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R.I.P. ヤン・エリック・コングスハウクNo. 260

追悼 ヤンエリック・コングスハウク akiko grace

text by Akiko Grace アキコ・グレース

あたたかい日差しが差し込む、木のぬくもりが印象的なスタジオ。数日間、まぶしくハレーションするくらいの光の中でピアノを弾いた。このレインボー・スタジオでのレコーディングは、何年たってもその光景を夢に見るくらい、はっきりと脳裏に焼き付いている。
人懐っこい笑顔で迎えてくれたヤンエリック・コングスハウクも、レインボー・スタジオの雰囲気そのままに、明るく純朴なオーラをまとっていた。時は2004年、私は日本コロムビアの当時のプロデューサー菰口さん、マネージャー佐藤さんと一緒にノルウェーのオスロまで来ていた。

ベーシストにラリー・グレナディア、ドラマーにヨン・クリステンセンと言えば、少し詳しい方ならすぐに分かる、わくわくメンバーでのトリオレコーディング。気持ちももちろん高まっていて、ノルウェーの空気感を想像したオリジナル曲もたくさん書いていた。厳しい自然、フィヨルド、暖炉、サンタクロース。オスロはイメージするのがたやすい街だった。それだけに先入観も強かったかもしれない。

ヤンエリックは、ECMの名エンジニアということで少しだけ気難しい人を想像していたから、扉を開きニコニコしてスタジオに迎え入れてくれて少し驚いた。森の木こりみたいだとふと思った。熱量を持った人というのは会ったその瞬間に分かるものだけれど、ヤンエリックはそのひとりだった。アルバムで共演しているラリー・グレナディアも熱量を持っていて、ゾーンに入るとそこから生まれる磁力で音世界を紡いでいく(退屈するとクロスワードパズルを始めたりして油断ならないけれど)。

ヤンエリックは、インテンスな場面でも疲れを見せたりはしなかったし、キュー出しをことさらにしてアーティストを緊張させたりもしなかった。そう言えば、すばらしいエンジニアはリラックスしている。NYのアヴァター・スタジオにいたダン・ギャレットもそうだったが、本番でもリハーサルのような何気なさをひきだすすべを知っていた。そこで直観したのは、ECMのきわだった世界観、インテリジェンスはたいへん有機的にうみだされているということだった。

「君たちが日本語で話すのを聞いてると、フィンランド語を聞いているみたいだよ。」とヤンエリックが休憩時間に、たのしそうに呟いたのを覚えている。よほど強くそう思ったのか、何度か繰り返して言っていたから、語尾の上げ方とか声のニュアンスまで覚えている。それまで、日本語が日本語以外に聞こえるなんて考えたこともなかった。そう、言語をサウンドとしてとらえる回路をつないでもらったみたいに、妙に納得したのを覚えている。

そのヤンエリックが亡くなったとの知らせを聞いて、心底悲しくなった。叶うなら、光あふれるあのレインボースタジオでもう一度、いまのピアノの音を録ってほしかった。

 


アキコ・グレース Akiko Grace
神奈川県生まれ。東京藝大学音楽学部楽理科、バークリー音大学ピアノ演奏科卒。2000年NY移住。2002年SAVOY初の日本人アーティストとして『Fom New York』始めNY三部作をリリース。文化庁主催芸術祭優秀賞(レコード部門) 、ジャズディスク大賞日本ジャズ賞、ミュージックペンクラブ・ベストパフォーマンス賞(国内部門)他受賞多数。現在は、視覚芸術とのコラボやオリジナル・ピアノ楽曲の作曲録音他。

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