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R.I.P. ウォルター・ラングNo. 290

宙に by 甲斐正樹

Text by Masaki Kai 甲斐正樹

Walterと初めて一緒に音を出したのは、大阪にある、”いんたーぷれい8” というお店のセッションだった。
その時に演奏した曲は ”酒と薔薇の日々”というジャズのスタンダード。テーマが始まった瞬間から、Walterの奏でるピアノの音がアンサンブルの中で宙に浮かんでいるという感覚が湧き起こる。それは、アンサンブルを無視しているわけではなく、色々な楽器の音の磁力、重力がある上での、そこに対する、宙に浮いている感。Walterの音は、僕のベースの音に磁力なようなものでコネクトしていながら、そこに対して宙に浮いている、という美しさを放っていた。ジャズスタンダードを長年演奏していて、そういう感覚になった事がなかった。あの時、Walterが放ってくれて、与えてくれた感覚は、それ以降、僕の体に、はっきりとした体感として残っている。Walterの、魂、美学が、永遠に生きた形として、僕の体に残り続けているようである。

Walterは、有名な人にも関わらず、初めて会った時から、友達のような感覚で接してくれた。決して、偉そうにせず。
友人であり、ドラマーの福盛進也氏と一緒にご飯を食べていた時、彼が、「Walterよぼっかー」って言った時驚いた。
「え?あんな有名な人、気軽にこの人がガヤガヤしてるレストランに、アポなしで急に呼び出していいの?!!」と思った。
Walterは、その時、上機嫌でやってきた。
いや、Walterは毎回ご飯の時、上機嫌でやってきた。そこに、自分は偉い、すごいとかいう態度は全くなく(ヨレヨレのTシャツ率高し)、ただの友人の食事会に楽しみにやってくる一人の人間でしかなかった。
(そして、帰り道は、上機嫌度合いが上がりフラフラ帰っていく、、、)
と、そういう感じで、僕だけでなく、色々な人に友達のような感じで接してくれた。

少し別の話であるが、僕が、ミュンヘン に住む時に必要なビザの書類の、推薦状を書いてもらう時も、気軽に引き受けてくれた。お金を払おうとしたら、「え?お金???いやいや、いらんいらん笑!!それよりさ、、、」 みたいにしてくれた態度が忘れられない。

もしかしたら、演奏の時もそうだったのかもしれない。人とご飯を食べる時間を過ごす彼の態度のように、演奏の時も、自分は、キャリアがあり、有名な人、という態度や音では演奏せず、ただリラックスした綺麗な時間を人と共有したい、という感じで接してくれていた気がする。

僕が、ミュンヘンに少しの間住んでいた時、Walterと演奏する機会が何回かあった。毎回演奏は美しく、楽しかった。
行き道や帰り道、彼が運転する車で、気軽に世間話や、昔の話をしてくれた時間が忘れられない。「あれは、りんご畑、ここから沢山出てくる」「あの動物は、、、この天気は、、、」 といった話題から、リー・コニッツとツアーし、彼と深く時間を過ごしていた時の話まで。

僕を色々なミュージシャンに薦めてくれたりもして、彼のおかげで、ミュンヘンでの演奏も広げることができた。

2年前に、彼と一緒に演奏するはずのコンサートがあったのだが、それは、今の世界情勢で、二回ほど、流れてしまった。それ以来彼と演奏する事はなかった。
だから、自分の中で、Walterと次に演奏する日が、ブックされている、という感覚がまだ残っている。演奏の日程は、流れただけだから、次またあるって。


甲斐正樹 Masaki Kai – Bassist
兵庫県芦屋市出身。幼少期に、世界的に有名な芦屋の前衛美術グループ ”具体”、の山崎つる子氏に自由な芸術表現を習う。 甲南大学入学とともに、コントラバスを始め、ジャズ研のビッグバンドやコンボで演奏を始める。大学の専攻では、ユング心理学、河合隼雄について学び、自分の中の深い場所とのつながりを考え始める。大学卒業とともに、浜村昌子氏にインプロビゼーション、即興演奏を習い、多大な影響を受ける。その後、アメリカにてBerklee College of musicに奨学金を得て入学。その後、ノルウェーの首都オスロに住む。Christian Wallumrød, Håkon Thelin, Anders Jorminからのレッスンを受け北欧の音楽を学ぶ。


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