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R.I.P. パレ・ダニエルソンNo. 315

何故か”シンプル”に響く音 by 甲斐正樹

Text by Masaki Kai 甲斐正樹

ライブの後に、ピアノの望月慎一郎さんがずっとPalle Danielssonについて話している日があった。彼のこのアルバムが最高で何回も何回も聞いたと。レストランなのに携帯で音楽をかけだす位熱く彼は語っていた。

次の日、望月さんからメッセージがあった。
「昨日、しつこく話していたPalleが亡くなったみたいです」
少し不思議な時間が流れた。

Palle Danielssonの好きな演奏のアルバムを一つ挙げると、『My Song』です。

彼自身の演奏について話す前に、このアルバムについて話してみたい。
(すごく文系脳な僕の表現になりますが、すみません)

この『My Song』は本当にすごいアルバムで、世界中のどの場所や空間で聞いても、素敵なサウンドが鳴り響くでしょう。そしてです。強く勧めるのですが、録音されたオスロでこのアルバムを歩きながらでもいいから聞いてもらいたい!(本当はレコードで聞いて欲しいですが)

完全に想像でしかないのですが、その時のオスロの空気感の1秒1秒がすごく詰め込まれているのを感じます。オスロで聞くとそのサウンドが本当に溶けていくのを感じます。(これは、ラドカ・トネフの有名なデュオアルバムもこうなります)
その時の空気の質感、息づかい、呼吸。

Palleのこのアルバムでの演奏について触れると、不思議なのですが色々な事をしているにも関わらず、何故か耳にはシンプルに聞こえます。全ての音が正解モードになっています。本当に不思議です。ジャズのアルバムを聞いている時に感じるベースラインというより、温度感を非常に感じるポップスやロックのアルバムを聞いているような気分になります。 そして、彼のベースラインを分析する事によって、この感動が消えてしまうのではないか?という恐れも同時にあります。この繊細な境界線のような領域に存在するベース。

最後の曲<Journey Home>でその路線の、最高峰のベースになるのもアルバムの流れとして本当にすごい。

ちなみに僕は、初めてPalleの演奏をCDで聴いた時は、あまり好きではないタイプの人でした。何故かいつの間にかそれが好きに変わっていました。

そういえば、オスロに昔から住んでいるローカルな女性に聞いた話なのですが、昔、北欧では、Bobo Stensonなどがアイドル並?に人気だったようです。コンサート前に何時間も並ぶ行列ができていたり。

もちろん、Palleも同じように人気だったみたいです。空港に行くと、彼らに出くわすことが多く、女性達は、若々しいPalleを見つけると、「Palle Gutta!(パレ少年)」と声を上げ、急に抱きついたりしていたみたいです。


甲斐正樹 Masaki Kai: ベーシスト
幼少期に、前衛美術グループ ”具体(Gutai)”、の山崎つる子氏に自由な芸術表現を習う。 大学入学時に、ジャズ研究会に入りコントラバスを始める。専攻では、ユング心理学、河合隼雄について学び、自己の深い場所とのつながりを考え始める。大学卒業とともに、浜村昌子氏にインプロビゼーション、を習い、多大な影響を受ける。その後、アメリカにてBerklee College of musicに奨学金を得て入学。その後、ノルウェーの首都オスロに住み、ノルウェー国立音楽学校にて学ぶ。Christian Wallumrød, Håkon Thelin,Anders Jorminからのレッスンを受け北欧の音楽を学ぶ。ライヴスケジュールはブログを参照

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