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R.I.P. ランディ・ウェストンNo. 246

さようならランディ(・ウェストン)

text by Masahiko Yuh 悠 雅彦

ランディ・ウェストンといえば、私には忘れられない思い出がある。とはいっても、何せ40年以上昔のことゆえランディと何を話したか、ほとんど覚えていない。それどころか、そこにランディがどうしていたのかさえもまったく思い出せないのだ。1970年から約10年ほどは毎年のように米国へ出かけ、いつの場合も必ず日記を書くことにしていたし、どんなに煩雑な日でもメモぐらいは必ず書き留めていたのだが、肝腎のランディーと会って話を交わしたときの記録がいくら探しても見つからない。これには弱った。彼と何を話したのかさえ何一つ覚えていないとなれば、私が彼と会ったのはこの一度だけだから思い出話などというのはおこがましい。編集部から矢の催促が連日あり、資料が見つからないので諦めますとは言えない羽目に追い込まれた。ここまできたらもはや逃げられない。

それは40数年前の1975年か76年のどちらかだったと思う。1975年と76年は私がジャズ・レコードのプロデューサーとしてニューヨークやシカゴでの制作活動に奔走していたころで、そんなてんてこ舞いの多忙に紛れてメモを書き忘れたのかもしれない。ある日、私は敬愛してやまぬ音楽家の妹君と親しく会話を交わした。彼女はあのジャズの巨人、デューク・エリントンの妹、ルース・エリントンだった。

ちなみに、ルース・エリントンはおよそ14年前の2004年3月11日(1915年7月2日生)に88歳で亡くなった。兄のデューク(1899年4月29日~1974年5月24日)の楽譜の整理やマネージメントを手伝っていたことぐらいしか私は知らない。どんな偶然で彼女と知り合ったのかもメモがない以上、40数年も経った今ではまったく分からない。覚えているのは彼女の当時の連れ合いがマックヘンリー・ボートライト氏というオペラ歌手で、メトにも出演した経歴を持つ人だと伺ったことだが、残念ながら歌声を耳にする機会はなかった。すると不意に彼女が言った。いま自分の住まいにランディ・ウェストンがいるから一緒に行きませんかと誘ってくれたのである。断る格別な理由がなかったことに加え、ランディ・ウェストンに会えるのはまさに千載一遇の機会ととっさに判断して彼女のお住まいにお邪魔した。彼女の住まいがどこだったかも今では何一つ思い出せない。コロムビア大学の近くだったような気もするし、メトの近くだった気もする。ちなみにルースはコロムビア大学の出身だった。

ランディは居間の壁を背もたれがわりにして何やら読書の最中らしかった。ランディとルースをはじめとするエリントン一族とどんな交流をしているのかを恐らくは失礼がない程度に尋ねたはずだが、これも思い出せない。40数年の時間が人間の記憶を少しづつ消し去っていく。覚えているのは、ランディが当時住んでいたモロッコから帰米して間もないころだったということと、しばらくは米国ジャズ界で復帰後の活動をするべく思案している段階にあるらしいということぐらいだ。ランディはコック(料理人)としても一流で、50年代にはニューヨークで日中コックとして働いていたこともある。その話になったとき、傍にいたルースが口を挟んだ。ランディが今夜はここで料理を作ってくれるというから、一緒にどう?

彼は2001年の秋を皮切りに2012年までに4度、京都の上賀茂神社でコンサートを催している。1978年5月に観光で初来日したときは演奏の機会がないまま帰国したが、1993年にスイングジャーナル誌のジャズ・ディスク大賞のパーティーに招待された折り盛岡のクラブ「ノンク・トンク」で演奏しており、これが事実上彼の日本における初公開演奏だった。ネットで検索すると、2001年秋以来のランディの上賀茂神社出演の詳細が列記されている。その中で、もし上賀茂神社コンサートの出演情報を事前に知っていたら、多少の無理をしてでも出かけただろうと思ったことが一つ。もう一つは、東日本大震災が起こった翌年の2012年、心を痛めたランディから自分に何か出来ないかとの申し出があったとの情報が目を引いた。何と心優しい男だろう、ランディは。2012年といえば、マイルスやコルトレーンと同じ年齢の彼は86歳のはず。その彼が2012年にテナー奏者ビリー・ハーパーを伴って上賀茂信者の庁の舎(ちょうのや)で演奏したとは。ハーパーとは60年代末に彼がサド・ジョーンズ=メル・ルイス・オーケストラに在籍していたころからの付き合いだし、何はさておき京都へ向かっただろう。それはともかく、その文字通り親日派ジャズ演奏家の第1人者だったランディ・ウェストンがついに帰らぬ人となった。『アフリカン・クックブック』や『リトル・ナイルズ』などの愛聴盤はあるが、今はただ日本を愛してやまなかった彼の冥福を祈ってこの追悼文を締めくくりたい。さよなら、ランディ。(2018年9月30日記)

悠雅彦

悠 雅彦:1937年、神奈川県生まれ。早大文学部卒。ジャズ・シンガーを経てジャズ評論家に。現在、洗足学園音大講師。朝日新聞などに寄稿する他、「トーキン・ナップ・ジャズ」(ミュージックバード)のDJを務める。共著「ジャズCDの名鑑」(文春新書)、「モダン・ジャズの群像」「ぼくのジャズ・アメリカ」(共に音楽の友社)他。

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