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Monthly EditorialEinen Moment bitte! 横井一江No. 253

#12 「JAZZ ART せんがわ」存続を願う!

text by Kazue Yokoi  横井一江
photo by Masaaki Ikeda  池田まさあき
(文末に4月17日「JAZZ ART 存続宣言!スペシャルライブ」のスライドショーあり)

 

「JAZZ ART せんがわ」がスタートしたことは驚きだった。第1回は開催されていること自体知らなかったので、正確に言えば第2回の時である。フリージャズ〜即興音楽が主体のフェスティヴァルが調布市せんがわ劇場の自主企画事業として行われ、また劇場が芸術監督制度をとっていたことから、調布市はなんと画期的なことをやる自治体なのだろうと思った。2009年のことである。

なぜ驚いたのか。3人のプロデューサー(巻上公一、坂本弘道、藤原清登)が任命されたこと、フリージャズ〜即興音楽のフェスティヴァルが「こどものための声あそび」や「サンデーマチネコンサート(せんがわ劇場で毎月行われている企画のJAZZ ARTバージョン)」といったローカル向けのイベントを含めた形で地方公共団体である調布市主催で開催されたからだ。海外ではそういう事例は幾つもある。しかし、日本では私の知る限り初めてだったのだ。確かに、日本でもフリージャズ〜即興音楽のミュージシャンが集うフェスティヴァルは過去に色々あったが、ほとんどがスポット的な催しで、長続きしたものはほとんどなかった。長く継続出来た稀有な例は、内橋和久が主導したフェスティヴァル・ビヨンド・イノセンス(1996〜2007、神戸→大阪)ぐらいである。果たして「JAZZ ART せんがわ」が継続出来るのかどうかという危惧はあったものの、6月の初夏の日差しの中でポジティブに来年も開催出来ればいいなと思ったことを覚えている。

もうひとつの驚きは、せんがわ劇場が2008年に開館した時から芸術監督制度をとっていたことだ。ヨーロッパの劇場では当たり前によくあり、日本でもある時期から公共団体所有のホール、例えば世田谷パブリックシアターなどがこの制度を取り入れていたものの、一般的にはあまり馴染みのない制度だったからである。この芸術監督にペーター・ゲスナーが着任したことは大きかったと思う。彼なくしては「JAZZ ART せんがわ」はあり得なかったのだから。4月17日に開催された「JAZZ ART 存続宣言!スペシャルライブ」で、ゲスナーに「JAZZ ART せんがわ」のプロデューサーとして最初に声をかけられた坂本弘道が言うには、彼が芸術監督に就任してやりたかった3つのフェスティヴァルで唯一残ったのが演劇関連の企画ではなく「JAZZ ART せんがわ」だったことは意外だった。最後まで残れたのは、イニシアティヴをとれるプロデューサー達がいたからに他ならない。2011年にゲスナーが退任してからは、芸術監督制度は廃止された。やはりローカルには馴染まない制度だったのだろうか。私は決してそうは思わないが。

80年代後半から毎年のように私はヨーロッパのジャズ祭に出かけていた。多く足を運んだのは、ドイツのベルリンジャズ祭とメールス・フェスティヴァル(2005年までの名称はインターナショナル・ニュー・ジャズ・フェスティヴァル)である。私はフェスティヴァルを一種のメディアとして捉えていた。これらのジャズ祭のプログラミングからは、音楽の状況論、音楽的な動向だけではなく、時代が見えたからである。ヨーロッパでは非常に多くのジャズ祭が開催されており、コマーシャル色の強いもの、日本で言えば町興し的なもの等々、さまざまだ。しかし、インターネットが普及し、情報を得ることが一見簡単になり(実際はかえって真っ当な情報にアクセスするのが大変になっていると思う)、グローバル化が進行していったゼロ年代、私はフェスティヴァルもそのあり方を含め、立ち位置を再検証すべき時期に差し掛かっているような気がした。

そのような時期、2007年に私はチューリッヒのウンエアホェルト!フェスティヴァル(unerhört!-Festival)に出かけた。フェスティヴァル関係者でインタクト・レコードのパトリック・ランドルトと話をした時に、もやもやしていた視界が開けた感じがした。彼が言ったのは。

新しいムーヴメントや前衛だけ紹介するフェスティヴァルを開催する必要はもうないという考えもあるかもしれない。しかし、それはローカル・ミュージシャンに刺激を与え、高いレベルの表現をするようになるためには、とても重要なんだ。毎年行われるイベントは創造の可能性を拓き、国際的なネットワーク作りに寄与しているのだ。

つまり、ランドルトは状況論として切り取るのではなく、ローカルな音楽シーンとの関連性のなかでフェスティヴァルを位置づけていたのだ。音楽監督制度をとらず、プログラミングにはローカルの4人のミュージシャンが携わっている。プログラムだけ見れば、メールス・フェスティヴァルなどと同傾向に見えるが、視点はローカルにあり、ルツェルンのジャズ・スクールで出演ミュージシャンの下(この時はバリー・ガイだった)ワークショップを行い、本ステージで演奏するなど独自の工夫がなされていた。この違いは大きい。

そして、私は「JAZZ ART せんがわ」を知ったわけである。ローカルなフェスティヴァルとして、本会場でのコンサート以外のイベントの充実度はどこのフェスティヴァルにもないものだった。他にはないユニークな企画「CLUB JAZZ 屏風」。その屏風をデザインした長峰麻貴による子どもたちを対象にしたワークショップ、一般参加者も含めて行われる「自由即興ZOO」、「子どものための音あそび」、「サンデー・マチネ・コンサート」、「公園イベント」、日本のフェスティヴァルにしては珍しく、著名な詩人やダンサー、画家、写真家とのコラボレーションが毎年何らかのかたちで行われていたのも特筆に値する。さらにLAND FESが同時開催されるようになって、仙川の街全体を舞台としたアート・イベントへと発展していったのである。

しかし、今年4月に調布市せんがわ劇場が指定管理者制度を導入したことに伴い、「JAZZ ART せんがわ」が存続の危機に立たされている。調布市生活文化スポーツ部 文化生涯学習課からの文書には「事業終了」の文字があった。それを見せていただいたところ、こう書かれていた。

「JAZZ ART せんがわ」については ,即興音楽とアートが融合する唯一無二のフェスティバルとして,高く評価される事業ではありますが,一方で,本事業の使命である,舞台芸術を楽しむ市民の裾野の拡大や地域のにぎわいの創出という目的,劇場規模を踏まえた財政的・人的負担の大きさなどを総合的に考慮し ,当初の事業継続の目標でもある1 0 年の節目に当た り,事業の見直しが必要との結論に至りました。結果として,「JAZZARTせんがわ」を含むいくつかの事業につきまして,市として事業終了の判断をしたものであります。

意味不明なのは、事業見直しの際に考慮したという「舞台芸術を楽しむ市民の裾野の拡大や地域のにぎわいの創出という目的」である。十分その目的は果たしているのではないだろうか。

以前、友人と会話している時に「子ども(素人)にこそ(どのようなジャンルでも)本物を観せないといけない」という話題になったことがある。ローカルな催し物では、地域の人にとって”わかりやすい”企画を求められがちだ。そういう意味では、ジャズの中でもフリージャズや即興音楽は一般的な理解を得るのが難しいのかもしれない。しかし、「JAZZ ART せんがわ」出演者は国内外で活躍するトップクラスのミュージシャンだ。年に一度、そのようなミュージシャンが集合する環境に居るということ、有料のコンサートに足を運んだり、ワークショップに参加するのは敷居が高かったとしても、「公園イベント」などで直に子どもたちも含め住民が演奏に接する機会があるということは、長期的に考えれば地域の文化レベルを上げることに寄与していることになぜ気がつかないのだろう。「舞台芸術を楽しむ市民の裾野の拡大」ということは、ジャズでいうならばピアノ・トリオやカルテット、クインテット編成で既に価値観が定まったスタンダード・ジャズを聴かせるということだけとは限らない。さまざまな形態の創造活動に触れることで、特に子どもたちは思考の柔軟性や発想の豊かさを得られる。4月17日のイベントで藤原清登が語っていたが、「JAZZ ART せんがわ」が指向することは共生である。3人の個性の異なるプロデューサーが継続的にプログラミングしてきたこと然り。そしてまた、「共生」こそ、これからの時代を生きていくために必要なものではないだろうか。

また、「地域のにぎわいの創出」という点では、最初の頃こそ「CLUB JAZZ 屏風」の横を通り過ぎる住人から「これナニ?」「ヘンな人がヘンなことをやっている」という冷たい視線を感じたが、今では子ども連れの住人が周囲を取り囲んでいた。「公園イベント」で座りこんで見ていた観客の多くはミュージシャン目当ての音楽ファンというよりも通りすがりの人々である。同時開催されている「LAND FES」を取り込んだ街ぐるみのイベントといった趣が強くなってきたのがこの数年の傾向である。そしてまた、「JAZZ ART せんがわ」目的に足を運ぶ音楽ファンがいることは「地域のにぎわい」にも繋がる。

ただ、「劇場規模を踏まえた財政的・人的負担の大きさ」という点では、何かと緊縮財政が言われる昨今ゆえに地方自治体の財政面での厳しさもあるだろう。しかし、いったん「JAZZ ART せんがわ」の予算が削られた後も創意工夫で継続してきた努力は評価されて然るべきだ。海外のミュージシャンについては、渡航費は自国の文化財団などからサポートを得て来ているし、ギャラも海外の小規模なフェスティヴァルよりおそらく少ないだろう。それでも海外からミュージシャンを招聘できるのは、プロデューサー陣との長年に亘る信頼関係によるものであることもそうだが、「JAZZ ARTせんがわ」が国際的に評価されているからに他ならない。予算面では、他に助成金を申請するという方法だってあるし、人的リソースの問題にしてもマネージメントを再考することで解決策はある筈である。それこそお役所的な既成概念に捕らわれない発想の柔軟性が問われているのだ。

海外の例えばメールス・フェスティヴァルのような知名度の高いフェスティヴァルでもかつては毎年のように予算を巡って喧々諤々、今年は大丈夫かということがしばしば口の端に上った。メールスについて言えば「JAZZ ARTせんがわ」と対照的に連邦政府から向こう5年間に毎年もらえる予算が増額したためか、今年はミニ日本特集をやるのだと張り切っている。それを聞いた時、日本の文化行政の情けなさを感じた。どこも大変なことは確かである。ただ、ひとつだけ言えるのはフェスティヴァルの価値についての理解度が違うということだ。そこが一番残念なことである。

4月17日、開催が危機に瀕している「JAZZ ART せんがわ」の存続をアピールするライヴに出かけた。仙川駅を降りる時に、もし「JAZZ ART せんがわ」がなければ仙川に来ることはなかっただろうと思った。仙川が京王線の駅だという程度には知っていたが、どのような街なのか知ることもなかっただろう。やはり、私にとっての仙川の街は「JAZZ ART せんがわ」と結びついているのである。

やや話がそれるが、80年代半ば、私には行ってみたいヨーロッパのフェスティヴァルが3つあった。ジャズの最前線に直に接することの出来るフェスティヴァルといえばまず名前が挙がるドイツのメールス・フェスティヴァル、またスイスのジャズ・フェスティヴァル・ヴィリザウ、イタリアのピサで開催されていたインターナショナル・ジャズ・フェスティヴァルの3箇所。これらのフェスティヴァルを知ったのはLPを通じてであり、海外の雑誌等に掲載されていたフェスティヴァルの広告に興味をそそられたのである。しかし、ピサは観光地としても有名だったので地図帳にも載っているが、メールスもヴィリザウもどこにあるのか皆目わからなかった。それもその筈である。メールスは人口約10万人、デュッセルドルフの近くにあるので、東京23区外にある調布市仙川とロケーションはさして変わらないが、地図帳には載っていない。ヴィリザウに至っては、チューリッヒとベルンのほぼ中間に位置するが人口は8千人弱である。結局、行けたのメールスだけだったのだが、後にピサのフランチェスコ・マルティネリとはニューヨークで、ヴィリザウの主催者だったグラフィック・デザイナーとしても著名なニクラウス・トロックスラーとはベルリンで会っている。奇遇としかいえない。ピサのフェスティヴァルは長くは続かなかったが、メールスとヴィリザウのフェスティヴァルは今も続いている。

それはさておき、もしフェスティヴァルがなければメールスもヴィリザウもその名前すら一生知らなかったに違いない。これは他のジャンルでも同じだろう。現代美術展で有名なカッセルも人口約20万人、調布市よりも少ない。国際的なフェスティヴァルが開催されることは、その地域に住む人々以外の認知度も上がり、街の名声を高めることに繋がる。このことをよく理解していたのはメールス市だ。まだ20代のブーカルト・ヘネンが個人的に行ったフェスティヴァルに目をつけ、その独自のプログラムを評価し、バックアップしたのだから。Sengawaという名前が海外のミュージシャンの間で知られているのは、「JAZZ ART せんがわ」が国際的なイベントとして認知されているからに他ならず、仙川なり調布市の知名度を上げている。そういう意味では金銭に換算することこそ難しいが、PR面で寄与していることは評価されるべきだ。

2016年、調布市がカナダ・ケベック州と、映画産業の交流に加えて、文化・芸術などの文化的交流を視野に入れた包括連携についての共同宣言を行なった。これに伴い、一昨年ケベック州側から「JAZZ ART せんがわ」の名前が話題に出て、ヴィクトリアヴィルで開催されているFestival International de Musique Actuelle Victoriaville (FIMAV)の関係者が視察に来たことから、昨年(2018年)にFIMAVとの交換プログラムがスタートした。これは「JAZZ ART せんがわ」が評価されているからに他ならず、交流がスタートした翌年に事業中止というのは信じられないことでもある。ただ、ケベック州との交流の窓口は生活文化スポーツ部産業振興課商業観光係なのでなんらかの齟齬があるのかもしれない。私が巻上に話を聞いた時点では、FIMAV側には終了に関してなんの通知も来ていないという。

2011年に拙著『アヴァンギャルド・ジャズ〜ヨーロッパ・フリーの奇跡』(未知谷)を書いた時、第4章ジャズ祭の最後をこう締めくくった。

最後に東京でもささやかな動きがあることを記しておこう。2008年に巻上公一を音楽監督(*)にスタートした<ジャズアートせんがわ>だ。小規模なフェスティヴァルながらもローカルとの接点の中でそれを位置づけている。日本でもそのような動きが出てきたことは嬉しい。日本で助成金を得ることはなかなか大変であるが、ヨーロッパのミュージシャンや関係者も簡単にそれを獲得できるようになったわけではないのである。長い時間をかけて、自分達の音楽活動を広く認知させるために労力と時間をかけてきたのだ。
日本でもジャズアートせんがわのようなフェスティヴァルが続き、創造的な音楽シーンが活性化することを願いたい
(*正しくは総合プロデューサー)

「JAZZ ART せんがわ」存続に向けてJAZZ ART 実行委員会が立ち上がり、4月17日にイベントを行い、現在Web上で署名活動を行っている。10連休後に調布市に請願に行く予定とのこと。「JAZZ ART せんがわ」は仙川という街があってこそのイベントである。他の場所で再開したとしても全く別のイベントになるだろう。11年継続した「JAZZ ART せんがわ」がこのまま終了してしまうとしたら非常に残念である。ご賛同いただける方は下記URLにアクセスしてほしい。

署名サイト:  


JAZZ ART 存続宣言!スペシャルライブ

2019年4月17日 調布市せんがわ劇場

太平楽トリオ(四家卯大/田中邦和/佐藤直子)
川上未映子+坂本弘道
藤原清登+今村真一郎+特別ゲスト:坂田明
巻上公一+坂出雅海+三田超人
梅津和時+多田葉子
巻上公一+坂出雅海+三田超人+梅津和時+多田葉子

アフタートーク
「JAZZ ART せんがわの過去、現在、そして未来について」
巻上公一/坂本弘道/藤原清登/コーディネーター:横井一江

撮影:池田まさあき

スライドショーには JavaScript が必要です。

 

 

横井一江

横井一江 Kazue Yokoi 北海道帯広市生まれ。音楽専門誌等に執筆、 雑誌・CD等に写真を提供。ドイツ年協賛企画『伯林大都会-交響楽 都市は漂う~東京-ベルリン2005』、横浜開港150周年企画『横浜発-鏡像』(2009年)、A.v.シュリッペンバッハ・トリオ2018年日本ツアー招聘などにも携わる。フェリス女子学院大学音楽学部非常勤講師「音楽情報論」(2002年~2004年)。著書に『アヴァンギャルド・ジャズ―ヨーロッパ・フリーの軌跡』(未知谷)、共著に『音と耳から考える』(アルテスパブリッシング)他。メールス ・フェスティヴァル第50回記。本『(Re) Visiting Moers Festival』(Moers Kultur GmbH, 2021)にも寄稿。The Jazz Journalist Association会員。趣味は料理。当誌「副編集長」。 http://kazueyokoi.exblog.jp/

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