児山紀芳先生の思い出

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text by Mao Sone 曽根麻央

 

2月2日の昼過ぎ、児山紀芳先生の奥様からの電話で、僕と僕の母は車に飛び乗った。翌日に先生の見舞いの約束をしていたが、奥様曰く、明日では間に合わないかもしれないと言う。家が隣町で近く、家族ぐるみのお付合いを19年近くさせていただいていたのもあり、お見舞いには先生の入院当初から伺い、復活を心から信じていたので、かなりショックだった。ただ、その時はそんなことを感じる間も無く車を走らせ、先生の病室に向かった。意識のない、しかし呼吸の荒い先生に、ただベッドの横から「ありがとうございます」と「また来ますね」としか言えなかった。翌日3日の朝、奥様から電話があり先生が永眠されたとのことを伝えられた。病院へ再度駆けつけると、奥様と、NHK-FM「ジャズ・トゥナイト」のディレクター、田村さんがいらした。奥様は先生を看取ることができたそうだ。4ヶ月ぶりに様々な管や医療機器が取り除かれ、病院ベッドの上で静かに横たわる先生を囲み、涙を流した。

僕と児山紀芳先生の出会いは、まず僕の祖母とレイ・ブライアントから始まる。70年代から90年代にかけて祖母の経営していた新宿・歌舞伎町のジャズ喫茶「てんとうむし」によく足を運んだレイ・ブライアント。レイやウッディー・ショーが当時の都内でくつろげる「ジャズの聞ける場所」として利用していた事が分かる写真がたくさんある。

2000年、僕と児山先生の地元・柏にあるライブハウス「Studio WUU」にレイ・ブライアントが出演した時、僕は両親に連れられ、昔の歌舞伎町のジャズ喫茶の写真を持って立ち寄った。店内で祖母とレイが写った写真だ。見せるとレイも店や祖母のことをよく覚えていた。2000年の当時、僕は小学3年生でジャズ・トランペットを始めたばかりであった。もちろんその柏でのライブの企画は児山先生だった。両親がレイと話していると横には児山先生ご夫妻がいらした。ルイ・アームストロングに憧れてトランペットを始めたばかりだった私は、ジャズが好きだと児山先生に伝えると、嬉しそうに笑いながら「え? 君、本当にジャズが好きなのー?」と言われたのを覚えている。

それがきっかけで交流が始まったのだが、本格的になったのは2001年からだった。柏市にこどもビッグバンドを作り、トップアーティストと共演させようと、児山先生が「さわやかちば県民プラザ」の当時の所長・渥美省一さんと企画を立ち上げた頃からだった。僕もその企画に応募し、2番兼ソロ・トランペットを吹くことになった。アーティストとして日野皓正氏が、指揮者兼指導者として守屋純子氏、そして管楽器の指導で故・宮本大路氏も柏市を来訪した。元々は一回きりの企画であったが、せっかく組んだ子供ビッグバンドをこれきりにしておくのも勿体無いということで、児山先生のご友人で且つバンド・メンバーの保護者でもあった岡本祐彦さんが中心となって運営し、一時は市の企画を離れて存続することになった。児山先生のネーミングで”Junior’s Jazzy Dreams”(以下JJD)と名付けられ、Lew Tabackinとの共演、McCoy Tynerの前座としての演奏など貴重な体験を3-4年の期間させていただいた。先生は練習会場によく駆けつけ、ジャズのお話をわかりやすく子供達にされることもあった。

こども達の練習に真剣に耳を傾ける児山先生 @ 柏Studio WUU
Lew Tabackinと児山先生 @ アミュゼ柏
守屋純子とJunior’s Jazzy Dreams
小学生の頃の僕 with JJD

2002年頃、レイ・ブライアントのトランスクライブ(耳コピ)にはまっていた小学5年生の僕は、JJDの練習の休憩時間にはピアノの席を借り、お得意のレイのブルースを演奏していた。 それを児山先生が耳にされ、なんとレイ・ブライアントのディナーショーの前座に呼んでくださった! “Gotta Travel On” “St. Louis Blues” “Take The A Train”などレイの十八番を遠慮なく弾いたのを今でも覚えている (笑)。アンコールでは“Bag’s Groove”を、トランペットでシットインさせていただいた。

また、レイが秋葉原にあったTokyo Tucに来た際も、アンコールで共演の機会を与えて下さった。

その後ぐらいから、児山先生から、こんなのを勉強で聞いたほうがいいよ、と大量のCDの入った小包が届くようになった。その中にはMiles DavisやJohn Coltrane、Mingusといったアーティストの名盤の数々、当時僕が好きだったKenny Dorham、そしてBooker LittleやPharoah Sandersといった僕が未だ知らないミュージシャンの作品も多数あった。未だに僕のCDコレクションの半分は児山先生からの贈り物で、僕のジャズの知識は児山先生なしにはもっと偏ったものになっていただろう。

児山先生は実に音楽には正直であった。高校を卒業する頃、僕はある有名ミュージシャン達との共演アルバムを作っていただいたので、児山先生にもお渡しし聞いていただいた。だが先生は「このような音のクオリティーは、現在の音楽シーンではとても通用しないので、今回はラジオではかけません。きちんとアメリカで勉強して、いいものが作れたらラジオでかけます。」とハッキリ言ってこられた。これは正しい判断であったと思う。音楽に誠実に、正直に生きた人にしか言えない事である。どんな人に対しても先入観無しに平等に接し、自分の耳を信じて、その信じた物の価値を言葉で表現できる数少ない人の一人だった。

僕がアメリカで勉強している時も何かと気にかけて下さった児山先生。自主制作のアルバムを作って送ったら、ついに「ジャズ・トゥナイト」出演のOKが出て嬉しかった。なんとか僕をアメリカのレーベルからデビューさせようと多方面に声をかけて資料を送って下さったのも感謝しきれない(この時の実現されなかったアイディアが、ポニーキャニオンから出した2枚組アルバム『Infinite Creature』へ繋がるわけだが)。アメリカでの僕のコネクションを確実に広げていただいた。

原朋直さん、児山先生、僕:NHK-FM「ジャズ・トゥナイト」収録
僕、児山先生、石若駿くん:NHK-FM「ジャズ・トゥナイト」収録

2017年に日本に僕が帰国すると、すぐ児山先生の自宅に挨拶に行った。すると、年末にNHK-FMの「ジャズ・トゥナイト」と「セッション」の合同スペシャル企画番組「セッション・トゥナイト」のアレンジを担当してほしいといわれた。番組の前半50 分はジャズ誕生100年を祝うのにふさわしい選曲と、5-6人のトランペットとリズム・セクションでやってほしいという事だった。すぐさま人選と選曲をNHKと行い、アレンジを完成させリハを行った。この時のメンバーは広瀬未来、類家心平、市原ひかり、石川広行、高澤綾、僕・曽根麻央がトランペット、片倉真由子がピアノ、須川崇がベース、石若駿がドラムスというメンバーだった。“C Jam Blues” “Do You Know What It Means To Miss New Orleans?” “Prelude To A Kiss” “Milestones” “When The Saints Go Marching In”のアレンジを僕が担当した。特にMiles Davisの “Milestones” は児山先生の強いリクエストだったと記憶している。

また中島朱葉と片倉真由子のデュオ、西口明宏トリオ、そして僕・曽根麻央のクインテット “Brightness Of The Lives” で井上銘、山本連、木村紘を迎えて4曲ほど演奏した。

番組の公開収録後すぐに児山先生からメールがきた。

曽根麻央君へ
昨日のセッション・トゥナイトでの編曲とグループの演奏、すべて素晴らしかったです。実を言いますと、私が考えていた以上に、内容が豊富で濃く、お世辞抜きで、聴衆に褒め言葉を伝える喜びを感じました。新作の完成を期待しています。
ママとパパによろしく。
児山紀芳

Infinite Creatureのライナーノーツにサインをいただいた

これは本当に嬉しかった。同時に進行していた僕のアルバム制作でライナーノーツを児山先生に依頼したこともあり、この頃はとても頻繁に連絡を取らせていただいていた。

2017年10月に僕のライブに訪れたJJDの岡本さんと久々に再会。岡本さんより児山先生の入院の話を耳にする。その後すぐ児山先生の奥様より連絡があり、最初のお見舞いに伺う。先生の意識もはっきりして元気そうだったので安心したのを覚えている。その時に先生の口から直接「1月の『ジャズ・トゥナイト』の司会進行を僕の代わりに麻央くんに頼もうと思っているので、宜しく!」と言われた。

・・・・・・

非常に個人的な思い出を長々と書いてしまったが、児山先生の繋いできて下さったジャズの歴史が、きちんと受け継がれ、広まっていくのを恐らく先生は望まれている。若い世代のミュージシャンで先生と関わりのあった人は少ないと思う。でも今、この日本で、こんなに沢山のジャズの情報が、あらゆる媒体を通して溢れているのは、児山先生の偉業のためであると確信を持って言える。

一つここまで話題にあげなかったが、児山先生の隣にはいつも奥様がいた。先生の活動を全力で支える奥様は、もちろん入院中は1日も欠かさず朝から病院へ行かれ、面会時間終了まで付き添われた。先生は5ヶ月の間の苦しい闘病生活を送られたが、それは常に奥様と共に2人での戦いだったように見えた。先生の入院中、奥様が椅子に座って楽をされているのを見たことがない。献身的な看護で先生を最期までサポートされた奥様を心から尊敬します。

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