島原裕司 「Bill Frisell」
「ビル・フリゼールが新鋭だった頃」
ECMは見事だ。私たちはECMというレーベルの個性をブランドとし指針として、魅力のありそうなアルバムを探していくことがある。他方、特定のミュージシャンについて当たりをつけてアルバムを吟味していると、そのレーベルはECMだったということがよくある。
ECM制作アルバムの良いところの一つは、マンフレート・アイヒャーの審美眼によって導かれる作品の静謐さから溢れ出る、あるいは溢れ弾ける演奏に出会いゾゾッとくるところだ。ECM基本路線の審美・耽美がハマるときはハマって、それがそのまま気持ちよかったり安らぐのだが、もう一方で突発的な突き抜け方の演奏に間々出会えるのがECMレーベルの魅力である。
さて、ここでは私的なビル・フリゼールの思い出を綴ってみたい。
これだけキャリアが長く、その時期その都度さまざまな表現を試みてきたビル・フリゼールだが、その出発点はECMである。ある時期からビルはアメリカのルーツミュージックや古き良き時代の音楽を、自身のフレージングとサウンドで奏でるようなスタイルを中心としていった。
彼がそうした一見枯れた世界観を表現の軸としていったときには意表を衝かれたが、それは確信的に選び取られた道であったろうと納得し、今後基本はこの路線で行くのだろうと思った。そのスタイルに固定ファンがいるだろうし、「そのスタイル」などと言っても一様のものではないから。仮に、彼に原点(回帰点)というようなものがあるのならば、ある日また、それを見たいとも思うが。
私自身のビルとの最初の出会いは、当時(1980年代)熱心に聴いていたジョン・ゾーンとの共演がきっかけだったと思う。特に鮮烈な印象だったのは、ジョン・ゾーン、ジョージ・ルイスとのトリオでの『ニュース・フォー・ルル News for Lulu』(hat ART CD 6005, 1988)であった。このトリオは新宿ピットインでライヴを体験し、大いに興奮したものだ。アルトサックス、ギター、トロンボーンという変則的な組み合わせが刺激的だった。きわめて面白いアレンジで、名手・奇才の取り組みならではの演奏。そんなふうに、ビルとの出会いは最初から変化球ミュージシャンとしてのインパクトが強かった。
ジョン・ゾーンとの絡みでは、ビルはネイキッド・シティ NAKED CITY において、ジョンの指揮のもと、他の活動とはまったく異なるアプローチで、バンドのフリーフォームでありつつポップな音楽性を演出する重要な役割を果たしていて感心した。このメンバーでのネイキッド・シティの演奏は法政大学学生会館でライヴを体験することができた。冴えわたるジョン・ゾーンのアイデアをメンバーが見事に大胆に表現していて、強く記憶に残る演奏が繰り広げられた(法政大学学館、1990/12/05「NAKED CITY」=ジョン・ゾーン、ビル・フリゼール、フレッド・フリス、ウェイン・ホーヴィッツ、ジョーイ・バロン)。
ビル・フリゼールとはそんな出会い方をし、気になるのですぐにほかのアルバムを探した。なるほど、アルバム・デビューはECMかと、初期のリーダーアルバム3枚を聴いた。『In Line イン・ライン』(ECM1241, 1983)、『Rambler ランブラー』(ECM1287, 1984)、『Lookout for Hope ルックアウト・フォー・ホープ』(ECM1350, 1987)。ギタリストとして時代の寵児にふさわしい世界をつくっていた。そしてまた同時にECM美学に似つかわしい表現者だと感じた。
マーク・ジョンソンのリーダーアルバム『Bass Desires ベース・デザイアーズ』(ECM1299, 1985)では、ビル・フリゼールはジョン・スコフィールドと共にギタリスト二人で絡み好演を展開しており、とても惹かれる内容となっていた。そして、この表現路線は『The Sound of Summer Running ザ・サウンド・オブ・サマー・ランニング』(Verve, 1998)に継承されていて(メンバーはジョン・スコフィールドの替わりにパット・メセニー、ピータ―・アースキンの替わりにジョーイ・バロン)、正にそのアルバム・タイトルとして引用された、レイ・ブラッドベリの夏をテーマとした短篇小説「駆けまわる夏の足音」に導かれるように、めくるめく夏の時間や早朝の仄かに冷涼な空気を醸し出す音楽世界をあらわしている。だから、ファンタジー/SF小説好きの人にはさらに嬉しいプレゼントとなっている(「駆けまわる夏の足音」はブラッドベリの短編集『R is for Rocket』=邦題『ウは宇宙船のウ』[創元SF文庫、東京創元社] 所収)。マーク、ビル、パット、ジョーイ、生年からして彼らもこの小説を愛読していたのではないかと想像すると、その少年時代の夏の日の場景が頭をめぐる。
ECMレーベルにおける諸作、その数多のアルバムは、質感が印象深いSF小説と響き合う。相性がいい。カタログの中にマーク・ターナー(カルテット)の『Return from the Stars 星からの帰還』(ECM2684, 2022)というアルバムがある。これはスタニスワフ・レムの傑作SF小説から採ったアルバムタイトルだ。しかし、「基本的には、レムのこの小説の文学的な内容に細かく準拠しているわけではなくって、雰囲気でタイトルを付けた」「そんなに密接な関係が曲とタイトルの間にあるわけではない」(村井康司氏によるマーク・ターナーへのインタビューより)そうだ。とは言え、マーク・ターナー同様SF好きの私にとっては、そうであったにせよ、レムの小説から何かしら啓示を受けたのではないかと想像することが楽しいし、このアルバムの音楽がレムの創作世界の何かに繋がっているのではと思いめぐらすことが面白い。
話を戻して。私は、かつて『ジャズを放つ』(洋泉社1990)という本にビル・フリゼールについて書いたのだが、そこで私は彼のことを「脱ギターサウンドの表現者」と記している。「脱~」という言い方が流行った時代を思い出して気恥ずかしいが、当時はビルの新鮮なギターサウンドをこんなふうに表して紹介したかったのだと思う。あの頃の微熱状態を思い出す。1990年の出版物に書いた、その私の原稿を引用してみよう(書いたのは1989年である)。拙い文章で面映ゆいが、その頃の興奮をこんなふうに書き留めている。
「ビル・フリゼールは、ジョン・スコフィールド、ジョン・アバークロンビー、マイク・スターンらと共に「ポスト・フュージョンのギタリスト」と称されているが、その中でもとりわけ異色の個性派と言える。
80年代のギタリストのスタイルは大別して二つの方向性がある。一つは冒頭に述べたフュージョン以後の白人ギタリストの系譜で、もう一つはジェームス・ブラッド・ウルマー、ソニー・シャーロック、ジャン=ポール・ブレリーらに代表される、ブラック・ミュージック、ファンク、ロック、ロフト・ジャズの流れを融合させた黒人ギタリストたちだ。
フリゼールはブラッド・ウルマーのようなファンク色の濃い強烈なビートやリズム・カッティングの表現とは対照的な方向を示している。独自のエレクトロニック・イフェクターを用い、ギターをシンセサイザーのように使う。スターンやスコフィールドがチョーキングを使った歪んで伸びる音を多用するのに対し、フリゼールはバイオリン奏法のようなふんわりとしてスーッと軽やかに伸びる音をよく使う。ところどころ弦が弾かれる音が入るためギターだとわかるが、イフェクターを駆使していてほとんどシンセサイザーの音のようだ。ストレートな音で弾くときはパラパラと寸断されたように分節されたフレーズを弾くことが多い。フォーク・ミュージックのギターを思わせるようなアルペジオやフィンガー・ピッキングだ。しかしサウンドが確実なリズムを刻みながらも揺らいでいるので不思議な昂揚感を与える。音色はジム・ホールのようなタイプの澄んだ明るいトーンだ。
今までのリーダーアルバム、共演アルバムがECMレーベルに多かったことからわかるように、「黒くない」静かで美しい叙情的な作品が多い(ECMでのベスト盤『ワークスWorks』[ECM, 1988])参照)。イフェクターを使ったサウンドで作られた静かな作品の中には、ブライアン・イーノの環境音楽に近いようなものもある。
だが、リーダーアルバムではマイルドな叙情美を志向するフリゼールも、ロフト・ジャズ出身の過激派やその他の前衛派と演るときにはきっちりサウンドが切り換わり、共に激しい音の潮流を作り出す。そのあたりはさすがである。そしてそこでの表現方法の個性の輝いていること! 優れた作・編曲能力に裏打ちされたメロディやリズムでみごとに絡んでいく(ジョン・ゾーン、ジョージ・ルイスとのトリオでのハードバップ・カバーアルバム『ニュース・フォー・ルル』参照)。
フリゼールの音楽性を語る際には彼の卓越した作・編曲能力を強調しておかねばならない。編曲ではポール・モチアンとの仕事であるモンク作品集(『モンク・イン・モチアンMonk in Motian』ポール・モチアンPaul Motian, ビル・フリゼールBill Frisell, ジョー・ロバーノJoe Lovano, デューイ・レッドマンDewey Redman, ジェリ・アレンGeri Allen[JMT 834 421, 1988])、ブロードウェイ・ミュージカル作品集、そしてハル・ウィルナー・プロデュース・シリーズのニーノ・ロータやディズニーの曲集の仕事などだ。これらに見られる彼のイフェクターを駆使したサウンドによるメロディ重視の傾向は、他のロフト出身者やアヴァンギャルド系のギタリストとの違いを際立たせている。
ビル・フリゼールをジャズというジャンルや広義でのジャズ・ミュージシャンという範疇からも越境し続ける存在としてあらしめているのは、そのフレキシブルな音楽性だ。優れたジャズ・ミュージシャンの多くもその才能の見せ方がジャズ的即興の範囲にとどまりがちなのに比べ、フリゼールのフレーズやサウンドは軽やかにジャズの重力圏から離脱している。このような彼の個性が共演者を挑発し、音のコスモスの異化を図るのだ(ポール・モチアン、ジョン・ゾーン、マリアンヌ・フェイスフルらとの共演を参照)。
最新作『ビフォア・ウィ・ワー・ボーンBefore We Were Born』(Nonesuch, 1989)はビルの最高傑作だと思う。ここには今までのECMでの諸作と比べてさらに進んだ同時代的な音楽センスが感じられる。」(p.204-205,『ジャズを放つ』洋泉社1990)
ECMについて書く本稿、当初はラルフ・タウナーについて書く予定だった。しかし、私が愛聴するラルフ×ゲイリー・バートンの『Matchbook』(ECM1056, 1975)に関して書くためには、まだ数々のラルフ作品を聴き込んでいないので、代わりにビルについて書くことにした。
上記引用原稿を書いた1989~90年、音楽の世界でも本当にいろんなことがあったなぁ。ここでは、ビル・フリゼールの初期について書いたが、彼のひんやりと澄み切ったような、たゆたうサウンドは、正にECMレーベルとの相性抜群だった。同時代に新たなギターサウンドの開拓者として、パット・メセニーはじめ少なからず素晴らしい革新者がいたが、そんな中でもビルの紡ぎ出す音響は一聴して分かる特徴があった。
私はその頃のビルに対して、ほかのギタリストたち―—エレクトリック・ギターをギターらしくパキーン、ジャキーンと鳴らす名ギタリストたちと並べてみて、ビルももうちょっとフワフワ・サウンド以外の弾き方を増やしてもいいんじゃないか、と思ったりもしていた。
そんなビルのあの特徴の強いギターサウンドを聴くと、一気にあの頃に連れ戻される。アルバムタイトルにブラッドベリの作品名など気になる言葉があったりすると、ますます渾然とした魅惑の世界に引き戻されていくのである。
島原裕司 しまはらゆうじ
1957年徳島市生まれ。時事通信社出版局、勁草書房、みすず書房で編集者として努める。現在は音楽を中心に細々と文章を書いている。共著:『ジャズを放つ』(洋泉社1990)、『ポップの現在形』(洋泉社1990)、『200CDザ・ロック・ギタリスト』(学研2006)など。