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No. 228R.I.P. ミシャ・メンゲルベルク

ミシャとサブ、そしてモンクを想うとき      望月由美

ミシャの訃報を聞き、真っ先にICPの『AAN & UIT』(ICP, 2003)をCDトレイにのせた。
その2曲目、ミシャのミャーミャーという猫の鳴き声のような唄とともにミシャのピアノがかさなる。
そう、この音がミシャなのだ。ミシャの数多い音源の中で最もミシャらしい自由で闊達な音、この中にいちばん好きなミシャがいる。
<クレパスキュール・ウィズ・ネリー>に似たホーンのアンサンブルの中をミシャのピアノとボイスが自由気ままに戯れる。
そしてハンがブラシで加わる。
この瞬間、ミシャがモンクと同化する。
ミシャはこれまでに多くのモンク集をつくっているがやはりこの演奏が一番好きだ。

このCDを聴いた後にSABU・豊住芳三郎(ds, 二胡)に電話をした。
サブもすでにミシャのことは知っていた。
<そうだね、ミシャのモンクはスピリッツが似ているんだ>

ミシャとはもう30年以上も前の1985年にサブが初めてミシャを日本に招いた時に知り合った。
ミシャはサブの家に泊まり、サブと日本各地をデュオ・ツアーしたのである。
まだ40代後半のミシャは健啖家で、寿司はもちろんのこと焼き肉などもビールを飲みながら5,6人前をペロリと平らげてしまった。
キエフ生まれのミシャにとってビールは水がわりなのだ。
そして実は何よりも大好きだったのが卵かけご飯だったということをサブから聞いた。

また、このころのミシャはヘビー・スモーカーで、常にタバコをくわえていた。
新宿ピットインで撮らせていただいた紫煙をくゆらせながらピアノに手をかかげている写真をミシャにさしあげたらとても喜んでくれて帰国後、お礼の手紙をいただいた。
以来、その写真は「紫煙のミシャ」として忘れられない一枚となった。

それから7年半後に2度目のツアーで来日、ツアーが終わって帰国する際に、<ツアーは3年置き位がちょうどいいから3年後にまた来るよ>とミシャからサブに話があって、このあと本当に3年ごとに5回、日本でデュオ・ツアーを行っている。

ミシャは日本人がバンザイをするのが好きで二人のツアーを「バンザイ・ツアー」と言っていたそうである。

2010年、ミシャに認知症の症状が出始めたと聞いたサブはアムステルダムのミシャの家を訪ねたそうであるが、その時はすごく元気で、普通で、明後日ソロ・コンサートをやるんだと話してくれたという。
<ピアノじゃなくてヴォーカルのソロ・コンサートなんだ! みんな俺の声を聴きたがっているんだよ>といい、笑っていたという。

サブは数多くのミュージシャンを招聘し日本に真のフリー・ミュージックを紹介してきたが、振り返ってみるとミシャが一番良かったねとため息を漏らした。
<もう、雲の上の人、肩に力が入ってなくてもの凄い音出してさあ、肩ひじ張らずにあれだけものすごい音を出してスピードも半端じゃないし、あれは努力してどうのこうのじゃあないよね、無手勝流の域だよね>
<資質だよね、生まれ持って大陸のスケールを持っているんだよ。大陸のトップだよ、人間がリッチなんだよ、ハートがね>
根っからのコスモポリタンSABU・豊住芳三郎は最後に<僕にとってはミシャは雲の上の人だね、レベルは神だよね>といいニュージーランドへと旅立った。

ミシャがピアノを弾いた多分 ICPオーケストラ最後の作品『ICP 049』(ICP,2009) に6分ほどのDVDがボーナス・トラックとして入っている。
公園のような所でミシャが鉄のパイプを拾い、その穴を望遠鏡のように見つめるシーンから始まる。
パイプの穴の向こうには ICPの面々がユニークな演技を繰り広げ、ハンが真っ赤な車で街を突っ走る。やがて再び公園にシーンが戻りミシャがその鉄パイプを放り投げて終わるという内容であるが ICPの一人一人の演技が演奏同様ユニークで、画面つくりもシュールでまさに ICPそのものである。
ここに写っているミシャは表情豊かで音がにおい立つようである。
この先ミシャを想いかえすときはこの短い幻想的なストーリーを見ることにしたいと思う。

ミシャは20世紀の大指揮者ウィレム・メンゲルベルクの甥でやはり指揮者・作曲家のカレル・メンゲルベルクを父に持ち、叔父も作曲家・音楽学者というクラシック音楽の名門の出身で家系のなかでは異端の存在であったが、あの世では父の指揮の下で壮大な交響曲を奏でているに違いない。

3月25日にはアムステルダム「ビムハウス」でミシャの追悼コンサートが行われる、ICPをはじめ多くの人が集いミシャの冥福を祈るのだろう、合掌。

望月由美

望月由美 Yumi Mochizuki FM番組の企画・構成・DJと並行し1988年までスイングジャーナル誌、ジャズ・ワールド誌などにレギュラー執筆。 フォトグラファー、音楽プロデューサー。自己のレーベル「Yumi's Alley」主宰。『渋谷 毅/エッセンシャル・エリントン』でSJ誌のジャズ・ディスク大賞<日本ジャズ賞>受賞。

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