Reflection of Music Vol. 93 エヴ・リセール
エヴ・リセール @メールス・フェスティヴァル2023
Eve Risser @Moers Festival, May 28, 2023
photo & text by Kazue Yokoi 横井一江
私がエヴ・リセールの名前を知ったのは十数年前に遡る。メールス・フェスティヴァルのプログラムを眺めていて「ドンキー・モンキー Donkey Monkey」の名前を見つけた時だったので、多分2010年だったと思う。「ドンキー・モンキー」はストラスブール国立音楽院で学んでいた時に知り合った大島祐子と始めたアヴァン・ジャズ・ロック・ポップなデュオ。その年はメールスには行っていないので実際の演奏は目にしていないが、その面白いネーミングのためか興味を惹かれ、どのようなバンドなのかとググったことを思い出す。ちなみに大島祐子は、藤井郷子Trio SANトリオのメンバーとして昨2022年はヨーロッパ、今2023年は日本をツアーしている(→リンク)。
あらためてピアニストとしてのエヴ・リセールに着目したのは、Clean Feedからリリースされたプリペアード・ピアノ・ソロ・アルバム『des pas sur la neige(雪の上の足音)』(→リンク)を聴いた時だ。「ドンキー・モンキー」とは対照的な内省的とも言えるアルバムで、日本的な美学に通じる感性も窺える。大島のハツラツとしたドラミングにリズミックなピアノで応えていたリセールがこのようなCDをリリースしたのが意外だった。しかし、音楽院でピアノとフルートを学んだというバックグラウンド、多彩な音楽に触れてきたことを考えると納得がいく。プリペアード・ピアノや内部奏法が特徴的なピアニストというとフランスではソフィ・アニュエル Sophie Agnel の名前がすぐ出てくるが、またひとり異なった才能を知ることができたのが嬉しかった。
2009年から2013年にかけてリセールはフランス国立ジャズ・オーケストラ Orchestre national de jazz (ONJ) のピアニストを務めている。ONJの経験が後に自身でラージ・プロジェクトをスタートさせるひとつの契機になったことは想像に難くない。また、多くのジャズ/即興音楽のミュージシャンがそうであるように多様なプロジェクトやセッションに参加してきた。「ザ・ニュー・ソングス」(ソフィア・イェルンベルグ Sofia Jernberg (vo)、ダヴィッド・スタケナスDavid Stackenas (g)、キム・ミール Kim Myhr (g, zither)、パスカル・ニゲンケンペル Pascal Niggenkemper (b) など2000年代から2010年代に頭角を現してきたミュージシャンとの共演盤をUmlaut Records や Clean Feed などからリリースしている。
その後、リセールはホワイト・デザート・オーケストラ White Desert Orchestra を立ち上げ、2015年フェスティヴァル・バンリュー・ブリューやメールス・フェスティヴァルに出演した。このオーケストラを見たのは翌2016年のベルリン・ジャズ祭だった。そのレポートで私はこう書いている。
バンドらしい演奏も垣間見せるが、即興演奏も作品の中にとけ込み、会場全体を包み込むようなサウンド・テクスチャー、そこに入り込むノイズがイマジナティヴな空間を創出する。音響効果の巧みな用い方、多層的な構成は独自のもので、ピアニストとしてはプリペアード奏法も駆使する彼女の作品性、音楽的志向がオーケストラにもよく現れていた。その感性はこのオーケストラにも参加しているアイヴィン・ロンニング (tp) などの北欧の若手ミュージシャン達とも相通じるものがあるように思う。終演後の暖かい拍手とスタンディング・オベーションが若手への大きな期待を伝えていた。(→リンク)
ホワイト・デザート・オーケストラと入れ替えるように、彼女は新たにレッド・デザート・オーケストラ Red Desert Orchestra を立ち上げ、2019年にFestival Sons d’hiver で初演。その後コロナ禍で活動が難しい時期もあったが、昨2022年には『Eurythmia』(Clean Feed)をリリースしている。メールスでの演奏は、CDと同じ「Eurythmia」というプログラムだった。レッド・デザート・オーケストラはアフリカとヨーロッパのミュージシャンによるハイブリッドなオーケストラで、ジャンベやバラフォンなどのアフリカの楽器、西洋楽器、エレクトロニクスという多彩なセクションを持つ。異なるバックグラウンド、音楽言語を持つミュージシャンを融合させることは一筋縄ではいかない。しかし、ミュージシャンの前に譜面は置かれていなかった。作品は練習で皆がそれを覚え、譜面は用いずに演奏しているのだという。演奏を重ねることによって当然のことながら新たなヴァージョンが生まれる。それを勘案するとこのオーケストラは長期的視野に立ったプロジェクトだといえる。リセールは「私と友人のためにこのオーケストラをミニ・ユートピアとして、異なる背景や文化、性別、社会階級を持つさまざまな人々を組み合わせて創る。そこにはユートピアは世界の大事な部分であるという考えもある」という。それは現代社会のあるべき方向性を示唆しているように思える。西アフリカとヨーロッパのミュージシャンが織りなす有機的で快活なサウンドは聴衆を大いに楽しませていた。リセールは、レッド・デザート・オーケストラとほぼ同時期にスタートさせたマリの女性ミュージシャン6人とのバンドを加えた「コゴババシギ Kogoba Basigui」というプログラムでも活動している。
リセールがこのようなプロジェクトを行うに至った背景には、若い頃アナリーゼや現代音楽の演奏を沢山やり、そこから知的なオーガズムは得られたが、何かが欠けている気がして、家ではリズミカルな演奏をしていたという体験があるのだろう。フランスでは日本と違い、アフリカ起源のリズムや音楽は割と身近にあり、パリでは彼女達とアフリカにルーツを持つミュージシャンと普通にバンドで一緒に演奏することもある。このようなことからレッド・デザート・オーケストラなどのアイデアが必然的に生まれたと言っていいだろう。ここには、シリアスな音楽とは異なった陽気さがある。音楽は彼女の手の内にあるが、自由なスペースでスポンテニアスな演奏が展開するのだ。
Eve Risser Red Desert Orchestra at Moers Festival 2023
これまでリセールについて書かれた記事を読むと、フェミニスト的な視点からか、尊敬するミュージシャンにカーラ・ブレイの名前があったり、ジョエル・レアンドレからの影響についても触れられていた。私との会話では高瀬アキをリスペクトしていると語っていた。マリー・ビュスカート著、中條千晴訳の『女性ジャズミュージシャンの社会学』(青土社、2023)を読むと、フランスの女性ジャズミュージシャンを取り巻く状況は、同じヨーロッパでもドイツあたりとは随分と違うようで、女性ゆえの難しさがあるようだ。ドイツのジャズ祭のラインナップはジェンダー比を意識しているかどうかは不明だが女性がリーダーのバンドも多いし、ジャズ関連の賞の受賞者も女性が随分といる。日本でも多くの女性ミュージシャンが活躍していることは周知のとおり。文化的な背景、それを取り巻く状況の違いにはあるにせよ、彼女は自然体で創造的な活動を継続している。
エヴ・リセールの活動を通して見ると今世紀のジャズ/即興音楽の動向もまた見えてくる。現在の活動にはフリージャズの時代とは異なった社会性もまた反映されているように思う。今後も彼女の活動に注視していきたい。
注:これまでEve Risserのカタカナ表記をイヴ・リッサとしてきましたが、フランス語の発音に倣ってエヴ・リセールにしました。
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CD Review #1263『Eve Risser/des pas sur la neige』
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