風巻隆「風を歩く」から Vol.37「アメリカツアー 1992」
text by Takashi Kazamaki 風巻 隆
サンフランシスコで白い車体のクーガを借りて、二人分の楽器と機材、そして身の回りの荷物を積み込んで、東へ向かって国道80号線をひた走る。緑に包まれたシエラネバダの山並みを越えると、異様な、まるで月面のような岩山がそびえるユタの沙漠の中のどこまでも真っ直ぐな道を、速度を70マイル(113キロ)に設定しアクセルから足を離してハンドル操作だけで運転する。ミュンヘンに住むギタリストのカーレ・ラールとのデュオで世界を走り回った1992年のツアー、メキシコ・モンテレーでワークショップも含む濃密な10日間を過ごした後、ボクらは、別々にサンフランシスコへと向かった。
サンフランシスコでは長いこと東京に住んでいたナンシーを訪ねたりして、久しぶりにのんびりと過ごしていた。モンテレーで機内に預けたドラムケースがサンフランシスコに届かないトラブルもあったけど、次の日には空港に届いていた。カーレと二人でよく街を歩いて中古のレコードショップへ行ったりもし、食事などでチャイナタウンへ行くことも多く、グロッサリーで戦前の上海の歌姫、周璇(チョウ・シュアン)のカセットを見つけ、どんな音楽かも知らぬまま何本もカセットを買った。戦前のジャズと中国歌謡がミックスしたようなその音楽は二人で気に入ったので、長いドライブでよく聴いていた。
8月30日、サンフランシスコ「Elbo Room」は、バーの2階にあるライブスペースで、地元のミュージシャン、ジノ・ロベールの企画。ジノのバンド、クリーブランドから来た若い二人組とのジョイントで、ミュージシャン仲間が多く駆けつけてくれ西海岸のゆったりとしたノリがスペースに広がっていた。その年の春、舘林で出会ったテレサ・マルシスというアーティストも来てくれ、彼女のアパートで朝まで話し込む。9月2日はニッケルスドルフのフェスティバルで一緒になったピアニストのクリス・ブラウンが教鞭をとっている「Mills College」という女子大へ赴き、彼のクラスでカーレとデュオで演奏する。
9月4日、サンフランシスコで車を借り、ベイブリッジを渡ってオークランドへ向かう。「The Heinz Club」という前衛的な音楽もできるクラブでのライブ。「Improvised Music Association(IMA)」というチームを率いて「FREEWAY」という即興音楽をめぐる小冊子を発行しているマイルズ・ボイスンという音楽家/プロデューサーの企画したライブ。地元のバンドの出演したあとのラストセットだったので盛り上がりはイマイチだった。次の日からはコロラド州ボールダーまで2日間で2000キロの車の旅。ネバダの沙漠、ユタの塩の大地や赤い断層を駆け抜けて、コロラドの山岳地帯の牧草地までたどりつく。
9月6日、コロラド州ボールダー。アメリカの即興演奏界の重鎮ジャック・ライトの企画で、倉庫を改装したプライベートなスタジオでライブを行う。次のライブまで少し時間があったので、翌日にはロッキー山脈のエステスパークへドライブする。アスリートが高地トレーニングをする空気がうすい3000メートルを超える山で、残雪なのか氷河なのか白いものも見える雄大な景色に圧倒される。9月9日、ニューメキシコ州アルバカーキ。トム・グラルニックという即興演奏家が運営している「Outpost Performance Space」というところで彼のバンドとのライブ。とても和やかで、アットホームな雰囲気だ。
9月10日、ニューメキシコ州サンタフェへ。「the aerial」というタイトルで即興演奏や前衛的な音楽のコンピレーションCDを製作しているスティーブ・ピータースを訪ねる。売れるか売れないかで動くことが多いニューヨークの音楽シーンとは違って、いい音楽を広く紹介するといった彼のスタンスは、アメリカの良心といったものだろう。古い貨物の駅を改装した「Railyard Performance Center」でのライブには地元のアーティストが多く集まってくれた。ここも地元のミュージシャン、ドゥワイト・ループの企画。ディーンとジョディーという若いアーティスト夫婦の住む「泥の家」で、一晩お世話になった。
アメリカの中西部にはネイティブ・アメリカンの居留地が多くあり、タオス・プエブロなど観光地もいくつかあるけれど、都会を離れ、自然と共に暮らす生活を求めるアーティストも多く住んでいて、ボクらのライブにはそうしたアーティストも多く駆けつけてくれた。アドビという泥の家はネイティブ・アメリカンの伝統的な住居スタイルで、夏は涼しく、冬は暖かいのだろう。夜はとても暗く、夜更かしなどとてもできそうもないけれど、翌朝、緑の溢れる庭でジョディーと話し込む。彼女はモザイクのアーティストなのだが、ボクの母方の祖父も、国立競技場にモザイクの作品を作った、アーティストだったのだ。
泊まる場所はいつも別々だったけれど、朝には再会しカーレとの朝食はいつもメキシカンだった。また二人でクーガに乗り込み、森の中の砂利道を通って緑の深いアパッチの渓谷へも足を運ぶ。また、グランドキャニオンにも似た赤土の断層を通り抜け、国道40号を南へ下りフェニックスへと向かう。9月12日、アリゾナ州フェニックスの「Gallery X」という心地いいほど雑然としたスペースで、地元のミュージシャンでレコード屋を営むピ-ター・レーガンの企画したライブにデュオで出演する。彼もノイズバンドを率いて演奏し、スーリンやデーヴィッドという友人達が駆けつけてくれ仲良しになる。
翌日にはスーリンの家へ招かれバーベキューパーティー。メキシコのボヘミアというビールを飲み、一人息子のタイとキャッチボールする。のんびりとした時間を過ごしたあと、中西部のツアーの最終地ツーソンへ向かう。9月15日、アリゾナ州ツーソンの「Downtown Performance Center」というこれまた雑然としたロフトだ。ここに住むスティーブ・アイの企画したライブには20人程のお客さんが集まってくれ、のびのびとリラックスした空気が広がっている。ライブの後には地元のラジオ局へ出掛け夜中の番組に出演する。ロフトの屋根裏から屋上へ出ると、遠くの赤土の山々に稲妻が光っている。
スティーブのパートナー、シンダを誘ってメキシカンの朝食をとる。朝から暑い日が続き、レモンのスライスが入ったアイスティーがおいしい。中西部の即興音楽シーンは、自身もミュージシャンであるオーガナイザーの献身的な活動で成り立っていることがよくわかる。カーレ・ラールもかつてミュンヘンで「TAPE」というスペースを切り盛りしていたし、ボクもまた東京で自主的なコンサートを長年続けてきた。この頃の写真を見返すと、部活をしている高校生のような日焼けをしていて、メキシコ~サンフランススコ~中西部と続いたツアーは、スパイシーなメキシコ料理で乗り切った暑い日々だった。
フェニックスへ戻り、カーレは一足先に飛び立ち、ボクも翌日にはニューヨークへ入る。今回のニューヨークは1週間ほどで、ライブの予定はない。ボクが滞在したのはジューン・シーガルという黒人のダンサーの家、彼女はダニー・デイビスの友人でサン・ラ・アルケストラとも活動していた人、その前年に来日し東京でダンスの神蔵香保さんと一緒に公演をしたことがあった。チェルシーにある彼女の家の近くにはメキシカンは無かったので、デリでダブルエスプレッソとミッドイーストサンドを買うのが朝食の定番になる。中東料理はかつてニッティングファクトリーで作っていた思い出深い味がする。
ニューヨークで行った唯一の音楽活動はレコーディングだった。9月23日、ソーホーのロフトの地下にあるギタリスト増尾好秋さんのプライベートスタジオ「The Studio」で、若いエンジニアの内藤克彦さんに録音をお願いした。録音に参加したのは、トロンボーンの河野優彦と、ベースのウィリアム・パーカー。録音は7時間にわたり、珍しくウィリアムはチェロも演奏したのだけれど、全体的にはウィリアムの作り出す骨太のジャズのクルーヴに乗っかって、トロンボーンとギターがフロントラインに立ち、パカッションは演奏の流れを方向付けていき、他の演奏を鼓舞しながら、メリハリを作っていった。
90年の春にニューヨークを訪れたときに、河野さん、ウィリアムさんとは一緒にライブをしていたけれど、レコーディングはエリオット・シャープやクリスチャン・マークレイ、トム・コラといった面々だったので、ニューヨークのダウンタウンの音楽のもう一つの側面としてぜひコラボレーションしたい方達だった。この時の録音は、この年の6月13日のタリン「EESTI RADIO」でのデュオ、6月27日のサンクトペテルブルグのヴィンセント・カリノフとのライブ録音と合わせて、1994年、TAKASHI KAZAMAKI & KALLE LAAR名義で、Ear-Rational レコードからCD「Floating Frames」としてリリースされた。
9月27日、ニューヨークでまた車を借り、オハイオ州クリーブランドへ向かう。1992年のワールドツアーの最終地、「Peabody’s Down Under」というライブスペースで地元のデニス・マックスフィールドが企画した「SONIC DISTURBANCE / NEW MUSIC ACROSS AMERICA」というフェスティバルにカーレとのデュオで出演した。1979年から1990年までニューヨークから始まり全米を巡った「New Music America」という音楽の実験を繰り広げたフェスティバルを総括するようなイベントとして、この年「NEW MUSIC ACROSS AMERICA」が全米各地で行われた。クリーブランドでは9月20日から10月4日までの6日間、マーク・リボ、エリオット・シャープ、ゼヴ、ジンヒ・キム、ボルビトマグースと豪華なラインナップだ。
ニューヨークでは悲しい光景を目にした。かつてデニス・チャールズと「New Ear」フェスティバルで演奏したイーストヴィレッジのトンプキンススクエアパークのバンドシェル(野外ステージ)がホームレス対策として取り壊されていた。キレイに整備された公園にはドッグランがあり、近くに住むリッチな住民が秋の日射しを浴び、飼い犬との午后を楽しんでいた。