JAZZ meets 杉田誠一 #118「追悼 ファラオ・サンダース」
text & photo : Seiichi Sugita 杉田誠一
1972年7月、NYCはハーレム、マウント・モリス・パーク。
パーソネルの主軸にスタンリー・クラーク(b)。野外ステージ上には、おびただしいまでのアフリカ系打楽器が。
奏者はといえば、それまで公園で遊んでいた子どもたち。
ぼくにとっては、あの「2001年宇宙の旅」とは決して無縁ではない。
ツールとしての武器=楽器。
どこまでも留まることを知らない亡羊たる複合リズムを発火させたファラオ・サンダース(ts)。その激烈にして鋭く直裁に迫って来るソロは、巨星ジョン・コルトレーン最晩年の自己テロルとなる。
しかし、ラジカルと称されたソロは、ほんのちょっとしたきっかけにしか過ぎなかった。
史上最強のライバルを失ったファラオは、自己テロルという道は、選ばなかった。
インプロバイザー、ファラオとしての表現=表出は、一連のトレーンとの壮絶な対峙で限界であったと結論付けたい。
ファラオ・サンダース、ジョン・コルトレーン、それからアルバート・アイラーと、同時代に生きてしあわせである。
ぼくが初めて聴いたファラオのLPは「ファラオ・サンダース」(ESP)。
初めてであったライブは、コルトレーン来日公演@心斎橋松竹座、1966年7月17日。奇しくも、その1年後、トレーンは死去。
最も繰り返し聴いたLPはコルトレーン「ライブ・アット・ザ・ヴィレッジ・ヴァンガード・アゲイン」(インパルス)。
最後となったライブが、NYCハーレム@マウント・モリス・パーク。1972年7月。
心よりファラオ・サンダースさんのご冥福をお祈りいたします。
きっと「神の園」でピースフルな優しきうたをトレーンやアイラーとコラボっていることでしょう。
合掌。