#36 『INSPIRATION & POWER 14』
紙名『INSPIRATION & POWER 14』
発行人:SF企画
発刊日:1973年6月15日(金曜日)
定価:一部30円
1973年6月27日(前夜祭)から7月12日にかけ2週間にわたって開催された「フリージャズ大祭〜インスピレーション・アンド・パワー14」をPRする機関紙で、イベントの約2週間前に刊行された。タブロイド版4Pの見開きのPR紙だがその内容は驚くほど示唆に富んだものになっている。
まずは、プロデューサーとして名を連ねる副島輝人と二見暁連名の宣言文である。
<宣言文>
今、アートシアター文化劇場で十四夜にわたるフリージャズ
大祭が開かれようとしている。
題して「インスピレーション・アンド・パワー14」。
それは、魂の叫びと意識のスピードが織りなす音空間であり、音
を創る者と聴く者との交感が創出する新しい地平への展望となるだ
ろう。ジャズは、沈滞した文化状況の中にある<今日>を超え、<明
日>を内視する契機を提出しようとしている。
この大祭は、ジャズにとっても、新しい時代の幕あけなのである。
続いて、巻頭を飾るのは清水俊彦のエッセイ「創造的なヴァイブレーションを求めて」。清水はひと月ほど前に行われた「セシル・テイラー・ユニット」のコンサートを引き合いに出しながら、“この大祭が70年代における<創造的であること>の何たるかを、その多様性と異質性を明らかにする上できわめて重要な意義を持っている”と説く。さらに、“最も新しい段階でのそれは、集団創即興演奏と、強烈に想像的であるもの<個>への回帰の二重性から捉えられなければならない”と論を進め、それを露わにしたのがアート・アンンサブル・オブ・シカゴ(AEC)である、と結論づける。まったく幸いにも僕らは鯉沼利成の英断により約1年後にそのAECを間近に体験することになるのだ。
2面は、詩人の八木忠栄と北沢邦方のエッセイ、「新宿を危険でいっぱいにする」「ニュージャズに期待する」。八木はニュージャズ・ホールで月例の「ポエトリー・アット・ニュージャズ」を敢行していた。3面は前衛ジャズのサポーター出会った俳優、殿山泰司の「ニュー・ジャズ讃」。殿山はジャズを“本腰を入れて聴き出したのは五十才を過ぎてからだ”。“「ニュージャズ・ホールに代わる「アートシアター」にとにかく十四日間かよいつめたい”と思いを吐露し、“トリオレコードが出すのは実際いいことなのだ。たとえオムニバスであっても...”と早くもライヴ録音盤にまで思いを馳せている。最終面は、当時、佐藤允彦の女房だった女優中山千夏の「がらん堂」についてとふじい・せいいちのエッセイ「ニュー・ミュージック・コスモロジー」。千夏はジャズについてはまったくの素人といいながらも、自分なりに会得した「がらん堂」の楽しみ方について独特の文体でひとくさり。そういえば、当時、トリオレコードで佐藤允彦と中山千夏が共演するレコードを出していたな。邦楽扱いだったから僕はまったく関わっていない。最後を飾るにふさわしい、詩人白石かずこの「ニュージャズの恋人たち」も。
ところで、「前夜祭の出演者」として、北竜山、高信太郎、荒木経惟、青木弘之、佐藤重臣、山谷初男、こまどり姉妹、ナウ・ミュージック・アンサンブル、高柳昌行、笠井紀美子らひと癖もふた癖もある面々の名前が挙がっているが、実際どのようなイベントが繰り広げられたのだろう。僕らは、ライヴ・レコーディングの準備で参加することができなかったのだ。
ところで、このイベントのチケット、前売り700円、当日900円だったんですね。副島さんは赤字を補填するためにニコヨン(当時、道路工夫などの日雇い労働者を日給254円からニコヨンと呼んだ)に出たそうで、余ったお金でメルスジャズ祭に出かけ虜になった。その後、メルスを始め海外にまで仕事の対象を広げる結果となったようで、災い転じて福となしたのは副島さんの能力と努力の賜物だろう。(稲岡邦弥)