相原 穣『John Potter / Amores Pasados』
『ジョン・ポッター/アモレス・パサドス(過ぎ去りし愛)』
つい分類してしまう。クラシック音楽の沼にはまれば、まずはロマン派だの印象派だのの言葉を習得し、一通り習熟したのちには、ドビュッシーはやはり象徴派と言うべきだな、と分類の妙を楽しめるようになる。実際、音楽でも美術でも膨大な作品を理解するのに、特徴を理解し、分類することは有効であるし、不可欠だ。そうした若い頃の思い込みはキース・ジャレットの『ケルン・コンサート』で打ち砕かれた。ジャズ・ピアニストが弾いているし、即興だから、これはジャズだと頭で分類して理解しようとしたものの、ジャズとは何かに迷い始め、そのうちそうした分類などどうでも良くなってしまった。
ECMはニューシリーズにしても、全体が「分類なんてどうでも良い」的姿勢で貫かれている。「現在」という交点で結びつけば、ジャンルも時代も相対的なものに過ぎない。「現在」あっての「過去」であり、音楽が流れ出る瞬間の感動は昔も今も変わらない。「私のお気に入りの 1枚」として厳選したのではないが、今まで出会ったECMアルバムの中で最初ひどく戸惑い、やがては何度も聴くようになったのが、ヒリヤード・アンサンブルの元メンバーであるジョン・ポッターが編んだ『Amores Pasados』(ECM2441)である。
同アルバムは英国ルネッサンス期のリュート歌曲の世界を再構築しようとしたものだが、ポッターの狙いは、訓練を受けた専門家が歌う芸術歌曲とシンガーソングライターが歌う大衆的な歌という今日的な区分を問い直すことだった。今では高尚な雰囲気をまとうダウランドの歌曲にしても、当時からすればvernacularな言葉 (当時ヨーロッパのインテリ共通語だったラテン語ではない土着語、すなわち英語) で書かれ、ヨーロッパ各地に自由に流布して楽しまれたポップスだった。ポッターは英国ルネッサンス期のトマス・キャンピオンが作った歌曲と同時代のピックフォースのリュート曲をアルバムの軸に据えながら、ルネッサンス音楽の伝統を独自に引き継いだ20世紀初頭のピーター・ウォーロックらの歌曲の他、レッド・ツェッペリンのジョン・ポール・ジョーンズ。ジェネシスのトニー・バンクス、ポリスのスティングらロックスターに委嘱した作品を並べている。その配置は、例えば、〈Follow Thy Fair Sun〉はキャンピオンによる原曲と同じ詞にバンクスが曲付けしたものをそれぞれトラック5と9に置くといったように全13曲の構成に対称性を持たせたものであり、そこからもこのアルバムが単に「ロック界の大スターにリュート歌曲を書かせてみた」的な奇をてらったものではなく、むしろリュートの響きを通じて、ルネッサンス期と現代における「歌を歌う」という営みの共通性をビビッドに浮かび上がらせることがテーマであったことが見て取れる。バンクスの〈Follow Thy Fair Sun〉は親しみやすい現代バラードの旋律で魅せながら、その耽美さにおいてキャンピオンの原曲とシンクロする。スペイン語の古詞に曲付けしたジョン・ポール・ジョーンズの冒頭曲はリュートのアルペジオによる古雅な響きの中からメランコリックな官能性が浮かびあがり、レッド・ツェッペリンの〈ノー・クォーター〉を彷彿とさせる。スティングに対するリュート曲への深い思い入れは、このアルバムを介して知った (2006年にダウランドを歌ったアルバムを出し、後には自らリュートを弾き自作ナンバーを歌っている)。
ジャズとバロック音楽の親和性は今や誰でも認めるところだが、ロックとルネッサンス音楽の融合など思いも寄らなかった。しかし英国では民衆音楽に使われるヴァイオリンをフィドルと呼んできたように、いわゆる芸術文化とvernacularな文化は同じものの両面であったりする。『Amores Pasados』に曲を寄せたロックスター達の若い頃の経歴を見ると、幼いころのバンクスはクラシック・ピアノから音楽の道に入っているし、ジョン・ポール・ジョーンズは10代半ばに教会でオルガニストを務めている。教会のパイプオルガンの足ペダルとロックのベースが根源を一にしていたとは !
ECMのアルバムの1枚を手に取ることは、アイヒャーから入念に指定された時間と空間の交差点に立つようなものだ。そこで何が起きているかを理解するには、行き来する人を分類するより、彼らの表情に目を凝らし、交わされている言葉に注意深く耳を傾ける方がよさそうだ。そこで戸惑いがあれば、必ず深い企てが潜んでいるのがECMである。1990年代後半にロンドンの地下鉄ジュビリー線沿線に下宿していたにも関わらず、クラシック音楽ばかりに目を向け、5、6駅先のロックの聖地ウェンブリースタジアムには一度も足を運ばなかった。自分は英国を理解しようとしながら、知らず分類し、かの地を流れる本源的な水脈に気づいていなかった。『Amores Pasados』はそのことをしかと教えてくれた1枚である。
ECM2441
John Potter (Voice)
Anna Maria Friman (Voice, Hardanger Fiddle)
Ariel Abramovich (Lute)
Jacob Heringman (Lute)
1 Al son de los arroyuelos (Lope de Vega, John Paul Jones) 05:05
2 No dormía (Gustavo Adolfo Bécquer, John Paul Jones) 05:19
3 So ell encina (Anonymous, John Paul Jones) 04:32
4 Sleep (John Fletcher, Peter Warlock) 02:23
5 Follow thy fair sun (Thomas Campion) 03:29
6 Oft have I sighed (Thomas Campion) 03:30
7 In nomine 1 (Picforth) 02:30
8 The cypress curtain of the night (Thomas Campion) 03:14
9 Follow thy fair sun (Thomas Campion, Tony Banks) 03:37
10 Oh fair enough are sky and plain (A. E. Housman, E. J. Moeran) 02:18
11 The cypress curtain of the night (Thomas Campion, Tony Banks) 03:35
12 In nomine 2 (Picforth) 02:17
13 Bury me deep in the greenwood (Gordon Sumner) 04:00
Recorded November 2014, Rainbow Studio, Oslo
Produced by Manfred Eicher
相原穰 あいはら みのる
東大仏文卒。ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスにて社会学、オックスフォード大学にて社会人類学の修士号を取得。1995年から音楽批評を開始し、音楽専門紙(誌)への寄稿、ライナーノーツ等の執筆・翻訳、『武満徹全集』(小学館)の記事・論文翻訳などを行う。東京室内歌劇場英国公演(2001年)アドバイザー兼コーディネーター、EMIクラシックス会報誌の編集責任者等を務めた他、越境系コントリビュータとしてウェブ・マガジンJazzTokyoに参加。『ECMカタログ』(初版・増補版) 執筆メンバー。