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R.I.P. チック・コリアNo. 275

Tribute to Chick Corea by guitarist Steve Khan
追悼 チック・コリア by guitarist スティーヴ・カーン

text by Steve Khan スティーヴ・カーン

2021年2月9日(火)、ジャズ・ピアノの巨人のひとりであるチック・コリアが79歳で亡くなったことをどこからともなく知り、唖然とし、大きなショックを受けた。重病はおろか、彼が闘病中であることすら知らなかったのだから、これほど衝撃的なことはない。個人的に彼をよく知っていたわけではないが、ジャズの情報回路はつねにオープンで、ミュージシャン同士はお互いに会話やメールを通じて情報交換をしているのだ。だから、このニュースが突然飛び出してきたことにとても驚いているわけだ。チックはいつも “周りにいて “、ピアノと音楽の偉大な創造的な力のひとつであり続けるが当たり前のように思っていたのだから。

私の考えや記憶の中で、彼の輝かしいキャリアを、私のお気に入りの5枚のアルバム、つまり、私に多くのインスピレーションと影響を与えた5枚のアルバムのコラージュに絞り込もうと考えていたのだが、それは不可能だということがわかった。結果的に、5枚のアルバムのコラージュを2つ作らねばならなかったのだが、それでもなお多くの重要なアルバムを外してしまうことになったと思う。これは、とりもなおさず、チック・コリアの録音作品のアウトプットがどれほど膨大であったかを示す、小さな証だろう。最初のコラージュでは、ある種の時系列に沿ったものにしようとしたが、意図通りにはいかなかった。最初の5枚は以下の通りである。

『Now He Sings, Now He Sobs』(Solid State/Blue Note 1968)
『Soul Burst』(Cal Tjader)(Verve 1966)
『Jazz For A Sunday Afternoon』(Solid State 1967)
『Sweet Rain』(Stan Getz) (Verve 1967)
『The Song Of Singing』(Blue Note 1970).

『Now He Sings, Now He Sobs』のチョイスには異論はないだろう。ミロスラフ・ヴィトウスとロイ・ヘインズとのピアノ・トリオ・アルバムは史上不滅の傑作といってよく、なかなか到達し得ないピアノ・トリオのスタンダードとして存在している。カル・ジェイダーのラテン・ジャズの記念碑的なアルバム『Soul Burst』は、チックの貢献度が極めて大きいことを認めざるを得ない。このアルバムは、不思議なサブ・ジャンルに対する僕自身の可能性の感覚を形成するのに貢献したアルバムでもあるのだ。同時期の様々なアーティストをフィーチャーしたジャム・セッション・アルバム 『Jazz For A Sunday Afternoon 』に参加したチックの演奏とコンピングはまるで別世界のようで、尊敬すべきジャズの巨人たちと同じセッティングで演奏しているかのような素晴らしさだった。僕は彼の演奏を理解するのに必死なあまり、彼のコンピングの多くを採譜したことを覚えている。スタン・ゲッツの『Sweet Rain』は、スタン、チック、ロン・カーター、グラディ・テイトによるもので僕はすぐに気に入ったアルバムで、<Litha >や <Windows>などのチックのすばらしいオリジナル曲が収録されていたのだが。このあとチックは何年にもわたって素晴らしいオリジナルを書き続けたのだった。第1コーラジュの最後に、チックのポスト・マイルスのピアノ・トリオ、デイヴ・ホランド、バリー・アルトシュルによる、『The Song Of Singing』を加えないわけにはいかない。このトリオはすぐに「CIRCLE」として知られるようになり、私はヴィレッジ・ヴァンガードでトリオとして、そして後にアンソニー・ブラクストンを加えたカルテットで聴く機会があったが、それは僕が「フリー・ジャズ」、しかもこれ以上はない最上級のフリージャズを経験した最初の機会になったのだった。

僕のコラージュ #2 は以下の通りだ。

『Friends』(Polydor 1978)
『Piano Improvisations Vol. 1″(ECM 1971)
『Return To Forever』(ECM 1970)
『Trio Music』(ECM 1982)
『Three Quarters』(Stretch 1981)

80年代、90年代、そして現在に至るまで、チック・コリアがどれだけ多くの音楽を生み出してきたかは驚くべきものがある。そして、その成果、作曲、を考えると空恐ろしくさえなる。まるで、チックが新しいプロジェクトや新しいグループを思い描くだけで、新しい音楽や新しい楽曲のアルバムを作ることができるかのように思えるほどだ。しかも、かつて経験したことがあるようにたやすくね。これらのアルバムは時系列からはちょっと外れるけど、例えば、『Friends』の場合、新しいカルテットを結成して、そのグループのために新曲を書く、結果、できあがったアルバムは文句のつけようがない、こんなことって想像できるかい。ジョー・ファレル、エディ・ゴメス、スティーブ・ガッド、みんな親しい友人で仲間だ、チックは何曲かフェンダー・ローズを弾いている。記憶に残るすばらしい楽曲と創造力を掻き立てる演奏の数々。次は新設のECMレーベルからリリースされたチックの最初のアコースティック・ピアノによるソロ・アルバム。セロニアス・モンクの <Trinkle, Tinkle>やウェイン・ショーターの <Masqualero>に対するチックの解釈にどれほど僕が刺激を受けたことか。このアルバムに続いてリリースされた『Return To Forever』というジョー・ファレル、スタンリー・クラーク、アイアート、フローラ・プリムをフィーチャーしたアルバムの素晴らしさ。 <Return to Forever>、<Crystal Silence>、<Sometime Ago>、 <La Fiesta> など収録された楽曲の素晴らしさ。私にとって、チック・コリアと「Trio Music」以上にセロニアス・モンクの楽曲を素晴らしい解釈で演奏した例を知らない。繰り返すが、チックとミロスラフ・ヴィトウス、ロイ・ヘインズ、このトリオが提示したセロニアス・モンクの解釈のハードルは非常に高いものだった。最後は、マイケル・ブレッカーとエディ・ゴメス、スティーブ・ガッドが参加した 『Three Quarters』だ。 新しいメンバー構成にによる、さらに新しい音楽、生命力にあふれた新しい音楽の提示。もう一枚アルバムを加えるとしたら、信じられないかもしれないが、ジョー・ファレルの1971年のCTIアルバム 『Outback』 だ。チックとアイアートは代わらないが、バスター・ウィリアムスとエルヴィン・ジョーンズが参加している。僕の大のお気に入り。ここでもチックはフェンダー・ローズしか弾いていない。さらに、もう一枚のCTIアルバム、アイアートの『Free』。こここでは彼の曲<Return to Forever>にドン・セベスキーがブラスを加えた新解釈のアレンジ。僕はこのアレンジが好きで今でも飽きずに聞いている。
70年代初期のチックの音楽を遡って行きながら、僕は <Light as a Feather>に耳を傾けている。そして、フローラ・プリムが歌い始める直前の1:13のローズによる移行和音の美しさに痺れている;”There’s a place, so easy to be found – if you want, I’ll take you at there right now……” 。私にとっては、このようなシンプルで豊かなハーモニーを聴ける人は、大きくてロマンティックな心を持っている人でなければならないのだ。

マイルス・デイヴィスとのチックの存在を語らないわけにはいかないだろう。『Filles De Kilimanjaro』(Columbia)への出演を皮切りに、偉大なる実験の時代へ。『In A Silent Way』、『Bitches Brew』、『Bug Fun』。 チックのローズの存在感とスタイルはすぐに聞き分けられるほど顕著なもの。その後、時間をかけてリリースされたライヴ盤が何枚もあり、幸いこれらのアルバムには最終的には正確なクレジットが掲載されている。DVDに関しては、『A Different  Kind Of Blue』でチックとキース・ジャレットが伝説のワイト島のコンサートでの共演を目撃できるのが驚きだが、何といってもインタビューにとっておきの価値があり、ストーリーだけでも必見といえるだろう。

チック・コリア、彼のピアノ演奏、作曲、そして驚異的なアルバムの数々、とくにアコースティック・ピアノ・トリオのアルバムのすべてを賞賛して、最後に何を言いたいのか、まだ迷っている。2001年にリリースされたアヴィシャイ・コーエンとジェフ・バラードによる彼の新しいトリオアルバム『Past, Present & Futures with Avishai Cohen and Jeff Ballard』をとても楽しんだことを覚えている。彼はここでも新しい楽曲を書き下ろし、奏者を変えての演奏は、チック・コリアのピアノ・トリオ・プロジェクトへの期待に違わないレベルの即興的に卓越した演奏だった。アコースティック・ピアノ・トリオはこれまでにも数多く輩出され、そしてこれからもいくつも出てくるだろう。僕はそれらすべてを楽しんできた。他のアーティストにとっては、それだけで十二分だったのだろうが、それはチックの尽きることのない膨大な才能の上っ面を掻いているに過ぎないのだろう。彼はまさしく一世代に一度の才能であり、このような人物が再び現れることを期待することはできないだろう。少なくとも近い将来には。話はちょっとずれるが、チックとラテン・ジャズとの関係を考えるとき、ポンチョ・サンチェスやデイヴ・サミュエルズと共にコンコード・ピカンテ25周年記念CDに収録されている <Guachi Guara>(ソウル・ソース)での彼のソロのサウンド・クリップを聴くだけで、彼がC7という1つのコードだけで演奏しているのを聴くと、彼の創造性は加古も現在も無限であるということを認識せざるを得ない。私にとって、チックがここに投影しているハーモニックな感覚を最もよく表現する言葉は、単に「マジスティック!」しかない。みんな、僕の最高の願いを込めて楽しんで欲しい、チックがどれだけ輝かしく、ユニークだったか!ブラボー・マエストロ!!

彼の個人的な哲学には、決して受け入れられない部分や好きになれない部分もあったのは事実だが、僕はそれを無視して、ただ彼の素晴らしい音楽と演奏の栄光を楽しむことを学んだのだ。僕がチック・コリアの逝去についてもっとも残念に思うことは、彼のセロニアス・モンクの解釈をもっともっと聴きたかったということだ。チックの御霊よ安らかに!あなたは僕の音楽人生に大いなる刺激と豊かさを与えてくれました。(訳責:稲岡邦彌)

*下記の Steve Khanのブログから本人の了承を得て訳出しました。
http://www.stevekhan.com/tributes.htm

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