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R.I.P. ジョアン・ジルベルトNo. 256

R.I.P. ジョアン・ジルベルト「イパネマの娘」

text by Kenny Inaoka  稲岡邦彌

僕とボサ・ノヴァとの出会いは、1965年夏に観たMGM映画『クレイジー・ジャンボリー』(原題:Get Yourself A College Girl, 1964)だった。アニマルズやデイヴ・クラーク・ファイヴ、ジミー・スミス・トリオなどとともにアストラッド・ジルベルトをフィーチャーしたスタン・ゲッツ・バンドが出演していたのだ(ゲッツのバンドには若きゲイリー・バートンの顔も見える)。ゲッツとアストラッドといえば、ボサ・ノヴァの代名詞ともなった<イパネマの娘>。僕は、吉祥寺南口にあった映画館「オデヲン」座を出ると、北口のレコード店「ノザキ」に駆け込み、シングル・カットされていた映画の挿入歌<イパネマの娘>とゲッツの<スィート・レイン>がカップリングのドーナッツ盤を買った。ボサのリズムに乗ったアストラッドのハスキーでアンニュイな歌声に魅せられ、数日後、アルバム『ゲッツ/ジルベルト』(Verve, 1964) を購入。このアルバムは、ボサ・ノヴァを代表する作曲家アントニオ・カルロス・ジョビンの作品集ともいうべき内容で、お目当のアストラッドはA面1曲目の<イパネマの娘>とB面1曲目の<コルコヴァード>を歌っている。<イパネマの娘>は、最初のコーラスがポルトガル語で歌うジョアン、次のコーラスが英語で歌うアストラッド、続いてスタン・ゲッツのフィーチャーからジョアン、アストラッド、ゲッツの共演となる。<コルコヴァード>もほぼ同じ構成。モノの本によると、ヴォーカルものは英語の歌がないとアメリカのマーケットが受け入れないので、英語で歌えないジョアンに代わって遊びに来ていたアストラッドに英語で歌わせた、という説もあるという。たしかに、アストラッド (1940~) とジョアン (1931~) は 1959年に結婚、1963年にアメリカに移住したが、アストラッドにプロのキャリアはなかった。レコードのA面、B面の1曲目はもっともキャッチーなトラックを持ってくるのが定石なので、素人まがいのアストラッドのヴォーカルを使うのはかなりリスキーではある。しかし、そういう楽屋話を知らずに聴くと、浮遊感漂うジョアンとアストラッドのヴォーカル、レイドバックしたゲッツのテナーは結果的にこれぞボサ・ノヴァ的な極上の雰囲気を醸し出しているのだ。アストラッドの抜けたトラックでは、ジョビンの曲の素晴らしさとピアノ、ジョアンのギターとヴォーカル、ゲッツのテナーなどなど本来の聴きどころに溢れ、このアルバムはグラミー賞に輝く。ジョアンとアストラッド、このアルバムを成功に導いたふたりだったが、まもなく離婚の道を選んでしまう。

さて、僕の当時のボサ・ノヴァのもう1枚のお気に入りは、MJQ(モダン・ジャズ・カルテット)がブラジルのギタリスト、ローリンド・アルメイダと共演したアルバム『Collaboration』(Fontana, 1964)だった。A面はリーダーのジョン・ルイスの作品集で、B面にはジョビンの<ワン・ノート・サンバ>やロドリーゴの<アランフェス協奏曲のアダージョ>など。ジャズ喫茶では新作を中心に大音量で聴いていたが、自宅では小編成の落ち着いたジャズをBGM的に流していたが、MJQはもっとも適したソースだった。音数少なく知性を感じさせるジョン・ルイスのピアノ、対照的にグルーヴィーでソウルフルなミルト・ジャクソンのヴァイブ、堅実なパーシー・ヒースのベース、パーカッションもこなす多彩なコニー・ケイのドラムス。MJQにはジャズのすべての要素が揃っており、どのアルバムも非の打ちどころがなかった。そのMJQがブラジルのギタリストをフィーチャーしてボサ・ノヴァに取り組む『Collaboration』」は期待に違わぬ内容だった。いつも通りのジョン・ルイスの曲作りと編曲(プレゼンテーション)の巧みさ、アルメイダのギターを含めてそのままコンサート・ステージに上げ得る完成度の高さは、『ゲッツ/ジルベルト』とは対極の魅力に溢れていた。

ボサ・ノヴァといえば、トニーニョ・オルタの<フロム・トン・トゥ・トム>も忘れ難い。1995年、NYのオスカー・デリック・ブラウン、Polydorの五野洋と阪神淡路大震災被災者支援アルバムを制作していた僕は、来日中のブラジル・ミナスのギター/ヴォーカル、トニーニョ・オルタに協力を呼びかけた。トニーニョはフルートの城戸夕果を誘ってスタジオに飛び込み、小品を1曲書き上げワン・テイクで仕上げた。珠玉の1曲は<From Ton to Tom>。Ton(トニーニョ)からTom(アントニオ・カルロス・ジョビン)への真心込めたトリビュートだった。

僕が関わったアルバムで言えば、もう1枚、橋本一子の『Under Water~水の中のボッサ・ノーヴァ』(Aeolus, 1994)。菊地雅章、ゲイリー・ピーコック、富樫雅彦による「Great Trio」を制作していたアイオロス・レーベルから、橋本一子のアルバムを制作する許可を得た僕は、ジョアン・ジルベルトに傾倒しギターを始めていた彼女の弾き語りアルバムに挑戦することにした。今でこそギターとボサ・ノヴァがすっかり手の内に入った彼女だが、25年前はレーベルにとってもリスキーなプロジェクトだったに違いない。自作曲に交えて彼女はジョアンゆかりのジョビンの<Triste(トリステ)>と< Águas De Março(3月の水)>、ジルベルト・ジルの< Tim Tim Por Tim Tim(楽しい気持ちで)>を歌っている。総じて言えば、さまざまなジャンルに挑戦してきた多才な橋本一子の、シンガーソングライターとしてボサ・ノヴァを取り込んだアルバムと言えるかも知れない。今となってはその初々しさがやけに懐かしい。ジョアン・ジルベルトの名とともに僕の脳裏に深く刻みきまれた貴重な体験である。

稲岡邦彌

稲岡邦彌 Kenny Inaoka 兵庫県伊丹市生まれ。1967年早大政経卒。2004年創刊以来Jazz Tokyo編集長。音楽プロデューサーとして「Nadja 21」レーベル主宰。著書に『新版 ECMの真実』(カンパニー社)、編著に『増補改訂版 ECM catalog』(東京キララ社)『及川公生のサウンド・レシピ』(ユニコム)、共著に『ジャズCDの名盤』(文春新書)。2021年度「日本ジャズ音楽協会」会長賞受賞。

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