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No. 225R.I.P. 内田修

追悼 “Dr.Jazz” 内田修 「ありがとうございました」

内田先生に初めてお会いしたのが僕が菊地雅章さんのバンドに入って間もない頃、名古屋でのコンサートの打ち上げで昔のラブリーに行き、そこでPooさんが先生に紹介してくれました。「うん、頑張りなさい」と言って頂いたのが最初の言葉だったのを覚えています。そして今年の3月、フレンズと云う名をつけたスペシャルセッション(峰厚介、増尾好秋、山本剛、鈴木良雄、村上寛)で ラブリーでお会いしたのが最後になってしまいました。その時はお元気で上機嫌‼️お酒も呑み 楽しい話などして、和かにしてました。初めてお会いしてから3月のラブリーまで45年以上 本当にお世話になりました。峰さん、板橋、井野、とCDを作る時、フォーサウンズと言うバンド名をつけてくれたのもライナーノーツを書いてくれたのも先生でした。会えば何時も励ましてくれ、手首のガングリオンの手術もしてくれました。胃の検査でバリウムを飲まされ、その後直ぐ食事をご馳走して頂き酒をガンガン飲まされたりと、、楽しい思い出になってしまいました。
11月にJJ Spritsでラブリーに行った時。また先生にお会いできると思って居ましたが入院していて会えませんでした。その時の話では たいした事は無いと言う感じだったので又近いうちに会えると思っていましたが残念です。
先生、長い間本当にありがとうございました。心よりご冥福をお祈り申し上げます。(村上 寛)

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