カーラ・ブレイ『Escalator Over The Hill』と前後したラージアンサンブル作品の音像について by 吉田隆一
text by Ryuichi Yoshida 吉田隆一
カーラ・ブレイ『Escalator Over The Hill』(JCOA/WATT/1971年)はとても異様なアルバムです。それは音楽の指向がポール・ヘインズによるテキスト=現代詩の抽象性と完璧に嚙み合った結果だと私は考えています。音楽単体でこの異様さに辿り着いたのではないはずです。
とはいえ、その製作過程は私にとって謎の多いものでした。カバー演奏を長年夢想していましたが、できればその為に解き明かしておきたい「過程の謎」がありました。それを知らないと、意図を読み違える可能性があるからです。言い方を変えれば……それさえ知っておけば、再現困難(あるいは再現不能)な部分をどうしたら良いのかがわかるはずなのです。何処をどう抽出すべきなのか……難しくともどうしても外せない部分、省略しても良い部分、置き換え可能な部分の、編曲上の見極めができるようになります。
そこで見つけたのがカーラ自身によるコチラのテキストです。
“Accomplishing Escalator over the Hill (by Carla Bley)”
https://ethaniverson.com/accomplishing-escalator-over-the-hill-by-carla-bley/
カーラの言説は常に(どこか毒のある)ユーモアに満ちています。しかしながらこの『Escalator Over The Hill』製作記は、ユーモアは交えているものの事実関係とその感想についてストレートな内容と言えます。
これを読むことで様々な謎が解けました。さらに、『Escalator Over The Hill』以外のアルバムにまつわる疑問について推測するためのヒントもあったのです。本文ではその「カーラにまつわる疑問と推測」について語ろうと思います。
カーラ・ブレイ・バンド名義のアルバム『Musique Mecanique』(WATT/1979年)には、かの『Liberation Music Orchestra』(Impulse!/1970年)収録楽曲のカバーが「Other Spanish Strains」という表題で収録されています。カーラ楽曲の中でも「古い」曲である「Jesus Maria」を前後にはさんだメドレーとなっており、いわばカーラのキャリアを振り返るようなパートになっています。しかし私はこの「Other Spanish Strains」を聴くたびに不思議に感じていました。
音楽の印象は人それぞれなので、この感想は私だけなのかも知れませんが……『Liberation Music Orchestra』のもつ切実さよりも、カーラらしいユーモアの方が前面に押し出されているように聴こえるのです。編曲は大きく変わっているようには思えませんし、演奏者も重要なパートがかぶっています。マイケル・マントラーのトランペット、ラズウェル・ラッドのトロンボーン、なによりヘイデン自身がゲスト参加しています。にもかかわらずこの印象の違いは何に由来するのでしょう。私は「音像」ではないか、と考えました。
このアルバムは(当時の)カーラの共同作業者であるマイケル・マントラーが録音を担当しています。してみるとこの音像はカーラの意図であるはずです。私が疑問に思ったのは「毒の強めなユーモア」なのか、あるいは「カーラの平常通りのユーモアで他意はない」のか……?という点でした。そしてそれを推測するためのヒントが、先の『Escalator Over The Hill』製作記にあったのです。そのまま引用します。
“We started right in, planning to raise the rest of the money after we had something to play for prospective donors. After a lot of negotiations we decided to use RCA studios. I had enjoyed working with Ray Hall, one of their staff engineers, while recording A GENUINE TONG FUNERAL a few years before.”
『Escalator Over The Hill』の録音は数年にわたります。その最初の大人数による録音はRCAのスタジオにて、レイ・ホールのエンジニアリングによって行われました。こののち紆余曲折があり、録音は様々なシチュエーション(オーバーダブ含む)で行われることになりますが、重要なのは、最初の録音に、カーラがゲイリー・バートン『葬送』(RCA/1968年)を録音した同じスタジオと同じエンジニアを選んだことなのです。おそらくは(予算など)様々な悪条件がなければ同じ環境で全て録音をしたかったはずなのですが……
カーラ・ブレイが作曲と編曲を担当し、カーラ率いるホーンセクションとゲイリー・バートンのバンドが交錯する(ゲイリー・バートン名義の)アルバム『葬送』は、『Escalator Over The Hill』と時期を接する重要な作品です。録音は1967~68年です。『Escalator Over The Hill』の録音は1968年からとありますが、それはおそらく(カーラがポール・ヘインズのテキストを見つめながら取り組んだ)作曲期間を含めた話です。製作記によれば、楽曲が完成し録音を始めたのは1970年ということになっています。そして『Liberation Music Orchestra』の録音は1969年です。であれば(準備期間を考慮しなければ)録音は『葬送』→『Liberation Music Orchestra』→『Escalator Over The Hill』という順になります。
この三つのアルバム、時期を接しているので演奏家が多くかぶっています。しかしながらそれぞれ音像が異なります。
『葬送』はニューヨークのRCAスタジオで録音されています。管楽器の分離がよく、個々の演奏が聴き取り易いです。残響が少ない(「響きがデッド」という言い方をします)スタジオで、奏者個々にマイクが用意されていたのでしょう。
『Liberation Music Orchestra』はニューヨークの ”Judson Hall” という場所で録音されています。おそらくそれなりのサイズの(響きのある)場所で、少ないマイクで録音されているはずです(ガトー・バルビエリのソロが「遠い」のもそのためでしょう)。
『Escalator Over The Hill』は、RCAのスタジオから録音は始まりましたが、メインのジャズオーケストラは、JCOAのワークショップを行っていた “Public Theater building” の ”Martinson Hall” という場所で録音されました。機材を積んだトラックをビルの外に駐車し回線を引き、録音したようです。つまり録音をするためのスペースではありません。昼間は別の用途に用いられていたスペースで、2週間の間、深夜にセッティングし朝にバラし……の繰り返しだったと製作記に記されています。
録音風景の写真を見るとマイクは複数本立っています。おそらく同族楽器の1パート毎に1本といった割合だと推測されます。製作記の前半で、最初の録音時に膨大なトラックのミックスに難渋し、以後シンプルにしようと決めたというくだりがありますが、個別ではなくパート毎というのは予算と機材とその後の作業のためではないかと思われます。そしてオーバーダブをする都合もあるので、おそらく比較的オンマイクで録音されたと思われます(後で録音した音とミックスする際に残響が邪魔になります)。特にソリストには(ラズウェル・ラッドやガトー・バルビエリの音を聴くに)個別にマイクが用意されていたでしょう。 さらにオーバーダブを重ねた結果、独特な音場を形成しています。例えば1曲目 「Hotel Overture」ラストのホルンのハイノートは後でカーラが思いつき追加で録音したものです(製作記の文中、このパートの録音にふれた箇所は、まさしくカーラらしいユーモアが感じられます)。
そうした作業を積み重ねた結果、曲ごとにミックスバランスが異なり、トラックが楽曲の途中で不明瞭になってしまったりする混沌とした音像となったのです。
ここで重要なのは、カーラにとって「理想的な音像」とはなんだったのか?という点です。例えばWATTレーベルの音はカーラにとって満足のいく仕上がりだったのか?と私は以前から思ってました。ECM配給とはいえインディーズレーベルであるWATTの予算を想像すると、そこに妥協はあったのか?などと考えていたものです。
しかし先の製作記の一文を読んで……WATTの諸作品に於いて(100%満足できたかはわかりませんが、少なくとも)「カーラが好む音像」は作れていたのではと、私は思うようになったのです。
先に述べたように、『Escalator Over The Hill』の最初の録音に『葬送』のスタジオとエンジニアを選択しています。それはカーラが『葬送』の音像を気に入っていたからでしょう(予算を考えてもそんな贅沢な「妥協」はしないはずです)。そしてその音像は、楽器個々の分離が良い、ルームの残響が少なめの音なのです。『Escalator Over The Hill』も可能であれば『葬送』のような、輪郭がはっきりした音像に仕上げたかったはずなのです。
そこで『Musique Mecanique』の『Liberation Music Orchestra』カバーです。これは明らかにそうしたカーラの好みを反映した音像です。つまりカーラは、自分がベストと思う音像でカバーしたのです。アルバム自体がカーラらしいユーモアに溢れています。『Liberation Music Orchestra』カバーもその範疇であり、特に他意はないと考えるのが妥当です。
そして同時に「もし『Liberation Music Orchestra』がカーラの好む音像で録音されていたら、あの切実さは感じられなかったろう」とも思いました。
Liberation Music Orchestraはその後も、それぞれのレーベルの特色を反映した録音がされています。特に興味深いのはECMから発表された『戦死者たちのバラッド』(ECM/1983年)です。おそらくこのアルバムこそ、カーラの好みとヘイデンの好み、それぞれを満たした音像だったのではと思われます。個々の楽器の響きを活かしつつ、アンサンブルの一体感が感じられます。
『Escalator Over The Hill』の異様さは先に述べたように、音楽だけではなく、その音楽を導いたテキストに由来します。結果としての音像もまた、異様な印象を与える一因です。そしてそれぞれに理由があるのです。「異様」の印象で終わらせず、理由を知ることには意味があります。様々な音楽が生まれる過程に思いを馳せることは、新たな音楽を導きだすための一助となります。
『Escalator Over The Hill』は「異様」だからこそ、まだまだ掘りつくせぬ巨大な音楽です。私も、カバー演奏だけでなく(いつかは全曲演奏を目標としてますが)、また何かしらの文章も書きたいと思います。ぜひ『Escalator Over The Hill』に、カーラ・ブレイの音楽に、耳を傾けてみてください。
吉田隆一 Ryuichi Yoshida
バリトンサックス&フルート奏者、作編曲家。SF+フリージャズトリオ『blacksheep』[吉田隆一(bs) スガダイロー(p) 石川広行(tp)]を中心に、ジャンルを横断する音楽活動を行なっている。バリトンサックス無伴奏ソロをライフワークとして継続。”SF音楽家” を名乗り、SFやアニメに関するコラム/解説の執筆を手掛ける他、SFトークイベントの主宰や出演、SFと音楽のコラボ企画を継続して行なっている。一般社団法人 日本SF作家クラブ会員/第4期理事。