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Jazz à la Mode 竹村洋子No. 285

ジャズ・ア・ラ・モード#52 ベッシー・スミスと“フラッパー”スタイル

52, Bessie Smith and Flapper style
text and illustration by Yoko Takemura 竹村洋子
photos: In Vogue Six Decades of Fashion : Georgina Howell,  Jazz ・A History of America’s Music: Geoffrey C. Ward & Ken Burns, Pinterestより引用

新しい年の始めに、このコラムの原点、ファッションと音楽が密接な関係にあった頃の1920年代に戻り、ベッシー・スミスのファッションをみてみよう。

ベッシー・スミス(1894.4.15~ 1937.9.26)。テネシー州チャタヌガー生まれの1920年代から1930年代にかけて活躍したブルース、ジャズ・シンガー。『ブルースの女帝』や『ブルースの皇后』とも呼ばれ、圧倒的な声量を誇りながら聴く者を包み込む様な歌い方で、その人気と名声は現在も語り継がれている。
アメリカ音楽史上極めて重要な存在であり、ビリー・ホリデイ、ダイナ・ワシントン、マヘリア・ジャクソン、ノラ・ジョーンズ、ジャニス・ジョプリンなどジャンルを問わず、その後の多くのシンガーたちに影響を与えた。

父親は聖職者だったがスミスが幼い頃に亡くなり、9歳になるまでには母親や兄弟も亡くなった。スミスは姉に育てられ、兄のギター演奏に合わせて街頭や酒場で歌ったりして生活費を稼ぐという哀れな子供時代を送った。
18歳の時、チャタヌガーで旅周り一座のオーディションに受かり、ダンサー、シンガーとして活動し始める。この一座には当時人気だったブルース・シンガーのマ・レイニーもおり、一緒に公演している。1920年頃までには、スミスは独自の道を行くようになり、劇場でのコンサートやツアーで活躍し、南部から中西部、東海岸へと評判となっていった。黒人ミュージシャンのエンターテイメント・ネットワークであるTOBA(シアター・オーナーズ・ブッキング・アソシエーション) に所属する最も重要なシンガーとなった。
ブルースは奴隷解放後(1865年)南部の白人支配下にあった自由のない黒人達の中から生まれた。彼らが日々の苦しみを紛らわすために、彼らの思いを歌い上げたことから始まった。19世紀後半に現在私たちが知っているような音楽形態として成立したと言われている。
1920年代にマ・レイニーやベッシー・スミスなど『クラシック・ブルース』と言われる女性ブルース・シンガー達が登場したのは、黒人の女性達がエンターテイメントの表舞台に出た、という極めて新しいことだった。
スミスは1923年からレコーディングを始め、1929年に録音した<セントルイス・ブルース: St. Louis Blues>、<どん底にあっても人は気づかず : Nobody Knows You When You’re Down And Out (金の切れ目は縁の切れ目のような歌詞)>はヒット・ナンバーとして特に有名。<セントルイス・ブルース>ではルイ・アームストロングと共演。他、コールマン・ホーキンス、フレッチャー・ヘンダーソン、ジェームス・P. ジョンソンなど錚々たる顔ぶれのジャズ・ミュージシャン達と共演し、160曲以上にもなる録音を残している。
1937年9月、メンフィス近郊で恋人が運転していた車の助手席に乗っていた時、トラックに衝突するという交通事故に遭った。搬送されたいくつかの白人専用の病院で診察を拒否され、黒人専用の病院に運び込まれた時にはすでに息絶えていた。43歳という若さだった。

ベッシー・スミスが活躍した1920~1930年代のアメリカの様子は、以前#49.カウント・ベイシーのモンキーバック・スーツにも書いた。アメリカは『狂乱のジャズエイジ』『狂乱の1920年代』とも言われた時代だった。特に第1次世界大戦後、1929年の世界大恐慌までは新しいものが次々と生まれ、好景気に湧き、女性達の社会進出も加速した時代だった。

*1920年代のベッシー・スミス

ファッションの世界においては、20世紀初頭に新しい風が吹き込まれた。ポール・ポワレはコルセットから女性を解放し、マドレーヌ・ヴィオネやガブリエル・シャネルといった女性デザイナー達がファションを牽引していった。

1920年代には、それ以前の古式ゆかしい女性のエレガンスを求める傾向とは全く違う新しい『ギャルソンヌ(garçonne )ファッション・スタイル』が登場した。ギャルソンヌは1922年に出版されたヴィクトワール・マルグリットによる女性解放を唱えた小説『ラ・ギャルソンヌ』より流行した言葉である。この小説の主人公は男性社会の中で自立して仕事をしていくために、女性らしさを排除した少年のような女性=ギャルソンヌとなった。ショート・ヘアで短いスカート丈の服を着てタバコを吸い酒を飲む、という姿だった。

『ギャルソンヌ・ファッション・スタイル』はフランスのデザイナー、ココ・シャネルが火付け役となり、フランスから流行が始まった。(ココ・シャネルは1960年代まで活躍し、彼女の創り出したシャネル・スーツやキルティングバッグなどは多くの女性の心を掴み、現在では誰もが知る世界有数のファッション・ブランドになった。)
シャネルは女性特有の胸と腰の膨らみやウエストのくびれを一切表さず平らに表現された筒状シルエットのドレス(膝頭が出る短い丈、ローウエストが特徴)やスーツなどを作った。その他、マリン・ルックや、男性の下着素材だったジャージーで作ったカジュアルなスーツやドレス、パンツ・スーツ、パラッツオ・パンツと呼ばれるロング・スカートのようなパンツなど、多くの新しいスタイルを生み出した。また、イミテーションのパールネックレスをジャラジャラつけたり、クローシュ・ハットも人気を得た。クローシュ・ハット(cloche 仏:釣り鐘)とはツバが狭くすこし下向きで、釣り鐘型の帽子のこと。

*1920年代のファッション

多くの著名人がこの新しいスタイルを受け入れ、フランスからあっという間にアメリカに渡り、『狂乱の’20年代』を背景として登場した『フラッパー:flapper』と呼ばれる女性たちの新しいスタイルとして全米に広まっていった。フラッパーは『古い伝統的価値観を覆し、奔放に振る舞う勝気な若い女性』というのが典型的なイメージだった。

アメリカではこの時代にジャズが流行し始める。禁酒法(1920~1933年)と重なる時代である。潜りの酒場や合法のクラブや会員制キャバレーなどに出入りしたのが、フラッパー達である。
フラッパー達は飲んで踊った。特に初期のアップテンポなジャズで当時流行したチャールストンやブラック・ボトムといった激しいダンスを踊るには、ギャルソンヌ・スタイルの短い丈の筒状シルエットのドレスはうってつけだったのだ。

スコット・フィッツジェラルド原作の『グレート・ギャツビー』を映画化した『華麗なるギャツビー』の1974年版、2013年版にこの当時の様子とファッションを見る事ができる。1974度に製作されたロバート・レッドフォード主演の映画の中のファッションは優雅さが強調されており、2013年度版のレオナルド・ディカプリオ主演版のファッションの方が派手でクドく描かれているが、こちらの方が当時の様子をより忠実に再現されているようだ。

1920年代のファッションは完結で分かり易かったが故に流行したが、同じ理由で飽きられていった。1929年の世界大恐慌を機として自由奔放なスタイルのファッションも後退し、再び女性の体の曲線を強調したエレガントなものへとなっていく。
1930年代に流行したものに、バイヤス方向に生地を用い、ドレープの美しさを出したドレスがある。これは、デザイナー、マドレーヌ・ヴィオネが考案したものとされ、ヴィオネは『バイヤスカットの女王』と言われた。ドレープは肩からウエスト、ヒップ、肘などを基点にして流れるようにデザインされ、エレガントなスタイルの服が発表されている。
シルエットはローウエストから正常なジャストウエストの位置に戻り、細身のライン。髪は再び長くなっていった。

1930年代は、新素材がファッションに花開き始めた時代でもあった。レーヨン素材はドレスやブラウス、スカート、靴下などに用いられ、ブラジャーとガードルの上に着る新しい下着であるスリップにも使われた。女性らしい体の曲線を強調したスタイルの復帰には伸縮性のあるエラスティック素材の下着が必須だった。

*1930年代のファッション

ベッシー・スミスのファッションは、1920年代~1930年代に流行った最も特徴的なスタイルである。やや太めの体型がハンディになっていた(?)かもしれないが、この時代を象徴するファッションだった。1920年代のスミスはまさにフラッパーでもあったのだ。残念なことにこの時代のスミスの全体像がわかる良い状態の写真はあまり残っていない。そしてスミスのファッションは、1930年代にはより女らしさを強調したスタイルに変わっていく。

*1930年代のベッシー・スミス

ベッシー・スミスはブルースを唄うシンガーであったが、新しいファッションで新しいパフォーマンスを披露する新しい時代を牽引する女性の一人でもあった。
細かい説明はいらないだろう。43歳と言う若さで逝ってしまった彼女の残された数少ない写真を見ると一目瞭然である。

*You-tubeリンクはベッシー・スミスの大ヒット曲<セントルイス・ブルース>。1929年の非常に貴重な映像が残っていた。ベッシー・スミスはクローシュ・ハットを被っている。

<セントルイス・ブルース:St. Louis Blues>Basie Smith

*参考文献
・In Vogue Six Decades of Fashion : Georgina Howell
・ファッションの歴史ー西洋服飾史、佐々井啓編書
・現代思想・1920年代の光と影
・初めての音楽史、ジェームス・M・バーダマン

竹村洋子

竹村 洋子 Yoko Takemura 桑沢デザイン専修学校卒業後、ファッション・マーケティングの仕事に携わる。1996年より、NY、シカゴ、デトロイト、カンザス・シティを中心にアメリカのローカル・ジャズミュージシャン達と交流を深め、現在に至る。主として ミュージシャン間のコーディネーション、プロモーションを行う。Kansas City Jazz Ambassador 会員。KAWADE夢ムック『チャーリー・パーカー~モダン・ジャズの創造主』(2014)に寄稿。Kansas City Jazz Ambassador 誌『JAM』に2016年から不定期に寄稿。

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