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GUEST COLUMNNo. 267

RIP 追悼キース・ティペット「キースに捧ぐ、でも…」

text by Yoshiki ONNYK Kinno  金野 ONNYK 良晃

プログレ好きだった僕がキース・ティペットというピアニストを知ったのはキング・クリムゾンのセカンド『IN THE WAKE OF POSEIDON』(1970) だった。深淵のような<THE DEVIL’S TRIANGLE>という曲が印象に残った(ホルストの「火星」のモチーフだ)。この巨大鍾乳洞の中に輝いていたのがキース。しかしサード『LIZARD』(1971) ではもっと重要な位置を占めた。キースのグループなしでは完成できなかった大曲がB面全体を占める。
そしてクリムゾンの総帥ロバート・フリップは何度となく、この才気あふれるピアニストをバンドに誘った(実際ライブには共演したし、後の二枚のアルバムにも参加した)。しかしキースは肯んじることがなかった。片思いのフリップは何度もキースのアルバムをプロデュースした。
僕が愛するのは “OVARY LODGE”(=子房の小屋 1972, 1973, 1975)という名前のトリオ、カルテットそして、同じ名前の二枚のアルバムだ。
彼は実に多様な、そして美しいタッチのミュージシャンだった。それは即興であれコンボやオーケストラの曲であれ、煌めきのように見えてくるのだった。その輝きは次第に怒濤の如く音塊となって押し寄せる。それに巻き込まれる覚悟を決め、波濤を待ち受ける。次の瞬間、あたかもピアノは幻影のように過ぎ去る。こんなタイプの音楽家はそういない。
夢から醒めたように音の引き潮は去っていく… 終わりではない。そして沈黙が訪れる。アンサンブルが気配だけになる。いきなり閃光が走るような轟音。油断していた精神は一瞬に凍り付く。また沈黙。そして僕はおそるおそる湿った黎明の叢林を彷徨いだす。柔らかな苔の上を往くと導く音がある。せせらぎのように聴こえるが、それはやはりキースのピアノだった。僕は古びた小屋のある上流へと誘われる。そこはもうすぐだと感じたとき、針はあがった。
“OVARY LODGE” を聞く事は、英国的幻想譚の世界に入るような体験だった。調性と無調、流麗なタッチとクラスター、その見事な交替。こんなフリージャズを演奏できるピアニストが他にあっただろうか。そしてデレク・ベイリーの即興演奏プール COMPANY に招かれたときも彼の姿勢は変わらなかった(『EPIPHANY』1982)。
DEDICATED TO YOU, BUT YOU WEREN’T LISTENING…(1971) だって?とんでもない!僕はいつでも君を聴いていたんだ!

金野 "onnyk" 吉晃

Yoshiaki "onnyk" Kinno 1957年、盛岡生まれ、現在も同地に居住。即興演奏家、自主レーベルAllelopathy 主宰。盛岡でのライブ録音をCD化して発表。 1976年頃から、演奏を開始。「第五列」の名称で国内外に散在するアマチュア演奏家たちと郵便を通じてネットワークを形成する。 1982年、エヴァン・パーカーとの共演を皮切りに国内外の多数の演奏家と、盛岡でライブ企画を続ける。Allelopathyの他、Bishop records(東京)、Public Eyesore (USA) 等、英国、欧州の自主レーベルからもアルバム(vinyl, CD, CDR, cassetteで)をリリース。 共演者に、エヴァン・パーカー、バリー・ガイ、竹田賢一、ジョン・ゾーン、フレッド・フリス、豊住芳三郎他。

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