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ニューヨーク:変容するジャズのいま 蓮見令麻No. 231

ニューヨーク:変容する「ジャズ」のいま 第15回 アリス・コルトレーンから紐解くニューヨークのヴァイナル・カルチャー

コルトレーン:スピリチュアル・ミュージックのリバイバル

アリス・コルトレーンの没後10年を迎える今年の5月、彼女がカセットのみで自主制作していた1982年から1995年までの録音のリマスター音源、『World Spirituality Classics 1: The Ecstatic Music of Alice Coltrane Turiyasangitananda』(Luaka Bop, 2017)のリリースが発表されると、メディアはにわかに沸き立った。ニューヨーク・タイムスを始め、ピッチフォーク、ガーディアン、ザ・ニューヨーカーなどがこぞってアリス・コルトレーンの新しいアルバムについての記事を掲載した。中でも目を引いたのは、ニューヨークから発信されている音楽ウェブマガジン『SPIN』の記事だ。「アリス・コルトレーンのアシュラム音源は私達の生きる時代にとってほぼ完璧な音楽である」と題されたこの記事には次の様に書かれている。

「アリス・コルトレーンの音楽とその精神世界に、リスナー達は新たな関心を抱いている。そういったリスナー達の多くはいわゆる正統派の伝統的なジャズのファン層とは違う場所に属している。(幼少期にアシュラムを頻繁に訪れていたアリス・コルトレーンの甥であるスティーヴン・エリソン、別名フライング・ロータスの、星と星の間を縫う様な音楽的探求。それは彼がアンティ(叔母さん)と呼んでいたその女性の影響を多大に受けており、同時に彼の活躍は確実にアリス・コルトレーン自身の音楽のリバイバルにも影響を与えた。)(中略)我々が生きるニューエイジ・ルネッサンスの真っ只中では、これまでに瞑想や精神体験のために使われてきた音の「音楽」としての可能性を多くのミュージシャン達が探求し始めている。騒然とした昨今の政治的状況、その結果として、ミュージシャンもリスナーも両者同様に、外側の世界で被った傷を癒すための塗り薬の様なものとして音楽を聴く様になった。『World Spirituality Classics 1』に収録された音楽は何十年も前に制作されたものだが、このコンピレーションアルバムのリリースには2017年がふさわしい年だと言える。」

アリス・コルトレーンの音楽史

アリス・コルトレーンのジャズ界での立ち位置は非常に独特なものだ。言うまでもなく、彼女はあのジョン・コルトレーンの妻であり、素晴らしいピアニスト・ハープ・オルガン奏者、さらに作曲と編曲においても多大な才能を発揮した音楽家だ。それに加えてバンドリーダーとしても多いに活躍した、その時代としては数少ない女性アーティストの一人である。彼女の名前が世間に知られる様になったのは、60年代後半、ジョン・コルトレーンの晩年のグループでのピアニストとしての活躍を通してというのが一般的な理解だと思う。ジョン・コルトレーン後期の恐ろしいほど濃密で超越的な音楽、その世界観に、アリスは女性的な柔らかさを持って、且つ深い滋養のある音で見事に寄り添った。ある視点から言えば、後期コルトレーンの深く精神的な世界というのはジョンがアリスに影響を受けた結果作られたものであった可能性もある。1967年にジョンがこの世を去った後、彼が生前に「和音をより深く理解する為に」購入したハープをアリスは手に取った。そしてその半年後に初のリーダー作、『A Monastic Trio』(Impulse!, 1968)を録音する。それから1978年までの十年間、彼女はほぼ1年に1枚のペースで精力的にアルバムをリリースしていった。その内容には、彼女が深い精神世界に身を浸しながら音楽制作をしていたことが如実に現れている。ジョン・コルトレーンという類まれなる才能を持ったミュージシャンの音楽に一番近い場所に身を置き、そのパートナーを若くして亡くすという経験は、あらゆる面で想像を絶するものであったに違いない。彼女の弾くオルガンのライブ録音の聞ける貴重なアルバム、『Transfiguration』(Warner Brothers, 1978)のリリースを最後に、アリス・コルトレーンはシーンから姿を消した。80年代以降から90年代にかけてはヴェーダ教の信仰に没頭し、音楽に関しては自身の設立したアシュラムの信徒達を対象に制作したレコーディングをテープでリリースするのみにとどまっていた。今回新たにリリースされたアルバムに収録されている曲の数々は、このアシュラム時代に録音され、公式には未発表のままだった音源である。これはあくまでも私の個人的な見解なのだけれど、ジャズという文脈の中でアリス・コルトレーンの音楽が語られることは驚くほど少ない様に思う。それは例えば、彼女のスタンダード演奏の録音がほぼ存在しないことが理由かもしれない。ジョン・コルトレーンに関してでさえ、後期の作品に拒否反応を示すリスナーが少なからず居るのだから、そういったラディカルな音楽的性質を直接受け継ぎ、同時に深く精神的な要素を音楽に取り込んだ彼女の作品にジャズリスナー達が困惑したのも想像に難くない。このことを背景にして考えてみると、今回のコンピレーションアルバムのリリースがこれほどまでに話題になったことはとても面白い現象だと思う。この現象を読み解くために、私はニューヨークのヒップスター文化を通した「ヴァイナル・カルチャーのリバイバル」に焦点を当ててみることにした。

ヒップスターの文化的ニッチとアナログレコードの消費

ニューヨークでは、マンハッタンのレコード店が過去十年ほどで次々と閉店していった。その一方で、ブルックリンに現在も多数立ち並ぶレコード店の客入りはさほど悪くない様に見える。ブルックリン、特にウィリアムズバーグ地区に密集するレコード店にはヒップスターを始めとする若者達が足繁く通い、「特別な一枚」を見つけるために日々レコードの山をめくり続けている。ブルックリンに溢れるヒップスター達にとって、メインストリームの文化とは少し離れた場所にあるとびきり上等な「何か」を自分の手で見つけ出し、それを身につけるということは何よりのステイタスで、アナログレコードを買うという行為はそういった「高尚で文化的な」消費活動にぴったりと当てはまるものなのだ。そういったヒップスター的消費活動というのは、例えばローカルでユニークな材料を使って作られたアーティサナルな一瓶15ドルのジャムを買うことでもあれば、百貨店では売っていない上質なヴィンテージの古着を着こなすことでもあり、また、音質もカバーアートも楽しめるアナログ盤で音楽を聴くことなのだ。ニューヨークの文化を発信しているのがアーティスト達だとすれば、その発信された最先端のアートやファッション、または音楽を先頭を切って消費するのがヒップスター達だと言えるかもしれない。大体の場合、ニューヨークに住んでいる人間は、ブルックリンで日々増殖するヒップスターがどういう種族なのかを感覚的に理解している。その言葉には疑いなくアイロニーが宿っているから、ヒップスター達は自分のことをヒップスターだとはなかなか認めようとしないし、誰かが他人をヒップスターと呼ぶ場合にはそこには少なからず嫌味が込められている。感覚的な理解だけで彼らのことを語るのも何なので、念の為にヒップスターの定義を今一度調べてみた。興味深いことに、1940年前後に人々が使い始めたこの言葉の元々の意味は、黒人のジャズミュージシャン達のライフスタイルを真似る中流階級の白人の若者達のことを指したのだそうだ。一方、この言葉が現在の意味で使われ始めたのは90年代以降のことらしい。著書『HipsterMattic』の中で、マット・グランフィールドはヒップスター文化についてこのような考察を述べている。

「2000年代のメインストリーム社会がリアリティ番組やダンス・ミュージックに明け暮れている中、反乱は静かにそして確実に見えないところで起きていた。人々が忘れかけていた種類のファッション、ビール、煙草、そして音楽が再び人気を集め始めたのだ。レトロなものが格好良く、環境は大事に扱われるべきで、古いものが新たな「最新」を意味した。彼ら反乱の当事者達は、オタクっぽいものをいかに格好良くしてしまうかというアイロニーに耽り、持続可能な暮らしをして、オーガニックのグルテンフリーなものを食べることを理想とした。しかしそれ以上に彼らが求めていたのは、他人とは異なった存在として認められることそのものだった。メインストリームから分岐し、自分達のためだけの文化的ニッチを作りあげるのが彼らの目的だったのだ。この新しい世代にとってはファッションのスタイルはデパートで買うものではなくて、古着屋で買うか、理想的には自分の手で作るものだった。彼らにとっての『格好良さ』はテレビに映るスター達の様になることではなく、テレビなんかでは見たこともないような誰かになることだった。」

この説明に付け加えておきたいのは、ヒップスターという種族は特権階級の人々でもあるという事実だ。彼らは多くの場合、中流階級以上の白人の家庭で育ち、大学までの教育を受けた、いわば「余裕のある」若者達なのだ。そんなヒップスター達の編み上げてきた文化的ニッチが深く浸透した空間でヴァイナル・カルチャーのリバイバルが急速に進行していることは不思議ではないと私は思う。インターネットで無限のセレクションからレコードやデジタル音源を買うことが出来る今、顧客がレコード店に足を運ぶのには新たな理由が必要となっている。若者がレコードを買う理由、レコード店に足を運ぶ理由はまさにこのヒップスター的な嗜好に大部分を帰するのではないだろうか。彼らが求めているのは、オーセンティシティであり、また手で触れて実感できる存在の確実性なのだ。

「ジャズ」とヴァイナルの関係性

「ジャズ」を取り囲む世界と、ヴァイナル・カルチャーについて考えてみる。日本のヴァイナル・カルチャーと言えばやはりジャズ喫茶なしに語ることはできない。ひとつのサブカルチャーとして半世紀以上にもわたり確実に根を下ろした独特の空間。それぞれの場所で丁寧に紡がれたジャズ喫茶という繭の中で、物質としてのアナログレコード、そしてそれに対する静かなる情熱は密かにそして確実に醸造されてきた。ジャズ喫茶という場があるおかげで、日本ではいわゆる「ジャズ」という音楽とアナログレコードは切り離すことのできない強い絆で結ばれてきたのだと思う。一方で、アメリカにおける「ジャズ」とアナログレコードの関係性は割とさっぱりとした印象がある。私の周りのミュージシャン達は、アナログレコードで音楽を聴く人が大多数を占めているが、私と同世代の彼らは大体30代なので、私達よりも若い世代がどの程度レコードを聴いているのかは興味深いところだ。だけど最近は大手のファッションブランドが各店舗でターンテーブルやアナログレコードを「ファッション」の延長として販売しているくらいだから、ヴァイナル・カルチャーは確実に若い世代に浸透し始めているはずだ。ところでアメリカではジャズ喫茶の様にレコードを聴きながらゆっくりとコーヒーやお酒が飲める場所は皆無に等しいので、必然とヴァイナル・カルチャーの根付く場所はレコード店になる。レコード店に足を踏み入れてぎっしりと並んだレコードに手をかける時のワクワクする気持ちは何にも代えがたいものだ。ニューヨークのレコード店は、先にも述べた通りブルックリンに多くが立ち並んでいるが、これらのレコード店で「ジャズ」のジャンルの品揃えを見ると、その傾向にはなかなか興味深いものがある。多くのレコード店が、アルバート・アイラーやサン・ラ、ドン・チェリー、オーネット・コールマン、ソニー・シャーロック、アーチー・シェップ、そしてアリス・コルトレーンやドロシー・アシュビーなどのセレクションを全面に押し出しているのだ。これらのアーティストに共通するのは、アヴァンギャルドな要素があること、そしてごく一般的な「ジャズ」のイメージとは少し異なった音楽であることだと思う。特にサン・ラの人気はすごくて、どのレコード店もサン・ラのリイシュー盤を豊富に揃えている。それは多分サン・ラ・アーケストラが今も現役で演奏活動を行っていることがひとつの理由であるかもしれないが、アナログレコードを実際に買っている人々がどういう音楽を求めているかということのひとつの指標の様にも思える。万人が知ることのない、「自分だけの特別な一枚」を求めるこの購買層にとっては、メインストリームからかけ離れているということは何にも代えがたい魅力なのだ。だから、「ジャズ」ということに関して言えば、ケニー・ドーハムやジャッキー・マクリーンを聞いたことのない誰かがアーチー・シェップの音楽はよく知っているという様な現象も起きてくる。この文脈から捉えた時に、アリス・コルトレーンのリマスター盤が今回これほどまでに話題になった理由のひとつが浮かび上がってくると思うのだ。

ポストモダニズム以降の時代に

アリス・コルトレーンの音楽には、ジャズのひとつの要素とも言える自己顕示的な表現があまりない。幾つかの彼女のアルバムタイトルにも使われている「ユニバーサル」という言葉が彼女の音楽にはよく似合うと私は思う。それはもしかすると、マイルスなんかを聴き込んでいるリスナーにとってはなんだか拍子抜けするような掴みどころのなさを感じさせるものなのかもしれない。アリス・コルトレーンの音楽観にはアイロニーは存在せず、代わりにそこにあるのは深い精神探求と誠実さなのだ。こういったアイロニーの不在は、数年前から話題になっている「New Sincerity」というトレンドにも上手く当てはまる。ポスト・ポストモダニズムと並行して語られるこのトレンドが象徴するのは、アイロニーや冷笑主義から脱却した、より「真っ直ぐ」な表現の受容である。この性質が新しい世代のひとつの傾向であると仮定すれば、アメリカのヴァイナル・カルチャーのリバイバルに一役買っているこの世代の若者を含めたリスナー達がアリス・コルトレーンの音楽に惹かれる理由をそこにも見つけることができる。ゴスペル、スピリチュアル、ニューエイジ、そしてエレクトロニック・ジャズといった音楽的要素が絶妙に交じり合ったその音楽は一言では形容しがたい複雑性と説得力を持って私達の精神に染み渡っていく。オーセンティシティと唯一無二のユニークさ、そしてアイロニーを一蹴してしまうほどの誠実な芸術性を兼ね備えたこのアルバムがこれほどに注目を集めているという事実は、現代ニューヨークのヴァイナル・カルチャー、そのリバイバルを静かに象徴している、そう私には感じられるのだ。

参考:
『Alice Coltrane’s Ashram Recordings Are Nearly Perfect Music for Our Current Moment 』- SPIN magazine
http://www.spin.com/2017/05/alice-coltrane-world-spirituality-classics-ecstatic-music-review/
『Hipster – contemporary subculture』-Wikipedia
https://en.wikipedia.org/wiki/Hipster_(contemporary_subculture)
『Sincerity, Not Irony, Is Our Age’s Ethos』- The Atlantic
https://www.theatlantic.com/entertainment/archive/2012/11/sincerity-not-irony-is-our-ages-ethos/265466/

蓮見令麻

蓮見令麻(はすみれま) 福岡県久留米市出身、ニューヨーク在住のピアニスト、ボーカリスト、即興演奏家。http://www.remahasumi.com/japanese/

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