JazzTokyo

Jazz and Far Beyond

閲覧回数 43,705 回

”稀代の興行師” 鯉沼利成の世界No. 278

”稀代の興行師” 鯉沼利成さんの思い出 #5『ドン・チェリー・ファミリー 1974』

text & photos by Mitsuhiro Sugawara 菅原光博
photos ©1974 Mitsuhiro Sugawara @五反田郵便貯金ホール 1974.5.6

ジャズカメラマンを目指して上京して、憧れのジャズ・ミュージシャン達を間近で撮影できるのは、何とも嬉しくまた贅沢な時間でもあった!
ライブ中のステージ間近のすぐ真下で、またリハーサル時のミュージシャンのすぐ間近で素晴らしい生音の音色を直接に聞けた事、そしてその姿や豊かな表情等を見られた事は、まさに念願の素晴らしいジャズの生体験であった!

そしてどんなにレコードを高額なハイエンド・オーディオの良音で聴いても、その音は生のジャズ音に比べれば何処か違う音だったし、あたり前の事だがそれは録音された疑似音であった!

72年3月に上京してから、マル・ウォルドロン、セシル・テイラー、アート・アンサンブル・オブ・シカゴ、CTIオールスターズ等など次々と同時代の先端のジャズライブを取材を通して聴くことができた!

そんな中でも通常のジャズライブとは、まったく違ったド肝を抜かれたライブが、ドン・チェリーの演奏だった!
まるでチベット仏教の寺院の中の様なカラフルな幕(モキ・チェリー夫人のキルト作品)が背景に下げられていて、その前で子供や奥さんも参加してのファミリーバンドだったのだ!
そのサウンドもフリージャズや前衛的な音も超えて、宗教的な音や民族音楽の要素も含むドン・チェリーの独特でナチュラルな音楽だった!(背後から富樫雅彦さんが薄くリズムを送り出していたことをあとで知った)
最初は座壇に座って演奏していたが、途中から立ち上がり動き出して宗教的な儀式のようでもあった!
こんな珍しい音楽を聴けたのも、鯉沼利成氏の招聘があったからこそだった!
なお、このときまだ幼なかったふたりの子供は成人してネナ・チェリー (1964~)、イーグル・アイ・チェリー (1971~)としてボーカル界で活躍するようになった。

♪ 関連記事
ドン・チェリー(望月由美 )
https://jazztokyo.org/column/a-view-with-notes/post-10155/

菅原光博

1949年、北海道上川郡愛別町生まれ。ワークショツプ写真学校細江英公教室OB。1973年1月よりジャズを中心に、レゲエ、ブルース、ソウル系コンサートを内外で取材開始、雑誌、ジャケット、ポスター等をメデイアとする。著作に、『田川律+菅原光博/ジャマイカの風と光』(1984 音楽の友社刊)、『菅原光博+藤田正/ボブ・マーリー よみがえるレゲエ・レジェンド』(2014 Pヴァイン)。 https://mitsuhiro-sugawara.wixsite.com/photographer

コメントを残す

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください