カマシ・ワシントンが切り拓くジャズ復権の道 後藤雅洋
text by Masahiro Gotoh 後藤雅洋
ここ数年、ジャズは明らかに何度目かの活性期を迎えています。その兆候はメディアのジャズに対するスタンスに現れていると言えるでしょう。例えば雑誌『ブルータス』が、現代ジャズを象徴するミュージシャン、ロバート・グラスパーを表紙に掲げただけでなく、かなり突っ込んだ「現代ジャズ」紹介記事が並んでいることに現れています。こうした動きは単独ではなく、雑誌『AERA』もジャズが若年層の関心を捉えていることをいくつかのインタビュー記事で紹介しているのですね。
かつてジャズは「常に変化する音楽」と言われ、また「時代を映す鏡」とも呼ばれてきました。そうしたジャズの「現代性」をメディアは敏感にキャッチしているのでしょう。
こうした動きは私自身肌で感じています。コロナ禍による中断期はありましたが、近年来日する海外ミュージシャンの公演がどれも活況を呈しているだけでなく、音楽内容が「一皮むけた」様相を呈しているのですね。ジャズが本来備えるべき個性表現とポピュラリティの双方を、巧みに兼ね備えているのです。
私見ですが、90年代後半から2010年あたりまで「巧いけど個性が希薄」なミュージシャンが多かったように思えるのです。しかし近年の新人は巧いのは当たり前で、かつそれぞれ個性的なのです。
そうした「現代ジャズ」の代表的ミュージシャンがテナー・サックス奏者、カマシ・ワシントンでしょう。彼の音楽は現代ジャズの特徴でもあるアレンジを重視し、ヴォーカル、コーラスを巧みに使い、カマシらしさとポピュラリティを同時に表現しているのです。
例えばCD3枚組の大作『ヘヴン・アンド・アース』(Young Turks / Beat Records 2018)の「アース編」冒頭で、ブルース・リー主演の映画『ドラゴン怒りの鉄拳』の主題歌《フィスト・オブ・フューリー》を女性ヴォーカルで巧みに表現し、聴き手の耳を一気に惹き付けるポピュラリティを見せつけてくれました。それだけでなく、独特のウネウネと脈打つような「カマシ節」は、一聴して「あ、カマシだ」とファンが聴き別けられる独自性も備えているのです。
カマシの「音楽性」をわかりやすく伝えているのは、シンプルなミニアルバム『ハーモニー・オブ・デイファレンス』(Young Turk / Beat Records 2017)でしょう。組曲仕立てのこのアルバムは、サウンド・メーカーとしての彼の才能を表しており、コーラス隊をうまく使ったトータル・サウンドの構築力は見事としか言いようがありません。
こうしたカマシの音楽は、マイルス・デイビスやジョン・コルトレーン、そしてビル・エヴァンスらが活躍した「モダンジャズ期」の演奏とはだいぶ趣が異なっているようですが、彼の音楽を要素にまで分解してみると、ルイ・アームストロング以来の「ジャズの本質的要素」を愚直なまでに継承しているのです。
19世紀末に自然発生した「ジャズ」には、原理・原則のようなものは当然ないので、それぞれのミュージシャンが独自にアイデアを盛り込ませる余地がありました。中でも1920年代に頭角を現したルイ・アームストロングによる、「それが魅力的ならば個性的でいいじゃないか」という音楽的提案は、ファン、そして多くのミュージシャンの賛同を得て、以後のジャズの方向を定めました。「個性の音楽としてのジャズ」の誕生です。
ところで、彼の「個性第一主義」は、「それが魅力的なら」という条件によって、あらかじめポピュラリティが保証されていることを忘れてはいけないでしょう。「ジャズ」は、聴き手の賛同によって成り立つ音楽としての基本的性格も、この時定まったのです。
そしてルイの「個性表現」をバンド・サウンドにまで広げたのがデューク・エリントンで、以来ジャズは個人技であるソロの独自性と、集団の技術である個性的サウンドを車の両輪のようにして進化・発展し続けてきたのでした。そうしてみるとカマシの音楽は、纏う衣装こそ異なれど、ルイ、デュークの志を今にきっちりと伝えていることが見て取れるのです。
ところで一部に、カマシのアレンジ重視の姿勢やある意味で「常套句」的な「カマシ節」に対し、「即興性の後退」という立場から、若干評価に留保のスタンスをとる方々がおられることは充分承知しています。こうしたご意見は私のような「モダンジャズ全盛期」にジャズ喫茶を開業した人間にはよくわかるのです。
チャーリー・パーカーが切り拓いた「モダンジャズ」は、高度な即興性によってジャズに「芸術性」とも言いうる要素が付け加わったことを意味していました。マイルス、コルトレーン、エヴァンスらの高度な音楽性はその象徴でしょう。ですからジャズ・ファンはもとより、ジャズ・メディアも「モダンジャズ期のスタイル」を持ってジャズの本質と捉える傾向から抜けきれませんでした。パーカーの即興演奏があまりにも驚異的であったため、即興自体がジャズの必要条件とみなされた時代があったのです。
しかしこれは一種の錯覚で、パーカーもまたルイの発想の忠実な継承者であったことを見失っているのです。彼は個性表現の拡張のために高度な即興システムを発展させたので、即興自体は目的ではなく、むしろ個性表現の「一手段」であったと考えられるのです。その傍証として、パーカーは「私は構造を求めている」と発言し、即興的要素がまったく無いクラシック音楽に傾倒していただけでなく、名だたるクラシック作曲家に弟子入りまで考えていたのですね。
このようなことを勘案すれば、カマシ、グラスパーらに代表される現代ジャズ・ミュージシャンたちの柔軟なスタンスは、「ポピュラリティを恐れない自己表現」という言い方で一括されるでしょう。そして彼らの活躍は、今や100年を超すジャズ史のごく一部に過ぎない、わずか20年余りの「モダン期」を持ってジャズの本質と思い込んでいた私たちの固定観念を刷新させる、極めて革新的な動きとみなすことが出来るのです。
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後藤雅洋 ごとうまさひろ
1947年、東京生まれ。中等部から慶應義塾で学ぶ。慶應義塾大学商学部在学中の1967年、四谷にジャズ喫茶「いーぐる」を開店、現在に至る。1988年『ジャズ・オブ・パラダイス』を上梓以来、ジャズ評論でも著書多数。近著(監修)に『ゼロから分かる!ジャズ入門』(世界文化社)。最新刊は『ジャズ喫茶いーぐるの現代ジャズ入門』(シンコーミュージック)