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Jazz Meets 杉田誠一~No. 201

Vol.61 白石かずこ

2010年 横浜・白楽 Bitches Brew for hipsters only
text by Seiichi SUGITA

sugita61

「クル・セ・ママ__」
いま(2010年11月6日)、最高の気分である。血がホットにさかまいているというか、逆流しているかのようである。気分は、サン・ラの『太陽中心世界』(ESP)。いま、ぼくたちは、“センター・オブ・ザ・ワールド”にいる。  詩人、白石かずことは、30年ぶり。沖至(tp)とは、2年ぶりである。今回も沖専用のブリキのバケツに水をため、「水との対話」を楽しむ。トランペットのアサガオを水の中に突っ込み、ささやくように、なめらかにうたう__。ぼくはいつも、タルコススキーの「水との対話」をオーバーラップさせる。とりわけ、『ストーカー』(1979年/ソ連)がさやかに浮上してくる。
「クル・セ・ママ__」
1966年7月17日、死のちょうど1年前に大阪<松竹座>で生と激烈に出会ったジョン・コルトレーン以来のめくるめく愉悦である。白石かずこは、まるで神秘的な市松人形のよう。御年80歳ときくが、黒髪をたなびかせ、まるで永遠の美少女のよう。マジにキュートである。このたび、セルヴィアの国際詩賞「スメデレボ金の鍵」賞を受賞。キンクマならぬ巨大なキンカギを授かったそう。  フカヒレのゴロンとした姿煮を沖と共に食す。こんなにも、セクシーな食事をする女を、ぼくはほかに知らない。年甲斐もなく、胸がキュンとしめつけられる。すこぶるいい女である。
「ここは、いつも暑すぎるか、寒すぎる」。60年夏、初めてニューヨークの地下鉄「Aトレーン」に乗り、ハーレムの秋吉敏子(p)の自宅へ行ったとき、白石のフレーズがスポンテイニアスに浮上してくる。
「クル・セ・ママ__」
白石の肉声と沖のトランペットが限りなくセクシーに交感する。沖は、トレーン以上にやさしくなめらかにうたう。
白石は「菩薩」なんぞではない。白石は、永遠の「ママ」である。ぼくは、胎内回帰にも似た深いやすらぎを覚える。白石は、断じて「海」なんぞではない。
一生で2度目の最高の愉悦である。
「クル・セ・ママ__」
白石かずこは、永遠の「ママ」である。
「こんな夜に、お前に乗れないなんて(忌野清志郎)。ひとり寝には、ふさわしい曲ではある。ニューヨークの<スタジオ・We>で、LP『生活向上委員会』をものにした。梅津和時(ts)がむせび泣く。
沖が別れぎわに力強くいい放つ。
「100まで生きような!!」
「今度はパリでね」
沖至は永遠の「パパ」である。即3度目の愉悦を予感する。わが“Bitches Brew for hipsters only”は、とめどのない血のざわめきを覚醒させる。ぼくは、いま、失われた時=ジャズを求めて再び彷徨し始めたばかりである。
なお、撮影は今回に限り畏弟Mによる。ぼくも、そろそろ、リコー・GXRでも買ってみようかしら。
そうそう、“センター・オブ・ザ・ワールド“を共有したアーティストは、佐藤えりか(b)、佐藤綾音(as)、JUNマシオ(perc)である。ゴ・キ・ゲ・ンだね。この愉悦を共に味わえたのだから。とめどのない血のざわめきが永続する。
「クル・セ・ママ__」
「クル・セ・パパ__」
「ママ」も「パパ」も懐(ふところ)が宇宙空間のように深い。両者とも気分はサン・ラの『太陽中心世界』であるはず。「ママ」はビートニクを通過し、「パパ」もフリージャズをすでに通過している。インプロヴァイズド・ポエムとインプロヴァイズド・ミュージックはフレッシュに交感しないわけはない。この種の趣向はおおいにマンネリ化の傾向にあるのだけれども、「ママ」と「パパ」はその数少ない例外である。白い和紙の巻き紙に丹念につむがれた言葉が床中に埋め尽くされる。
別れ際に、白石かずこ様が右手の甲にキスして下さる。真っ赤なルージュの香りがほのかに漂う。しばらくは手を洗わないでおこう。懐かしいこれは凛としたレッドカサブランカ・マンボの香りである。

杉田誠一

杉田誠一 Seiichi Sugita 1945年4月新潟県新発田市生まれ。獨協大学卒。1965年5月月刊『ジャズ』、1999年11月『Out there』をそれぞれ創刊。2006年12月横浜市白楽にカフェ・バー「Bitches Brew for hipsters only」を開く。著書に、『ジャズ幻視行』『ジャズ&ジャズ』『ぼくのジャズ感情旅行』他。

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