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InterviewsNo. 279

Interview #224 橋本一子

photo above ©本多康司

橋本一子(はしもと・いちこ)
ピアノ・ヴォーカル ・ギター・ 作編曲家・文筆家・ 俳優 ・声優
最新CD『View』(najanaja/ultra-vibe)

Interviewed by Kenny inaoka  稲岡邦彌 via emails June, 2021

 

『View』
機が熟すのを待って12年ぶりのソロ・アルバム。ichikoワールドが全開。

Part 1

JazzTokyo:新作のリリース、おめでとうございます

橋本:ありがとうございます!

JT:ピアノ中心のアルバムでは12年ぶりだそうですが?

橋本:はい、というより純粋にリーダーアルバムそのものが12年ぶりなのです。間にアニメのサウンドトラックや中村善郎さんとのボサノバDUOなどがあるのですが。

JT:録音は今年の1月から3月にかけて、まさにコロナ禍の中での進行でしたね。

橋本:はい、まさに!音楽に集中している時は忘れてしまいますが街に出ると何か異様な雰囲気を感じます。あの頃はあまり現実感がなかったように記憶しています。

JT:構想は時間をかけて練られたものですか?

橋本:ソロアルバムを作ろうと思ったのは7、8年ぐらい前になるかと思います。そこから徐々に積み上げてきた感じです。

途中3年ほど頸椎症神経根症にかかりピアノを弾けない(日常生活も厳しい)状態になり空白があるのですが、それはそれで音楽から少し距離を置く時間として良かったように感じています。

体が治ってから、ソロアルバムに向かってまず2〜3ヶ月に1、2度のピアノソロライヴを始動し、そこで過去の曲も掘り起こしたり、スタンダードに再トライしながら、機が熟すのを待っていた感じです。

構想を練ったというより自然に着地するタイミングを待っていたのだと思います。

JT:オリジナル5曲にカヴァー6曲、イメージはアルバム・タイトルの Viewに集約されるのでしょうか?

橋本:そうですね。view=眺め、内側の眺め、外側の眺め、内宇宙、外宇宙、無意識のさらに深くまで潜り、たくさんの人や生き物の響きと共鳴し、または浮遊しながら世界を眺める感じですね。スタンダード曲に関しては結果的に全体のイメージに着地した感じです。

JT:解説に、「昨年11月に公開された手塚眞監督作品『ばるぼら』のサウンドトラックで描いた光と影のコントラスト」とありますが、イメージの連鎖はありますか?

橋本:そうですね。光と影は常に同時に存在していますし、それを常に感じています。自然の流れでイメージは繋がっていると思います。

JT:解説には、「ディープ・アンビエンス」というフレーズも使われています。深いリヴァーブもコンセプトの反映かと思われます。

橋本:自分ではリヴァーブを特に深くしよう!という意識はないのですが、結果的にこういう形になりました。

JT:橋本さんの音楽における ヴォイスのポジションについてはどのようにお考えですか?

橋本:ピアノとは違い、楽器を通さないぶんダイレクトで身体的なサウンドだと思います。前述した無意識の世界を身体を通し、ヴォイスとして響き共鳴しようとしています。

JT
:クールな感じのアートワークと対照的に内容はとてもセンシュアルですね

橋本:おお!そうですか?!自分ではよくわからないんです...

自分が思っている自分ってけっこうクールだったりするんですけど、ていうか自分がなりたい自分がクールなのかな?たいてい違うって言われます(

センシュアルというのはくすぐったいけど嬉しいです。

ジャケ写は本多康司さんという写真家の作品です。本多さんの作品はどれも静かで美しいです。立ち姿のアーティスト写真も本多さんに撮っていただきました。

JT:PVは手塚眞さんが手がけられたようですが。手塚さんとのコラボも長いですね。

橋本:はい、90年代からのお付き合いです。90年代に3本のPVを作っていただきましたし、その頃から手塚さんの実験映画、短編映画の音楽を作っていました。ライヴでのコラボレーションも数多くやって来ました。

お互いにとても通じ合う感性があるのだと思います。

JT:このアルバムのライヴもあり得ますか?

橋本:はい。このような社会情勢の中ですので、大規模なコンサートではなく、ゆっくり数を重ねていきたいと思っています。7/24にはULTRA SHIBUYA にてインストア・イベントがあります。その後、 8/14  FJ’s  、 9/12 公園通りクラシックス、10/1  横濱エアジン と現在3公演が決まっています。

藤本敦夫の感性を信頼している

Part 2:

JT:橋本さんの活動範囲は驚くほど広いのですが、音楽関係では、作曲、ピアノ、キーボード、ギター、ヴォイス、プロデューサーですか? 作曲も、CMから映画音楽まで。いちばん思い出に残るとCMと映画音楽をあげていただけますか?

橋本:丸井の「ジュ・メーム」でしょうか。ストリングスバージョンが心に残っています。映画は「白痴」と「ばるぼら」が甲乙つけがたいです。アニメ「ラーゼフォン」もフルオーケストラなど、いろいろな意味でチャレンジできてとても記憶に残っています。

JT:俳優に吹き替え。映画はどんな映画に出演されたのですか?

橋本:山田勇男監督作品「アンモナイトのささやきを聞いた」という映画の主人公の母親役、台詞は一言でした。あと手塚さんの初期の実験映画などにも複数出ています。

JT:小説も出版されましたね。

橋本:はい、きっかけは「ユリイカ」のドビュッシー特集で書いた散文を読んだくもん出版の編集者の方から、少女向けのファンタジーを依頼されて書いた「フレバリーガールはお茶の時間に旅をする」です。その後、大人向けの物語が生まれて来たので「森の中のカフェテラス」を書きました。

JT:リーダー・アルバムのデビューは『Colored Music』(1981) になるのですか? 藤本敦夫さんとのコラボで。新作のディレクションも藤本さんですね。

橋本:はい、新作のディレクションは私が頼みました。プロデュースは自分ですが、信頼できる感性に外側からのディレクションが欲しいと思ったのです。

JT:最近、『Colored Music』が海外で認識されて、日本に逆輸入されてきたようですね。正当に評価されてきたということでしょうか?

橋本:どうなんでしょう?そうだと嬉しいですね。

JT:よく、時代が追いついた、という言い方をしますが、先端をいくミュージシャンの音楽がマーケットに理解されるには時間がかかる。それなら、マーケットに合った音楽をつくった方が楽に生きられる、という考え方もありますが。

橋本:残念なことに私にはマーケットに合った音楽を作る、という才能が無いと思われます。

JT:映画音楽やCMは藤本さんとのコラボではなく、完全に橋本さんのソロの世界でしょうか?

橋本:はい、ほぼそうです。藤本さんに限らず自分より良いサウンドが出てくると感じたら何曲かそれに合う音楽家に委託することもあります。「ばるぼら」ではヒップホップの曲は藤本さんに完全に任せて作ってもらいました。

JT:橋本さんにとって藤本さんはどういう存在ですか?

橋本:信頼できる感性を持った、音楽のパートナー的存在です。

JT:初期にはニューエイジ的なアルバムを出されていたこともありましたね?

橋本:初ソロアルバム「ichiko」のことでしょうか。自分ではニューエイジとは思っていないのですが、そういうカテゴリーでリリースされましたね。

JT:『Miles Away』は、マイルスへのトリビュートで藤本さんと井野信義さんが参加した完全なジャズ・アルバムでしたね。

橋本:はい、お二人とはそれ以前から、ジャズのフィールドでトリオ活動をしていました。二人とも特異なジャズセンスの持ち主で唯一無二の存在です。

JT:この時のトリオで7年後にアップデートして登場したのが Ub-Xでした。アルバムを2枚リリースしてツアーもありましたね。

橋本:国内ツアーを始めドイツツアーにも行きました。ドイツではとても受けました。音楽を深く理解されている感じでとても嬉しかったです。

JT:それから9年後に、中村善郎さんとのデュオで突然ボサヴァ・アルバムがリリースされました。かつて、『水の中のボッサ・ノーヴァ』はあったのですが。

橋本:ボサノヴァは中学の時セルジオ・メンデスが愛聴盤で、その後A.C.ジョビンに、ジョアン・ジルベルトなどに..と、実はかなりのボサノヴァ好きで、過去のアルバムでも一曲はボサノヴァが紛れ込んでいます。自分でも自己流でギターの弾き語りをやっていた時期もあります。中村善郎さんとのデュオもかなり長い時間をかけてゆっくりと熟成して来たところに声をかけていただいて実現したアルバムだったのです。

こうやって話してみると、ジャズ、ボサノヴァ、ロック、クラブミュージックなど、波はあるものの緩やかに長く並行して進んでいるんだなあ、と感じます。

JT:橋本さんにとって、ピアノとギターの決定的な違いは何ですか?

ギターはボサノヴァを歌う時の伴奏、またはエレキギターの特別なカッティング&ノイズ的なアプローチだけです。とても限られた使い方なのです。

ピアノはもっと幅広く表現できますし自由度が全然違いますね。

夢のように生きたい

Part 3:
JT:お生まれはどちらですか?

橋本:兵庫県神戸市です。

JT:ご両親は音楽関係でしたか?

橋本:いいえ、でも二人とも音楽好き、特に洋楽です。趣味のレコード、映画音楽やクラシックなどが、子供の頃から家の中によく流れていました。

JT:妹さんの橋本眞由己さんもヴォーカリストでしたね? 新作にも参加されています。

橋本:はい、妹もヴォーカリスト、シンガーソングライターとして活動しています。私より透明感が高く、声域も高いのですが基本的にとても似ているので、コーラスすると溶け合います。

JT:初めて音楽に興味をもたれたのはいつ頃どんな音楽でしたか?

橋本:先のご質問でお答えしましたように、気がついたら家の中に音楽が流れていて、幼い頃から、踊ったり、うっとりしたり、ステキだなあと感じていました。音楽は大好きでした。

JT:楽器を始められたのは?

橋本:5歳か6歳だと思います。親戚からもらったアップライトピアノです。

JT:ジャズに興味を持たれたのは、いつ、どんな演奏でしたか?

橋本:高校生の時に政治経済での自由研究で、アメリカの黒人問題を題材にしたら、ブルースからジャズに関しての興味が湧き、ジャズを聴き始めたのですが、4ビートの物にはあまり興味が湧かなかったです。

マイルスのビッチェス・ブリューを聴いてからハマりました。あとチック・コリアの1stソロアルバムやARCも。その前はロックとか近現代音楽を聴いていたので入りやすかったのだと思います。

JT:武蔵野音大での専攻は?

橋本:器楽科ピアノ専攻です。

JT:どんな学生生活を送られましたか?

橋本:学内ではサークル活動はせず、近現代の作曲家の曲を中心にピアノのテクニックや音色の研究に没頭していました。

JT:学外の音楽シーンとの接点はありましたか?

橋本:早稲田大学の swing&jazz というサークルに遠征して、セッションをしていました。またジャズのライヴハウスにも少しずつ出演したりしていました。

JT:在学中の1980年に YMOの初の国内ツアーに参加されたとありますが。きっかけは?

橋本:それは、卒業してからです。

カラードミュージックの前身のサイエンスフィクションというバンドで活動していた頃に、短期間でしたが知人の紹介でアルファレコードにお世話になっていた時期があり、その時に声をかけられました。

JT:最後に夢を語ってください。

橋本:夢は現実と非現実の狭間にゆらめく時空。私は夢のように生きたいと思います。

 

 

 

稲岡邦彌

稲岡邦彌 Kenny Inaoka 兵庫県伊丹市生まれ。1967年早大政経卒。2004年創刊以来Jazz Tokyo編集長。音楽プロデューサーとして「Nadja 21」レーベル主宰。著書に『新版 ECMの真実』(カンパニー社)、編著に『増補改訂版 ECM catalog』(東京キララ社)『及川公生のサウンド・レシピ』(ユニコム)、共著に『ジャズCDの名盤』(文春新書)。2021年度「日本ジャズ音楽協会」会長賞受賞。

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