佐藤浩一『Valentin Silvestrov / Bagatellen und Serenaden』『ヴァレンティン・シルヴェストロフ:バガテルとセレナーデ集』
2022年にロシア人ピアニストのアレクセイ・リュビモフがモスクワで行ったコンサートで、リュビモフは彼と親交が深いウクライナ出身の作曲家ヴァレンティン・シルヴェストロフの作品を演奏し、それを知ったロシアの警察がコンサートを中断させようとステージに突入したがリュビモフは演奏を止めずに最後まで弾き切り、観客からスタンディングオベーションが沸き起こったことが話題になった。
そのウクライナ出身の作曲家ヴァレンティン・シルヴェストロフの楽曲を収めたこのアルバムは、前半部は作曲家本人によるピアノ独奏でのバガテル集、後半部は弦楽オーケストラやアレクセイ・リュビモフのピアノによるセレナーデ集からなる。
とりわけその前半部のバガテル集が好きで、近年最も聴いたアルバムの1枚だ。
作曲家/ギタリストの伊藤ゴローさんに教えてもらって知ったこのアルバム。日常に溶け込む優しい音楽。真夜中の暗闇で、ひっそりと聴くのにもちょうど良い。不眠気味で眠れない身体にじわりと染み渡り、これこそが身体が欲していた音だと気付く。最高級のピアニッシモの音楽。
バガテルはフランス語で本来「つまらないもの」「ちょっとしたもの」という意味を持つが、ヨーロッパのクラシック音楽においてスケッチのような短い小品のタイトルとして使われている。特にピアノ曲であることが多く、いくつかのバガテルをまとめたバガテル集になっていることも多い。ベートーベンもバガテル集を残している。
シルヴェストロフはこのバガテル集全体を通してウナコルダペダル(ソフトペダル)を使い、グランドピアノの蓋はおそらく閉じられていて、極上のタッチでピアニッシモを聴かせてくれる。現代において失われつつある、思わず口ずさんでしまうようなシンプルで素朴なメロディー。和音もシンプルで、ジャズに慣れた耳には驚くほど純粋で混じりっ気のないセブンスコードが鳴る。それでいて時たま意外なところにハーモニーが進む面白さもある。これ以上でも以下でもない必要最低限の絶妙な音数と間合いには、一粒の雫が静かに水面に落ちるのを慈しむような風情があり、日本的な感覚も感じる。1曲1曲が短く、それらが次の曲へアタッカで途切れなく続いてゆく。34分ほどのひと続きのバガテル集は、無限に続くピアニッシモの宇宙のよう。
ウクライナに住んでいるであろうシルヴェストロフが現在どうしているのか気になって調べてみたところ、2022年3月ベルリンに退避したとのこと。ベルリンに到着したあとに作曲したピアノ作品集が本人のピアノ演奏でYouTubeにあがっていた。無事で本当に良かった。
ECM 1988
Valentin Silvestrov (Piano)
Alexei Lubimov (Piano)
Münchener Kammerorchester (Orchestra)
Christoph Poppen (Conductor)
Recorded February 2006, Himmelfahrtskirche Sendling, Munich
Engineer: Stephan Schellmann
Produced by Manfred Eicher
佐藤浩一 さとうこういち:
ピアニスト、作曲家、編曲家。1983年生まれ。神奈川県横浜市出身。バークリー音楽大学卒業。ジャズ/即興/室内楽/ポストクラシカル/ポップス/映画音楽など幅広いフィールドで活動。繊細なタッチで研ぎ澄まされた音色を放つピアニスト。作曲家としても独自のメロディーセンス・ハーモニーセンスを持つ楽曲を多く発表、また編曲家としてもストリングスなどのオーケストレーションを探求。伊藤ゴロー、福盛進也、挾間美帆m_unit、原田知世、象眠舎などにピアニストとして参加。2021年、全て自らの作曲による2枚組のアルバム『Embryo』をnagaluからリリース。ソロピアノによるDisc1と、弦楽カルテットを含むアンサンブルによるDisc2からなるこの作品で、唯一無二のピアニズムと作曲家/編曲家としての魅力を存分に発揮。映画「劇場版 ヴァイオレット・エヴァーガーデン」(2020年)や映画「ラーゲリより愛を込めて」(2022年)の劇中音楽のピアノ演奏を担当。公式ウェブサイト koichisato.com
【ライブ情報】
6/21(水) 渋谷・公園通りクラシックス
森下周央彌 Strings Trio with 佐藤浩一