好きで有名なセロニアスス・モンクだって被っていた時期がある。

 

 

レスター・ヤングのポークパイ・ハットが彼のトレードマークであるとともに、レスターヤングが偉大だったかは、1959年にベースの巨匠、チャーリー・ミンガスが<Good Bye Pork Pie Hat>という曲をレスター・ヤングに捧げていることからも解るだろう。1979年にはジョニ・ミッチェルが歌詞をつけて、レコーディングもしている。

ざっと訳すと、以下のような内容だ。

チャールズがレスターの事を語り出せば
いかに偉大な男が逝ってしまったかわかるだろう
あの暗い時代に光り輝いていた、
あのポークパイ・ハットをかぶっていた
甘くスウィングを奏でるあの男の事を

(中略)

真夜中に地下鉄から降りて地上に上がると、
タクシーのホーンやブレーキ音がまるで、
チャーリーのベースとレスターのサックスが奏でている様だ
ふたりの可愛いダンサーに会いにその音楽と共に向かって行くと
正にその時、「ポークパイハット」と言う名のネオンが輝くバーから
黒い子供が二人、ダンスしながら現れた…

このコラムの第1回目のイントロダクションに書いた、カンザス・シティの友人ファニー・ダンフィーの夫でサックス奏者、故アーマド・アラディーンは生前、時々ポークパイ・ハットを被って演奏していた。レスターヤングの曲を演奏する時だけに。レスター・ヤングに敬意を表して。

 

*Charles Mingus <Goodbye Pork Pie Hat >(Live At Montreux 1975)

*Joni・Michell <Goodbye Pork Pie Hat >

竹村洋子

竹村 洋子 Yoko Takemura 桑沢デザイン専修学校卒業後、ファッション・マーケティングの仕事に携わる。1996年より、NY、シカゴ、デトロイト、カンザス・シティを中心にアメリカのローカル・ジャズミュージシャン達と交流を深め、現在に至る。主として ミュージシャン間のコーディネーション、プロモーションを行う。Kansas City Jazz Ambassador 会員。KAWADE夢ムック『チャーリー・パーカー~モダン・ジャズの創造主』(2014)に寄稿。Kansas City Jazz Ambassador 誌『JAM』に2016年から不定期に寄稿。

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