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InterviewsNo. 295

Interview #253 レコーディング・プロデューサー「Sun Chung:サン・チョン」

photo above ©Arianna Tae Cimarosti
Interviewed by Kenny Inaoka for JazzTokyo, October  28, 2022

Sun Chung サン・チョン
Recording producer@Red Hook Records
1982年5月18日、サンフランシスコ生まれ。
父親は国際的に活躍する指揮者・ピアニスト、チョン・ミョンフン Myung-Whun Chung。
2001年、NYに移住。ニュースクール(NYC)でジャズ・ギター、NEC(ボストン)で作曲を学ぶ。2012年、ECM入社、マンフレート・アイヒャーについてプロデューサー業を学ぶ。2020年、独立、アイルランドに自身のレーベル Red Hook Recordsを設立、菊地雅章のアルバム『Hanamichi:花道』をリリース。パンデミックの沈静を待って本格的なリリースを再開。

Part 1
ECMから独立、自身のレーベル Red Hook Records設立

JazzTokyo:ご自身のレーベル「Red Hook Records」はいつオープンしたのですか?

Sun Chung:2020年。Covid(コロナウイルス)が始まった頃ですね。不運にも長いあいだリリースができなくて、まだたいしたタイトルが陽の目を見ていないのですよ。幸いにも正常な状態に戻りつつあるので、完全に2025年までの見通しを立てることができました。

JT:Red Hookは何を意味しているのですか?

Sun:Red Hookは、NYブルックリンの近郊で僕が住んでいたところの地名です。たくさんのミュージシャンたちが集まってアイディアの交換をする地域でいい思い出がいろいろ残っているんです。そこには2、3年住んでいたのですが、僕の音楽の志向やアイデンティティを育む体験を積んだのです。ですから、ネーミングは僕がそこに住んでいた事実へのこだわりですね。

JT:このレーベルを設立した目的を教えてください。

Sun:僕にとってレーベルが音のアイデンティティを持っていることがとても重要なんですね。つまり、音を聴いてその音がRed Hookの音であると認識できることですね。僕の好きなレーベルは、ECMやブルーノート、Warpなどですが、これらのレーベルは例外なく音のアイデンティティを持っていますよね。僕にとって、この音の要素なしにレーベルを運営することは無意味に近いと思えるんです。ただ良い音楽をリリースすることだけが目的ではあまりにも掴みどころがなく意味がないと思えるんです。ですから、作品の99%は自社で制作し、ミュージシャンたちとお互いの美学を融合、統一して音楽を形づくることができたのです。

JT:本社はソウルですかNYですか?

Sun:本社はアイルランドに置いていますが、僕は制作の仕事で旅に出ていることが多いですね。

JT:最初のリリースは菊地雅章の『Hanamichi:花道』でしたが、菊地さんとはどういう関係でしたか?

Sun:マサブミとは親友であり、仕事を共有するミュージシャンでもありました。最初に会ったのは、2011年のヴィレッジ・ヴァンガードで、ポール・モチアンとの共演セッションでした。初対面からなぜか意気投合し(私も同じく頑固者であることに気付いていたからかもしれませんが 笑)、何度か話し合った結果、一緒に仕事をすることになりました。その結果、素晴らしいアルバム『Hanamichi:花道』が出来上がりました。私たちは、彼が2015年に亡くなるまで、友人であり続けたのです。

JT:近々、『Hanamichi:花道』の増補改訂版がリリースされるようですね。

Sun:2025年の彼の10回忌にデラックス版をリリースする予定です。デラックス版はLP2枚組で同じセッションから未発表曲も収録、ブックレットも新装になります。

JT:ストックのアルバムは何タイトルあるのですか?

Sun:かなりありますね。2025年までに10タイトルくらいかな。

JT:録音はどこで?

Sun : 通常はミュージシャンが住んでいるところで録音しています。結果的にNYが多くなりますが、イギリスの田舎の小さな教会ということもあります。

JT:Red Hookが録音したミュージシャンの多くがECMと被りますよね。両者の録音が競合するとは思いませんか?(注:Red Hookの発売予定リストには、菊地雅章、ワダダ・レオ・スミス、アンドリュー・シリル、ビル・フリゼール、キット・ダウンズ、ジェイソン・モラーンなどの名前が挙がっている)

Sun:必ずしも競合ではなく、むしろ音楽性の展開だと理解していますが…。確かにミュージシャンが被る部分はありますが、制作上のコンセプトはまったく違います。たとえば、僕はECMでワダダ・レオ・スミス、アンドリュー・シリル、ビル・フリゼールのトリオでアルバムを制作しました(注:『Lebroba』ECM2589, 2018)が、Red Hookではコンセプトを一歩進めてモジュラー・シンセのカシム・ナクヴィを加えています。結果として、音のパレットは拡張され、聴感上は似ているようでいて一方では大きく異なってもいるのです。

JT:年間の制作予定タイトルはどのくらいになりますか?

Sun:新作についてはかなり厳選していますので、それほど多くはありません。5タイトルくらいでしょうか。

JT:ヴァイナル(LP)でもリリースする予定ですか?

Sun:もちろん、すべてヴァイナルでもリリースします。アルバムを鑑賞するためにはヴァイナルとCDが最上のメディアだと認識しています。制作段階で、ストリーミングではなくヴァイナルとCDで聴かれることを想定しています。

JT:配信についてのお考えは?

Sun:僕らが制作する音楽は配信でも聴取可能ですが、僕の好みではありません。配信の場合、配信上の妥協が必要になりますね。

Part 2
マンフレート・アイヒャーについてプロデューサー業を修得、ECMで十数作のアルバムを制作

Jazz Tokyo:プロデューサーとしてECMに入社したのはいつですか?

Sun Chung:NYでのビリー・ハートが参加したレコーディング・セッションでマンフレート・アイヒャーに出会い、ECMに入社したのは2012年でした。

JT:ECM在籍中にプロデュースしたアルバムは何作になりますか?

Sun:十数枚だと思います。

JT:スタジオでマンフレートとセッションを共有したことはありますか?

Sun:もちろん何度もあります。マンフレートに同行してスタジオに入り、名匠の制作作業を体験することはとても楽しみでした。

JT:マンフレートから制作について学ぶことはありましたか?

Sun:マンフレートから学ぶことはたくさんありましたし、ECMで働くことができたのはとても幸運だったと思います。プロデューサーにとってマンフレートのような名匠から現場で直接学べることはなかなかできることではありません。マンフレートと現場を何度も共有できた体験は本当にかけがえのないものでした。ミュージシャンとの接し方、テイクの合間にミュージシャンを導くやり方、ミックスへの取り掛かり方、プロジェクトのまとめ方などなど自分のプロデューサーとしての成長はECMでの経験がなければずっと時間がかかったと思います。

JT:チョン一家もECMとの関係はとても親密だと思いますが、マンフレートが一家とプロデューサーとして関わる可能性はあると思いますか?(注:父親のチョン・ミョンフンは指揮者/ピアニスト、ミョンフンの姉二人、チェリストのミョンファ、ヴァイオリニストのキョンファはミョンフンと結成した「チョン・トリオ」として国際的に活躍)

Sun:自分の父親のピアノ・アルバムをECMで制作しました。『ピアノ』というアルバムで子供たちのためのピアノ作品集です。(注:『Myung Whun Chung/Piano』ECM2342,2014。邦題『チョン・ミョンフン/エリーゼのために〜マエストロからの贈り物』)

JT:ECMのプロデューサーとしてマンフレートを継ぐのではと想定されていたと思われますが、早々にEC Mを退社した理由は?

Sun:そうですねえ、早々に退社したとは思いませんが..。10年ほど在籍していましたから。自分が制作する作品に創作面でさらに自由が欲しいと思うようなレヴェルに達したので、思い通りに制作できる場として自分のレーベルをスタートさせる決心をしたのです。

JT:ところで、ECMのカタログをどのように評価していますか?

Sun:素晴らしい作品群だと思います。そのほとんどをマンフレートがひとりで制作した事実は驚異的です。さらに驚くべきは、多種多様な音楽ジャンルにわたっていながら、同時にすべてに共通する脅威、つまりマンフレートのヴィジョンが貫徹していることです。

JT:マンフレート後のECMを想定できますか?

Sun:まったく想定できません...。

Part 3
リスナーのソウルとスピリットを感動させる音楽を制作したい

JazzTokyo:生年月日と生地を教えてください。

Sun Chung:1982年5月18日、サンフランシスコ生まれです。

JT:著名な音楽一族に生を受けましたが...。

Sun:とても恵まれていたと思います。子供の頃、父が練習しているピアノの音で目が覚めたという楽しい思い出があります。きっと、そういう体験が知らず知らず身体に浸透し、音楽の基礎が形成されてきたのだと思います。

JT:最初に演奏した楽器は何でしたか?

Sun:14歳の頃にギターの演奏を始めました。

JT:父親から音楽教育を授けられましたか?

Sun:父親から正規の音楽教育を受けたことはありません。父が教師として充分な忍耐力があるとは思っていなかったからです。もちろん、父の演奏は何度も耳にし、音楽についての議論も度々しました。それ自身、素晴らしい音楽教育だったと思います。

JT:音楽学校での教育は受けましたか?

Sun:NYのニュー・スクールでジャズ・ギターの学士号を取り、次いで、ボストンのNEC (ニュー・イングランド音楽院) で作曲の学士を目指しましたが、ECMに入社したため果たせませんでした。

JT:音楽で身を立てようと決心したのは何時ごろでしたか?

Sun:16歳の頃に何か音楽で身を立てたいと思ったことは覚えています。

JT:プロとして演奏した経験はありますか?

Sun:はい。しかし、程なくステージで演奏することに嫌気がさし、作曲、ついで制作に移行していくことになったのです。つまり、僕のプロデューサーへの道のりはとても自然でかつ前向きなものだったと言えるのです。

JT:NYへ移住したのは何歳の時でしたか?

Sun:2001年、19歳の時でした。

JT:プロデューサーとしての最初の仕事は?

Sun:プロとしての最初の制作はアーロン・パークのアルバム『Arborescence』でした。(注:『Aaron Parks/Arborescence』 ECM2338, 2013)

JT:最愛のミュージシャンは?

Sun:マイルス・デイヴィスです。

JT:最愛のプロデューサーは?

Sun:僕が偏愛するプロデューサーは熟達の作曲家でもあるクインシー・ジョーンズやアリフ・マーディンといったところですね。

JT:最後に夢を語ってください。

Sun:このインタヴューの性格上、音楽についての夢を語りましょう。リスナーのソウルとスピリットを感動させ、リスナーの生きざまに歓びをもたらす音楽を制作することです。

Interview with Sun Chung

Sun Chung
Recording producer@Red Hook Records
Born in San Francisco on May 18, 1982.
His father is Myung-Whun Chung, an internationally acclaimed conductor and pianist.
In 2001, he moved to New York City. In 2012, he joined ECM, where he studied producing with Manfred Eicher, and in 2020, he launched his own label, Red Hook Records, in Ireland, releasing 1st album Masabumi Kikuchi “Hanamichi”. Actually, he needed the pandemic to subside before resuming full-scale releases.

Part 1
Jazz Tokyo: When did you open your label Red Hook Records?
Sun Chung: We launched in 2020, just around the time Covid hit. It was a little unfortunate because all our productions had to be delayed for a long time so we did not have many releases. The good news is that we are now back on track and have a full release schedule until 2025!

JT: What does Red Hook stand for?
Sun: Red Hook is a neighborhood in Brooklyn, NY where I used to live. I have fond memories of that place because a lot of musicians used to gather there to exchange musical ideas. I lived there for about 2-3 years and the experience really helped me shape my musical tastes and identity. So the name is a dedication to my time living there.

JT: What is the aim of your new label?
Sun: It is very important to me that a label has a sonic identity. Like when you hear the music, you might be able to guess that it is from Red Hook. My favorite labels such as ECM, Blue Note, Warp, etc… They all have this sonic identity. It seems almost futile to me to run a label without this sonic element, because it is too generic and pointless to just say that the goal is to release good music.
That is why 99% of the releases are produced in-house, so that we could shape the music together with the musicians, combining and unifying our aesthetics.

JT: Do you have your main office in Seoul or New York?
Sun: Our main office is actually in Ireland but I travel a lot for productions.

JT: Your 1st release is Masabumi Kikuchi’s Hanamichi. What is your relationship with Kikuchi?
Sun: Masabumi was a dear friend and a musician whom I worked with. I met him for the first time in 2011 at the Village Vanguard playing with Paul Motian. Somehow from the very first moment, we got along very well (maybe because he noticed that I was also stubborn haha), and after some discussions, we decided to work together. The result was the incredible album Hanamichi. We remained friends until his passing in 2015.

JT: Are you going to release the extended version of his album in near future?
Sun: Yes, we are planning on a deluxe version for the 10th year anniversary since his passing in 2025. The deluxe version will contain a double LP with never released music from the session and new booklet content.

JT: How many albums do you have ready to go?
Sun: Our release schedule is quite full and we have about 10 albums coming out from now till 2025.

JT: Where did you record them?
Sun: We usually record the albums depending on where the musicians are located. Many times it is in NY but it could also be in a tiny church in the English countryside.

JT: Many of musicians you have recorded are those who recorded also for ECM. Don’t you think they may be competitive with those by ECM?
Sun: I don’t necessarily see it as competition but more as a musical development.. Some of the musicians might be the same but the production concept is very different. For example I made a record with Wadada Leo Smith, Andrew Cyrille, and Bill Frisell for ECM, but on Red Hook, we took that concept a step further and introduced Qasim Naqvi on modular synth. The sonic palette has been extended and even though the listening experience has similar qualities, it is also very different.

JT: How many albums do you plan to produce annually?
Sun: I am very selective in choosing new productions, so not so many. The goal would be to produce around 5 albums annually.

JT: Are you going to release also on vinyl?
Sun: Yes, we release everything on vinyl. I find that vinyl and CD are the best mediums for listening to an album. When I work on a production, I imagine that they will be experienced through these formats rather than streaming.

JT: How about digital distribution?
Sun: Our music is available digitally but it is not my preference. Compromises needed to be made with the distributors.

Part 2
Jazz Tokyo: When did you join ECM as the producer?
Sun: I joined in 2012 after meeting Manfred Eicher at a recording session with Billy Hart in NY.

JT: How many albums have you produced for ECM?
Sun: I have produced around a dozen albums for ECM.

JT: Did you share sessions with Manfred at studio?
Sun: I shared many sessions with Manfred. I very much enjoyed going to the studio with Manfred and to experience a master at work.

JT: Did you learn anything about producing from Manfred?
Sun: I learned a lot from Manfred and I feel very lucky to have been able to work at ECM. It is rare for a producer to learn with this kind of direct mentorship. The experience of being with him in the studio so many times was invaluable. I got to observe how he interacts with musicians, how he guides them between takes, how he approaches a mix, how he puts projects together… I feel that my development as a producer would have been much slower had I not worked for ECM.

JT: We think your family are also pretty close to ECM. Is there any possibility for Manfred to produce any of them?
Sun: We produced my father’s piano record together with ECM. The album is called ‘piano’ and is a collection of piano works dedicated to children.

JT: We thought you would succeed Manfred as the producer for ECM. Why did you quit ECM so soon?
Sun: Well, I did not quit so soon 🙂 … I was at ECM for almost 10 years. I arrived at a point where I needed more creative freedom in my productions, so I decided it was time to start my own label which allowed me more flexibility.

JT; How do you evaluate ECM catalog?
Sun: It’s an incredible collection of work. To think that Manfred produced almost all of them is mind-blowing. What is amazing is the multitude of musical genres but at the same time all have a common threat, which is Manfred’s vision.

JT; Can you imagine what may happen after Manfred?
Sun: I really do not know…

Part 3
JazzTokyo:Please let us know your birth date and place.
Sun: I was born on May 18th 1982 in San Francisco.

JT; You were born under the well-known musical family? How was that?
Sun: I think it was mostly a blessing. I have fond memories of waking up as a child to the piano sounds of my father practicing. I am sure that I have been influenced by those kinds of experiences by osmosis, and that those experiences have helped me shape my musical foundation.

JT: What was your first musical instrument and when?
Sun: I started playing the guitar at around 14.

JT: Did you study music under your father or?
Sun: I did not formally study music with my father because he did not think he was patient enough as a teacher, but of course, I heard a lot of his performances and we had many discussions about music, which was in itself a great musical education.

JT: Did you study at any music conservatory?
Sun: I got an undergraduate degree in jazz guitar at the New School in NY, and then started my master in composition at NEC in Boston. I was never able to finish my masters because I got hired by ECM.

JT: When did you decide to follow musical career?
Sun: I knew when I was around 16 that I wanted to do something with music.

JT: Have you ever played as a professional?
Sun: Yes, but I realized after some time that I never felt comfortable performing on a stage so that is why I shifted to composition and then production. So my journey to becoming a producer was actually a very natural and progressive one.

JT: When did you move to NY?
Sun: I moved to NY in 2001.

JT: What is your first job as a producer?
Sun: I would consider my first real production as a professional was with Aaron Parks. The album is entitled Arborescence.

JT: Who is your most favorite musician?
Sun: Miles Davis.

JT: Who is your most favorite producer?
Sun: I really admire producers who are also skilled writers. So I would say someone like Qunicy Jones or Arif Mardin.

JT: Please let us know your dream.
Sun: Since this is a music interview, I will tell you my musical dream. It would be to produce music that touches the soul and spirit of the listeners, and that the music could bring joy into their lives.

稲岡邦彌

稲岡邦彌 Kenny Inaoka 兵庫県伊丹市生まれ。1967年早大政経卒。2004年創刊以来Jazz Tokyo編集長。音楽プロデューサーとして「Nadja 21」レーベル主宰。著書に『新版 ECMの真実』(カンパニー社)、編著に『増補改訂版 ECM catalog』(東京キララ社)『及川公生のサウンド・レシピ』(ユニコム)、共著に『ジャズCDの名盤』(文春新書)。2021年度「日本ジャズ音楽協会」会長賞受賞。

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