小野健彦のLive after Live #175~#180
text and photo:Takehiko Ono 小野健彦
#175 8月19日(木)
jazz & gallery なってるハウス
http://www.knuttelhouse.com/
山崎比呂志TRY-ANGLE:山崎比呂志 (ds) 井野信義 (b) 大友良英 (g)
出演は、山崎比呂志氏 (DS)の TRY-ANGLE。無論、相方は、盟友の井野信義氏 (B) だが、今宵お二人が迎えたゲストは、大友良英氏(G)。
それは、本年6/23の高柳’jojo’昌行氏没後30年に合わせて、山崎氏と、写真家であり越生・山猫軒のご亭主でもある南達雄氏の発意を受け、自ら献身的なお手伝い役に徹した大友氏並びに卓越した表現者達の賛同により実現した企画「30 years after/without Masayuki Takayanagi- いくつもの自転するものたち-」のいわば vol.3 でもあった。
遡ること6月開催の前2夜は、大入りのお客様の賑わいと出演者諸氏の独創的な熱演を得て、共に大成功理に幕を閉じたが、肝心の山崎氏の大きな達成感と充足感の表情の中に、一抹の淋しさを見出したのも山崎氏の近くに居るものとして偽らざるところであった。それは、かつての高柳氏のグループの中に在って共に切磋琢磨し、時に辛酸を舐めて来た井野氏が、スケジュールの都合で両夜共に参加が叶わなかったことによるものが大きかった様に思う。それだけに今宵、その井野氏と共に高柳氏の精神の流れを汲む大友氏を迎えられたことは、この閉塞感に満ちた日常に差し込んだ一縷の嬉しい光であったことは想像に難くない。
それはそうとして、肝心の「音」である。
私としては、その編成におおいに興味をそそられた。それは、これまで幾度となく接して来た TRY-ANGLE であるが、これまでのゲスト参加はホーン奏者だけだったため、今宵初めて弦楽器のプレイヤーを迎えたからである。
往年の高柳 G のナマに触れた方々は、80年台半ばの「Angry Waves」ユニット(主に高柳・山崎・井野の各氏)との比較をされるかもしれないが、私には時既に遅し。現在を思い切り楽しもうとの目論見。それは、当夜ご同行を頂いたピアニストの元岡一英氏も同様だったと思われる。
果たして、山崎氏と井野氏の掛け合いがサウンドの土台になる時(しなやかなタッチの4ビートや力強い土俗的なリズムパターンも顔を出した)その上で、あるいは一瞬の隙間を縫いながら大友氏が稀代のメロディメーカーとしての横顔をもたげ、儚くも斬新な破滅的メロディを奏でる時間が流れて行った。
一方で鮮烈な迄に組みつほぐれつした三者の均衡が崩れた所には、唐突にベースとギターの弦楽器同士の麗しいハーモニーが立ち現れて来たりする。
山崎氏は終始泰然として、フリージャズが単なるスタイル/洋式からの離脱では無く、凝り固まった精神からの解脱だということを、その道の生証人として全身全霊を以って、いかにもこの方らしく「控えめに」示してくれているようにも感じられた。
こちら聴く側は頭で理解しようとしても到底追いつけない。身体全体の力を抜き虚心坦懐になって「浴びる」気構えをとらないと持って行かれそうになる程のサウンドの密度とスピード感。現在進行形というよりは、一点凝縮、現在形の音魂をぶつけられた、そんな清々しい夜だった。終演後の舞台には、かなり長めにかつ饒舌に高柳氏との逸話と自身の今後について語る山崎氏の姿があった。
#176 8月21日(土)
横浜・野毛 Jazz Spot ドルフィ
https://dolphy-jazzspot.com/
佐藤允彦 (p) 加藤真一 (b) 村上寛 (ds)
今夜は、一度間近でじっくりとそのナマのプレイに触れてみたいと思っていた表現者を聴きに横浜・野毛・ドルフィーへ。
その意中の人とは、佐藤允彦氏(P)である。
私はこれまでに、氏の (又は参画の) 意欲的なプロジェクトの数々(ソロピアノ、TON‐KLAMI、J.J.SPIRITS、RANDOOGA等)を聴いた経験はあったが、とりわけこのトリオで聴く機会を長らく狙っていた。愛聴盤の『戯楽』4部作をリリースしている加藤真一氏(B)と村上寛氏 (DS) のトリオだ。
果たして、トリオが紡いだ本編の全9曲は、W.ショーター及びT.モンク作品各1曲から、佐藤氏のオリジナル2曲、更には所謂スタンダード曲5曲等迄幅広い曲想に及んだが、いずれも鮮やかな構造美を描きこのトリオの底知れぬ力量に圧倒されることとなった。佐藤氏と同様私も趣味の落語になぞらえれば、それはいわば、極めて口跡明瞭な高座の如き味わいだったとでも言おうか。しかし、落語がひとりの演者が何人をも演じ分けるのに対して、このトリオは三人でひとりを演じ切っているように感じられた。それ程迄に御三方のザクザクとした直線的な一体感は、緊密の度合いを極めた。三人が各々ダイナミックに良く唄いながら、そこから次第に浮かび上がって来たのは、贅肉を削ぎ落とされた極めてしなやかな筋肉質のサウンドだった。
トリオのプレイからは、アレンジにからめとられた理屈っぽさは微塵も感じられず、より人間くさい肉感的抒情とでも言うものが色濃く感じられた。そうして充実の本編から一呼吸置いたアンコールには、翌日8/22に没後14年を迎えられる佐藤氏のソウルメイト・富樫雅彦氏の不朽の名作〈Waltz Step〉がこれ以上ない程の慈しみ深さを以って届けられたことも特筆しておきたい。因みに、佐藤氏のこの曲の紹介(マクラ)の締めは、「富樫さんは、時にドシャメシャに演ったこの曲を今日は普通に演ります。なにせ命日〈メイニチ〉の前の日〈メェノヒ〉なので」だった。以上、お後が宜しいようで。
#177 8月22日(日)
横浜・希望ヶ丘・Jazz Live house CASK
https://jazzlivecask.wixsite.com/cask-kibougaoka
岩崎佳子 (p) 稲葉国光 (b) 守新治 (ds)
さて、今日の演者のご紹介のイントロに、ここで唐突に問題です。
「枝豆やそら豆をすり潰して作る緑色のペーストで、これを餡にした餅菓子でも有名な宮城県の郷土料理は?」
はい、もうお分かりですね。それが答えです。共に仙台ご出身の岩崎佳子氏 (P)と守新治氏 (DS)〈私はお初〉に、それが大好物だという稲葉国光氏 (B) が加わった
その名も「ズンダトリオ」:「Trio De Zunda」の登場〈本邦初お披露目〉だ。
日曜日の昼間、「ズンダ」の響きが誘い水となったか、トリオは、多彩なリズムを纏わせた佳曲の数々を取り揃えてそのステージを進めて行った。
迷いの無い伸びやかな岩崎氏のピアノのトーンに、重厚感を漂わせながらもどこか飄々としたお茶目な印象をも醸し出す稲葉氏のベースラインが絡みつく。守氏は、「リズムパターンのデパート」よろしく、各々の楽曲の旨味を十二分に引き立たせるようなアイデア豊かな推進力のあるリズムワークでサウンド全体に絶妙な起伏と陰影を持たせるのに大きな役割りを果たして行った。緩急自在の4ビート有り、快活なボサノヴァ有り、懐の深いバラード有り、更には途中守氏と岩崎氏による地声の歌入りの宮城県民謡・斉太郎節〈さいたろぶし〉(take5調)や、サンバ調の岩崎氏オリジナル〈バルカローレ〉(チャイコフスキーの「舟唄」にオリジナル・メロディを組み合わせたもの)まで飛び出し、終始こちら聴く者を飽きさせまいとするステージ構成の妙にどんどん惹き込まれてゆく展開。目の前の三角形は次第に四角形に、台形に、更に星形へとその姿を変容させ、本篇最終盤に繰り出された岩崎氏が自らのテーマ曲と語った童謡〈春の小川〉(こちらは、ゴスペル〜ロック〜シャッフル調)に至っては、この時空全てを包み込むような大きな円形に迄鮮やかな変貌を遂げて行った。
ボトムに流れるリズムの要所を的確に押さえて外さない守氏に対し全幅の信頼を寄せ、そのサウンドの骨格を組み立てる賢明な判断を下したバンマス岩崎氏率いる「任せて安心」の嬉しいバンドとの出会いだった。私は明日からの一週間を乗り切る英気を頂き爽快な気分になってハコを後にした。しかし、休憩時間中に守氏と雑談をしている際、私の投げかけた守氏の最近の活動についての問いに対する「確かに、全般的に仕事は減っているけど、特に都心部では、もう何年も演ってないなあ」の氏の答えから、現在のジャズシーンの在り様の思いがけない盲点のようなものを感じるのは私だけだろうか?このトリオ、早速11/15には同所での再演も決定したようなので、是非共多くの方々に実際に足を運び体感して頂きたいものである。
#178 8月27日(金)
横濱エアジン
http://www.airegin.yokohama/
安田芙充央 (p) ソロ
今夜のステージには、同所では昨年10月以来のソロ公演となる安田芙充央氏 (P) が登場した。
その安田氏の自選作品集『My Choice』盤の紹介情報に依ると、20年に亘り協働を続けて来た独・WINTER&WINTERレーベルのプロデューサー:ステファン・ウィンター氏は、安田氏を「現代作曲家の中の詩人である」と評しているが、今宵初めて実際のステージを目撃して私が受けた印象は、より人間くさい「鍵盤の前の哲学者」とでも言うものであった。今宵の氏の演奏は、総じて何かに向けた懐疑的な予兆を孕みながらも興味深い示唆と含蓄に富み、エレガントでいながら時に意表をついて飛び出す諧謔的な語り口に支配された情緒の行間を鮮やかに泳ぎ切って行った。限られた88鍵では如何にも物足りないとばかりに、その小宇宙の全方位を俯瞰しつつ彷徨いながら、水平軌道と垂直軌道とを描く律動の交点で紡がれ湧き出るように立ち上がるピアニッシモからフォルテッシモに至る響きのダイナミクスに対して細やかに(言い換えれば執拗に)配慮して、構築と破壊の工程を慎重に組み立てつつ、自らの描く美の獲得を希求し、それらを限られた時間の中で実存する表現活動の中に収斂させんとするその真摯かつ端正な佇まいは、まさに行動し、実践する「職人肌の哲学者の在り様」として、私には強く映った。
しかし、6月から続いた高柳昌行氏 (G) の没後30年を辿る旅路の中で、高柳氏とも縁の深いこのハコで、同じくかつての重要な協働者のおひとりでもある安田氏とのご縁を頂けて、その意味でも個人的には今夜に拘った甲斐のある想い出に強く残るひとときだった。
#179 8月30日(日)
横浜 School & Jazz Club Far Out
http://www.jazz-farout.jp/jazz-club
蜂谷真紀 (p/vo) 鷲頭誠 (ds)
今日は、久しぶり(手帳で確認すると昨年10/4以来約1年振り)に彼女の仕事に触れたくなり、初訪問のハコ・横浜 Far Outへ。こちらのファーラウト、かつて厚木にあり、D.ベイリー、S.レイシーらも来演した同名のハコとは関係なく、「ジャズ詩大全」の著者でもあるピアニスト・村尾陸男氏がオーナーを努める音楽教室/ライブハウスである。(関内駅前の旧店舗時代から通算すると創業約20年とのこと)その昼のステージは、待望の再会となる蜂谷真紀氏(P/VO)と鷲頭誠氏(DS)〈私はお初〉のDUO。蜂谷氏の事前告知「初めての会場で、ドラムとの弾き語りで曲をやる予定」のフレーズに強く惹れ、「自分の勘」を信じて勇んで自宅を後にした。店は、ハマの中でも比較的ディープなエリア、日の出町~桜木町~伊勢崎長者町の真ん中に位置し、マンションの二階部分に少しいびつに張り出した店内にはなんとグランドピアノが2台置かれ、それはまるで村尾氏の秘密基地に招かれたような心地良さに浸っている中でのライブの幕開け。
果たして、ブラシに、マレットに、スティックにと、いずれもしなやかなタッチの鷲頭氏のドラミングを前に、ボイス・パフォーマーとしての自然児ハチヤ氏の横顔は少な目に、大きな世界観を描くピアノ弾き語り手としての圧倒的な存在感をまざまざと見せつけられるステージとなった。直感に賭けた曲目選択も納得の筋書きで、お得意のA.リンカーン物から、〈BIRD ALONE〉〈When There Is Love〉等をスピリチュアル・ムードで静謐にまとめ上げたかと思うと、D.エリントン物からの〈I’m Just A Lucky SoAnd So〉〈Mood Indigo〉.〈Black Butterfly〉等ではじっくりと聴かせにかかり、それらはこちら聴き人を腰で納得させる聴き応えのあるものとなった。他にも、蜂谷鷲頭両氏のアフリカン・フリーの体内リズムが見事に一致して発露した、〈Come Rain Or Come Shine〉や鷲頭氏の〈Salt Peanuts〉の発声を絡めたフリードラミングに蜂谷氏が〈Deep River〉を掛け合わせて行くくだりでは、互いに我が意を得たりのフィーリングを存分に味わっている様子がこちらにも強く伝わって来て大きな見せ場のひとつになって行った。
そうしてなんと約3時間・3セットに及んだ充実のステージのアンコールには、蜂谷氏が古澤良治郎氏からいつもリクエストされていたという二曲〈I’ll Be Seeing You〉と(こちらは私が度々彼女にリクエストさせて頂く)〈That’s All What I Want From You〉が切々としたトーンで供され、これにて圧巻のDUOパフォーマンスの幕が下ろされた。しかし、実は今日のLALはこれで終わらなかった。
蜂谷鷲頭DUOの興奮もさめやらぬままコーラで喉を潤していると間もなく時計の針が18時をまわり、なんとご亭主の村尾さんが、バイオリンの中村裕子さんを伴ってピアノの椅子に腰をおろした。私は急遽予定を変更し、蜂谷さんと並んでの夜の部の鑑賞タイムの始まり。そこからはもう、円熟の村尾ワールドのオンパレード。著名スタンダード曲を中心に、其々にまつわる史実等の解説を丁寧に加えながら、ピアノに唄にと至極味わいのある小粋なサウンドを届けてくれた。しかし、思い返して、実に盛り沢山な内容の充実した一日だった。
#180 9月3日(金)
町田 Jazz Coffee & Whisky Nica’s
http://nicas.html.xdomain.jp/
池田篤 (as) 熊谷ヤスマサ (p) 池尻洋史 (b) 濱田省吾 (ds)
今宵は、池田篤氏(AS)〈私はお初〉のレギュラーカルテットが町田ニカズに登場した。
バンド結成は実に7年前迄遡るという、固い信頼感で結ばれ進化の道程を共有して来た不動の仲間達は、熊谷ヤスマサ氏 (P)、池尻洋史氏 (B)、濱田省吾氏 (DS)の面々。
ここでいささか唐突に、私は個人的にはお見合いの経験もなければ、仲人をしたこともない。
しかし、待望の表現者との初顔合わせは、やはりその場所に拘った。至った結論が、今夜の表現者とのお見合いは、ここニカズでなければならないというものだった。
(聴き人と演者の双方にとって)ご亭主/マスターの目配りが十分に行き届き、肝心の音楽にじっくりと浸れるという意味では、このハコは、現在の私の行動圏内では指折りの場所と言える。
さて、話を前に進めよう。
長きに亘り活動を共にしている「バンド」故に、当然のことながらそのまとまりは申し分ない。中でも、やはり極め付き、リーダー池田氏の、一プレイヤーとして決してはしゃぐことのない抑えたトーンの姿勢と語り口から産み出されるなんとも説得力のある独創的な音の連なりには、度々ハッとさせられた。
一方で、リーダーとしてのバンドへの接し方も実に興味深いものがあった。氏は決してバンドサウンドを無理にコントロールしようとはしない。
メンバーに対して、自分が「どこへ向かっているかは分かってくれているよな」とでも言いたげに、無心に吹き込んで行くのだが、最終的には、不思議とどの曲も収まるべきところに収まって行き、実に腑に落ちるのである。
そうして、リーダー共々、気持ち良く、その意図した着地点に誘われるこのバンドにかかると、一曲一曲は簡潔明瞭にして鮮やかな短編のドラマに仕立て上げながらも、更に、一夜のステージを通して聴き終えてみると、場面毎に効果的に配置された様々な曲想の織り重ね方の妙を得て、全体として構成のしっかりとした噛み応えのある戯曲に仕立て上げられていて、私はこの四人の役者達の働きにおおいに感心させられてしまった。ひとりひとりが最優秀主演男優賞であり最優秀助演男優賞であると共に、最優秀監督賞のこの「池田組」の、ここニカズになんとも相応しいダレない、ブレない実直なバンドサウンドに酔わされた夜だった。
既にかなり長くなったが、今暫くお付き合いを願いたい。
最後に、今日池田氏のライブの現場での音創りに初めてじっくりと触れてみて、やはり、その師である辛島文雄氏の音楽の往き方を濃厚に受け継いでおられるなあ、と随所に強く感じた。特に、バンドにドライブをかけて行く際の、バンドリーダーとして音を静かに畳み掛けるその様は、辛島師に似て有無を言わせない緊迫感の極みを描いていたのが特に印象的だった。しかし思い返せば、私は辛島氏とはその最晩年に運良く直接のご縁を頂けたのだが、最初の出会いは私が14歳の1983年秋頃、自らのトリオ(w桜井郁雄氏&日野元彦氏)に、L.コリエルをゲストに迎えた『Round Midnight』盤のレコ発(この時のGは渡辺香津美氏)@新宿ピットイン(伊勢丹P裏)」を[家族恒例の晴れの日「朝鮮焼肉」(←何故かオヤジはこう言い続けた)会食@新宿コマ劇場裏・千山閣の後で]オヤジに連れられて観に行った時にまで遡り、まさにここから私と日本人のジャズとの付き合いが始まった訳で、あれから約40年が経過して新たな表現者との得難いご縁を得た当夜は、なんだか輪廻の第二章である様な気がしてならないのが今の実感である。まだまだ進化の中途にあるのであろうこのバンド・サウンドとの再会が今から待ち遠しい。