JazzTokyo

Jazz and Far Beyond

閲覧回数 39,303 回

R.I.P. 近藤等則No. 271

近藤等則さん drummer 本田珠也

text by Tamaya Honda 本田珠也

8月14日に皆さんがよくご存知の都内のジャズクラブ(以下お店とします)にて僕の3daysがあり、その中日に近藤さんとのセッション(本田珠也、近藤等則、今堀恒雄、ナスノミツル)が予定されていた。しかしお店が始めようとする配信のシステムに関して「異議」を申し立て、そのやり方では俺は出演しない、となった。それは8月14日の約一週間ぐらい前の話だったろうか。事の発端は近藤さんのツイッターでのことだ。

以下8月4日の近藤さんのツイートを引用します。

「お店が8月から月額1000円でライブを見放題の配信を始めるという記事を見て、無性に腹が立った。菓子箱代が1000円で、中身の菓子はタダだということか! 全く狂っている。老舗のお店がこんな事を平気でやろうとしてることに、ミュージシャンは屈辱を感じないのか!」

「ミュージシャンは暴動を起こせ、とさえ言いたくなる。しかしミュージシャンの反応は鈍い。8・14本田珠也氏達とライブ予定が入っているのだが、珠也から「こんなクソなライブやめましょう!」という連絡もない。一体どうなってるんや?反骨・自由を失った音楽は羊がメ〜〜と鳴いてるだけやで!!!」

「おかげで寛斎さんの追悼アルバムを制作中だが、集中出来ない。 何のために、俺は月刊Beyond Corona をやってるんや。世の中なんかクソ食らえ!魂の自由が音楽だ!とシャウトしてるのに、あまりに鈍く酷いコロナ禍の人間達。俺に文句があるんならいくらでも言ってくれ!!!」

という具合にかなり過激に呟いて(というか絶叫だが)いる。

その頃にお店から近藤さん出演辞退の報告を受けて、珠也の方から近藤さんに出演して頂けるよう説得してくれないか?という連絡を頂き、その後近藤さんと直接電話で出演辞退の腹の中を聞く。僕は少し電話をするのを躊躇した。何故ならツイートのような事を怒鳴られ捲し立てられるんじゃないかと思ったからだが。ある日、腹を決めて電話した。電話越しの近藤さんは至って穏やかでツイートのような凶暴さは微塵もなかった。

近藤さんは、「珠也やミュージシャンを非難しているのではなく、(コロナ禍という)こういう事態なのだから、ミュージシャンもお店も協力しあって乗り越えようじゃないか。僕は演奏したくない訳じゃないんだ、僕らも協力するからお店側も僕らの方に歩み寄り臨機応変に対応してほしいだけなんだ」という事を強く言っていた。

それから、「ジャズというのは黒人の反骨精神から生まれたものだ。今こそ<クソッタレ!(本当は4文字言葉でした)>と叫ばなくてどうする?!」という言葉が印象的でした。

結局、お店が配信のやり方を変えられないというという結論に至り、近藤さん出演辞退(最終的には、共演者のギターの今堀さんも出演辞退したので、当日はベースのナスノさんとデュオ。後半はピアノのスガダイローが来てくれてトリオで演奏)は回避できなかった。

近藤はさんはこのセッションを非常に楽しみにしていたので、どこか他のお店で今度やろうな!と言っていましたが、叶わぬことになりました。

実は昨年の8月9日に同メンバーでこのセッションを初めて演奏したのですが、その刺激的で自由な音楽に超満員の聴衆は圧倒され仰け反って聴いていました。演奏終盤、感極まった近藤さんがトランペットのベルに(たぶんワイヤレスマイクに)向かって例の如く<クソッタレ!(本当は4文字言葉でした)>と連呼!狂気の一夜となったのですが、僕的にはアンビエントな静寂の中から近藤さんが吹き出した「You Don’t Know What Love Is」が忘れられません。奇しくも今年亡くなった伝説的トランペッター沖至さんの名盤『しらさぎ』を彷彿とさせるものでした。これを書いていて当時の熱狂を改めて感じてしまい、再演が叶わなかったことが本当に残念でなりません。

それから僕はレコードを収集をしていまして、昨年のある時、近藤さんに近しい友人からご連絡を頂きました。それは「近藤さんがレコードを売りたいから近藤さんのご自宅に来て下さいとのこと」。それはもう「行きますの!」の二つ返事。だってお宝が眠っているかも知れないですからね。まあこれは的中しましたが。近藤さん曰く「5万円分買ってくれたらIMAバンドに入れてやる!」と言ったので5万円分を買い上げました。でもIMAバンドに入れてやるってね、本気にしてなかったのですが、後日その近藤さんの近しい友人からこんなメッセージがありました。

「5万円でIMAバンドのメンバーにって本気で言ってましたからね笑 。山ちゃんと珠也がいたら、バディ・リッチとエルビン・ジョーンズがいるようなもんだろって、真顔で」

泣けるぜ・・・

で、買い上げたレコードの中にデレク・ベイリーの名盤『AIDA』もあったのですが、インナーにデレク本人の直筆による近藤さんへのメッセージが書き込まれていた。これは一生の宝物。合掌

追伸:思い出したのですが、ずいぶん前に名古屋でペーター・ブロッツマンと近藤等則さんと3人で演奏したのだった!これは強烈だった。ブロッツマンも近藤さんもご機嫌で、名古屋だけに和やかな雰囲気でした。


♫ 関連記事
http://www.archive.jazztokyo.org/live_report/report642.html


本田珠也(ほんだ・たまや)
1969年東京生まれ。父・本田竹広 (p)、母・チコ本田 (vo)、叔父に渡辺貞夫 (as)、渡辺文男 (ds) という音楽家系に育ち、ジャズ界きってのサラブレッドと言われる。物心ついた頃からドラムスティックを手にし、小学6年生の時に独学でドラムを始め、1982年、第1回斑尾ジャズ・フェスティバルに出演中の人気絶頂「ネイティヴ・サン」にシットイン、初舞台を飾る。以後、持ち前のヴァイタリティとロック&ジャズ・スピリットを胸に内外で怒涛の快進撃を続ける。

コメントを残す

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください