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小野健彦の Live after LiveNo. 272

小野健彦のLive after Live #117~#123

text & photos by Takehiko Ono 小野健彦

#117 10月8日(木)
横浜エアジン
http://www.airegin.yokohama/

小林洋子 (piano-solo)

多くの人が待ち望んだこの時だったと思う。
それは今宵ライブの現場に実際に脚を運んだ人々にとっては勿論のこと、ライブ配信を通じてその場に自らの想いを寄せたお客様も、今宵の場を企画・提案したこのハコのご亭主も。また、今夜の主役の彼女とこれまでにその音創りを共有した多くの仲間達も、そうして、何より当のご本人が...。
私の今夜のライブの現場は@横浜エアジン。
ピアニスト小林洋子氏の自身初となる入魂のソロ・アルバム『BEYOND THE FOREST』の発売記念ライブ。
私は、幸いにも先週末に他所で行われた洋子さんのライブ会場で先んじて現物を入手していたが、当然僅か数日ではとても聴き込むには至らなかった。もっとも(私の性格上)予習としてチラリとでも聴く気持ちなんて更々なかったけれど。だから今日のライブについてそれとの比較でものをいうことは出来ないし、するつもりもない。
CDの冒頭にも収められた「月時雨(石庭の雨)」から極く静かに始められた今宵のステージ、CD収録曲が中心の構成。その全てについて出自の詳細は知る由もないが、そのどの楽曲も骨格がしっかりとしていて、また、その語り口は、実に堂々としたものだった。まるで、全体として流れるように一編の物語が紡がれてゆくような、おおいに聴き応えのある構成に度々息を飲むことに。
洋子さんの心象風景のうつろひと共にあったこの2時間。
とにかく、そこには赤裸々に生々しくこの時を生き切ろうとする洋子さんが居た。
しかし、このライブが終わると、直ぐに洋子さんの頭は切り替わる。約2年前の復帰後からの主戦場である、池長一美氏との TTT(The Third Tribe)に加え、各種duoプロジェクト、更には旧友達と新たに結成するTEAM TUCKSの活動も始動する。もはや、誰も彼女の勢いを止めることなどできはしない。掛け替えのないこの時、洋子さんの見据える世界は果てしなく遠く、広い。
そんな洋子さんと心を寄せ合い、そのランウェイを彼女らしく颯爽と歩いて行く姿を同時代で眺め続けられるなんて何とも幸せなことではないか。

#118 10月10日(土)
茅ヶ崎 Jazz & Booze ストーリービル
http://www.jazz-storyville.com/

山口真文 (ts) 田中奈緒子(p)

私の今宵のライブは@茅ヶ崎ストリービル。
台風14号が日本列島に接近し、超荒天予想の中とて、タクシーを飛ばせば30分以内で尚且つ安全に行けるのだから、そこは行かない手はない、と自宅を飛び出した。
しかし、巡り合わせというのは本当にあるのだと実感する。私は、ほんの1ヶ月前のライブ・レポートで、「私はテナーサックスに目がない」と前置きした上で、しかし、この方とはタイミング合わずでその夜がやっと3回目だと書いた。それがもう、再会の機会を得ることが出来たのだから。
そう、今夜の主役はサックスの山口真文氏だ。
今宵は、そんな真文さんをじっくりと聴くには最適の編成。ピアノとのDUO。そのピアノの椅子には、若手注目株の田中奈緒子氏(彼女は、かのシナロケ・鮎川誠氏と同じく「久留米ふるさと大使」も務めている)が座る。他の楽器も同様だが、特にテナーサックスの場合、その表情・ハート・肉声のすぐ先にそれがあるために、扱う人の人格が曝け出されると感じられるところに私は強く惹かれるのだと思う。
私は真文さんとは親しくお付き合いをさせて頂くような間柄ではないので、その人格を知る由もないが、基本的に紳士的かつ端正でいながら、時に熱く激しさを増すそのテナーとソプラノのプレイは、如何にも人間くさくそこにおおいに惹かれる訳である。対する奈緒子さんも、決してお行儀良いバッキングにとどまることはなく、随所で真文さんに挑むように、果敢にその音場に絶妙なスパイスを仕込んで行くのが何とも小気味良い。辛味の効いた隠し味を含んだまろ味たっぷりの味わい。これはくせになりそうだ。

#119  10月16日(金)
稲毛 Jazz Spot Candy
http://blog.livedoor.jp/jazzspotcandy/

山崎比呂志(ds) 加藤崇之 (g) 永田利樹 (b) 近藤直司(sax)

今宵、私のライブの現場は、@千葉県・稲毛キャンディ。今年の1/17に今夜と全く同じメンバーでのショーケースを聴いて以来2度目の訪問となった。
このコロナ禍で、「かくも長き不在」の煮湯を飲まされたことは数えきれない程あったけれど、今宵のお目当ての表現者とは、その時間の長さだけでは済まされないことから、私自身にとっては格別な再会の夜となった。
山崎比呂志:ジャズドラマー。1940年3月東京生まれ。現在は、茨城県鹿嶋市在住。
かの伝説の「銀巴里セッション」にも参画し、その後は、先鋭的ギタリスト高柳昌行氏や夭折のアルトサックス奏者阿部薫氏らと行動を共にし、その後も各種の革新的なユニットで積極的な活動を続けて来た逸材。とまあ、ここまでは、山崎氏を語る上での比較的通り一片の紹介フレーズということにもなろうが、私が力説したいのは、この後だ。
それは、ここに更に加えて、近年では、鬼才ギタリスト・大友良英氏との断続的ではあるが極めて濃密な表現活動を共有すると共に、特に昨年からは、フリーフォーム・ジャズの可能性を更に追求すべく、盟友のベーシスト井野信義氏と共に TRYANGLE プロジェクトを出帆させ、毎回、創造的な表現者を招いての意欲的な活動を行っている齢80歳にしてまさに現在進行形の表現者である、という点だ。
その山崎氏との再会は、2/14新宿ビットイン以来。しかし、この8ヶ月の間、私は氏と一週間に一度は電話で互いの近況を会話する機会を得ていた。それはまるで、存命であれば85歳を迎える我がオヤジのことが気に掛かり、ついダイヤルを回して仕舞う、という状態だったといっても良い。
2/14の纐纈雅代氏を迎えた TRYANGLE 以降、3/27・28の傘寿バースデー記念ライブに続けて5月に予定されていた新プロジェクト発進等が相次いで中止・延期となり、更に6月には、今夜のメンバーでの当地でのライブも直前に断念せざるを得ない状況になるに及び、氏の表面的には気丈さを見せながらその内実の落胆振りは、電話口の声からも痛々しい程であった。
しかし、その後私はそこで決して立ち止まらない真の表現者の姿を痛切に思い知らされることになる。
その忸怩たる想いを振り払うかのように、自宅内にフリー用のドラムセットを組み日々休むことなく不断の自主練を重ねると共に、ある時には、自宅から程近い鹿嶋アントラーズスタジアム横の野原まで出かけて行ってひとりドラムセットを組み立て、改めて、自分の音に「耳をスマス」ことまでされたようである。
今宵は、そんな自らの信じた美を創造し追求することにその一生を捧げて来たひとりの表現者が、前進することをとめられたところから再起する記念すべき夜。
そのお供には、これまたそんな夜に遜色のない歴戦の強者が揃った。ギター加藤崇之氏、ベース永田利樹氏、そうして各種サックスに近藤直司氏である。
果たして、1stセットの中盤までは、山崎さん自身、久しぶりのライブの現場の感触をためつすがめつという感じの状態が続いた。しかし、その後、加藤氏の天空をうかがうかのような印象的な長音、永田氏の弾かれ擦られる弦による明快な句読点、近藤氏のツボを得た鋭い撥音が入り混じり、四身一体のイントネーションが心地良く聴こえ始めた頃には、その音場は俄然その潮目を変えた。以降の山崎さんは、なんとも瑞々しく鮮烈なまでに弾けに弾けた。最早そこでは、フリーだ、インブロだ、オーソドックスだという前に、共演者も聴き人も、そうしてこの8ヶ月を共に戦かった相棒の瑞江夫人も、皆が山崎比呂志の熱い鼓動をしかと受け止めるのに必死だった。

#120 10月17日(土)
西荻窪・アケタの店
http://www.aketa.org/

渡辺勝(vo) 竹田裕美子(vo,p, accordion)  松倉如子(vo,鳴り物,g)

(少し大袈裟だが)遂にこの日がやって来た。
四囲の状況を慎重に考慮して、最近では主に自宅近場の神奈川県内を中心に回遊していた私の「Live after Live」も、いよいよ本丸の東京都心部へと攻め入ることに。
今夜のライブの現場は西荻窪。西荻窪と言えば、7月後半の4夜連続以来の訪問。最近私は冗談めかして、中央線の色も忘れてしまうほどです、なんて言っていた。それ程、以前の私にはライブ行脚の欠くべからざる交通手段であったのだから。もっとも、今日のような悪天候の日には、湘南からわざわざ出てゆくことはなかっただろう。しかし、そこは不幸中の幸い。昨夜の千葉・稲毛でのライブの後、中野坂上の常宿まで移動していたので、丸の内線と総武線を乗り継いでの比較的楽な移動となった。(それでも開場時間の間際は雨が強まったので、傘のさせない私は、駅からハコまであんなに近いのにタクシー移動を強いられたが)。ということで、今夜のライブは@アケタの店。
今夜のステージには、8/1の氏の古希BD記念ライブで念願の初体験を果たした唄歌いの渡辺勝氏が、かのアーリータイムス・ストリングス・バンド時代からの盟友・竹田裕美子氏を伴って登場した。更にゲストには、最近、勝さんとの共演の機会も多い愛弟子の松倉如子氏がクレジットされていた。
ここで唐突に、「2時間ドラマ」というと、何だか安っぽい印象を持たれたる向きも多いと思われるが、今宵の夫々に個性的な3人の役者が自らの世界観を余すことなく表現した、緻密に構成された約2時間のステージは、全体として「戯曲」の印象をも強く受けるクールでエレガントなものであった。勝さんの、憂いとたゆたいの表情をみせながら朗々と唄い込んで行く姿には、やはり圧倒的な説得力があったし、竹田さんは、母なる大地とでもいう優しさでそれを柔らかく受け止めていた。そうして松倉さんの、時にキュートで可笑しみのある道化ともみえる振る舞いは、場を停滞させない効果的なアクセントを産み出していた。皆が、夫々の唄に込められた想いを聴き人にひとつひとつ丁寧に伝えて行こうとする姿がなんとも印象的だ。大仰ではないけれど、静かに心を鷲掴みにされた夜だった。

#121 10月23日(金)
町田 Jazz Coffee & Whisky Nica’s
http://nicas.html.xdomain.jp/

山本剛 (p)大隅寿男 (ds) 香川裕史 (b)

牡蠣の美味い季節が本格的にやって来た。
しかし、牡蠣って素材は、その調理の仕方もバラエティに富んで、また合わせる酒もオールマイティときているから大したものだと思う。
おっと、いきなり脱線から始まりましたが、私の今夜のライブの現場は@町田ニカズ。
今夜のバンドスタンドには、燻銀の男達のピアノトリオが登場した。ピアノ山本剛氏、ドラムス(お太鼓)大隅寿男氏、ベース(大きいバイオリン)香川裕史氏の面々である。(お太鼓)(大きいバイオリン)は剛さんMCより。元岡マスターをして「この年季の入った(80年代?からの)トリオを聴かないと今年が終わらない感じです。」と言わしめたユニットの登場に、こちら聴き人の期待も大きく膨らむ。
果たして、数多のライブの現場や、venus recordsレーベルでの諸作品を通して、互いに気心の知れたこのヴィンテージ・トリオの脚まわりは、至極快適で、盤石の一言に尽きた。扱う素材は、耳慣れた所謂ジャズ・スタンダードが多く取り上げられたが、それを各人がなんとも新鮮味溢れた解釈で料理して行く様は、おおいに聴き応えのあるものだった。
小粋に、そうしてダイナミックにと、どんどんと音像を畳みかけつつ、その音場に強烈なドライヴをかけてゆく。
これが極上のSWINGってやつか!?私も今宵は、今までに余り体験したことのない身体の揺れ迄感じることに。
三人の表現者達が、まずは自分に、次に共演者に、更に聴き人に、そうしてハコ全体へと「楽しさの魔法」をかけながら進んで行くそのステージ。次々に用意された佳曲達が、名料理人の手により素早く下拵えされ、更にその場の空気を当意即妙に掴んだアレンジが施されながら、完成し、テンポ良く提供されて来る。
一曲一曲は勿論独立して高いレベルの一品として仕上げられているけれども、約2時間のステージを通して、そんな逸品達がぶつかり合うことなく、全体が調和のとれた贅沢なフルコースの様に仕立てられたこのひととき。そのコースのサーブの順番(構成)も絶妙で、だいぶ場も温まった2ndセットの中盤、4ビートのドライヴで気持ちを更に弾ませた後で、優しさ溢れる宮沢賢治の〈星めぐりの歌〉で場を鎮め陶酔に誘ったかと思うと、〈Polkadots & Moonbeams〉を呼び水にしながら急速調の<Look Of Love> に転じたくだりはなんともメリハリがあって良かったし、本編最終盤の、哀愁と熱情溢れた〈Besame Mucho〉からの剛さん十八番の〈Misty〉そうして一呼吸置いてから繰り出された本日のラストチューン〈A Hard Day’s Night〉は華やかな幕切れに相応しく圧巻だった。
ヴィンテージ・トリオによる秋の味覚の数々、堪能させて頂きました。

#122 10月24日(土)
下北沢 レディジェーン
https://bigtory.jp/

原田依幸 (p) 林栄一 (as)

そう、今宵のライブは、題して「霜降(そうこう)の候」
今夜の現場は@下北沢レディジェーン。1975年に創業され、以来下北沢文化の隆盛を見守り続けて来たこの地の雄たる老舗のハコである。
こちらは、その全てのライブについて、ご亭主・大木雄高氏による、時季を得た麗しき魅力的な響きを持つ日本語等を冠した印象的なコピーと共に氏の夫々の宵に向けた想いの籠もった含蓄のある小文が添えられている点が聴き人の想像力をおおいに刺激する実に魅力的なハコでもある。
「霜降の候」は、季節の挨拶にも使われるが、二十四節気のひとつ、太陽黄経が210度を指す日をさす。現行の太陽暦では、10/23-24日頃にあたるということのようだ。
そんな今宵のステージに招かれたのは、ピアニストの原田依幸氏とアルトサックスの林栄一氏である。共に秀逸なる美の錬金術師として、その先鋭的な活動に数多く接して来た表現者であるが、私は両者の交歓を目撃するのは今回が初めて。約30分強×2ステージ+数分のアンコールという刹那に咲いたふたりの語らいは、疾走し、うずくまり、瞬時に構築し、解体しながら、時として、幽幻さをも醸し出しながら、鮮烈を極めた。

#123 10月27日(火)
成城学園前 アトリエ第Q芸術
https://www.seijoatelierq.com/

CuniCo (語り・演出)大由鬼山(尺八)ケミー西丘(p)

今宵の私のライブの現場はだいぶお久しぶりの@成城学園前アトリエ第Q芸術。
ここで一寸「Q」のことなど。
その公式HPによれば、こちらは、「ひとつの夢」と「2つのルーツ」に依っている場ということになる。
前者は、2017/9の設立趣旨が「演劇・ダンス・朗読などすべての表現芸術のためのアートスペースを作るというもの」であり、後者は、こちらの建物が「かつては日本画家・高山辰雄氏が起居し、アトリエとした場所である」ことと共に、そのチーフディレクターが「かの明大前・キッド・アイラック・ホールのスタッフ・早川誠司氏である」ことから、その2つの流れが混ざり合う処であることを指す。
私はこれまでに、故・斎藤徹氏や蜂谷真紀氏の公演で幾度かお邪魔したことがあったが、その瀟洒な建物に思いがげす内包される天井高のベニヤ張りの空間がなんとも印象的で、それは私事で恐縮ながら、我が実家も同じく総ベニヤ張りの空間だったこともあってか、おおいに気の安まる場所として、再訪の機会を狙っていた。
と、随分前置きが長くなってしまったが、今夜は、芥川龍之介の「藪の中」。
語り手のCuniCoさんが自ら演出も行い、尺八の大由鬼山氏とピアノのケミー西丘氏と共に舞台に立った。照明(あかりの番人)は早川氏。
しかし、私が芥川龍之介に初めて触れたのは一体いつのことだったろう。無論、自ら進んで読んだ筈はなく、恐らく教科書の中か、夏休みの課題図書であったに違いないと思う。それが、「蜘蛛の糸」か、「杜子春」か、はたまた「河童」や「羅生門」であったかなどは今や到底思い出すことは出来ない。しかし、そのいずれにせよ、今回の公演企画の報を受けるまで、私は「藪の中」の存在を全く知らなかった。
元来、音楽にせよ、映画・舞台にせよ、予習というものは絶対しない私ではあるが、今回ばかりは違った。それは、この作品が今でもその物語の真相について議論がなされ続けているということを目にしたことに加えて、文庫本を手に取ると、そんな謎めいた内容が僅か20頁程の小品であるという事実を知ったからに他ならない。
さて、舞台である。
CuniCoさんが、自身のFacebookで〈上演台本、演出ノートより〉と題して記したのは、「誰が正しいのか、何が本当なのかを求めがちだが、それもある『カタチ』を保つための詭弁に過ぎない」だった。
その文を読んだ先入観からではないが、御三方の居並ぶ姿は、シェイクスピア戯曲かギリシャ悲劇でも演じられるのかとまで感じるられるある種の荘厳さをも醸し出しており、しかし、一旦その幕が切って落とされるやベニヤ張りの空間に囲まれて、簡単な立ち位置を除いて大袈裟な舞台装置などはなく、まさに素の状態で相見えた三人の表現者。
そこで表出されたのは、依ったtextの迷宮的な内容とは相反して、音楽・朗読劇表現としてナニモノからも解き放たれた、外連味のない極めて明快で素直な仕立てを持ったストーリーを宿した70分の絵巻物であった。心地よい緊張感の持続した実に見応えのあるひととき。

小野 健彦

小野健彦(Takehiko Ono) 1969年生まれ、出生直後から川崎で育つ。1992年、大阪に本社を置く某電器メーカーに就職。2012年、インドネシア・ジャカルタへ海外赴任1年後に現地にて脳梗塞を発症。後遺症による左半身片麻痺状態ながら勤務の合間にジャズ・ライヴ通いを続ける。。

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