音の見える風景 Chapter 60「リチャード・デイヴィス」 

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photo&text by Yumi Mochizuki 望月由美
撮影:1999年11月16日 新宿シアターモリエールにて

 

新宿三丁目・大塚家具の隣、新宿ディスクユニオンや名曲喫茶「らんぶる」の向かいにある新宿シアターモリエールの最前列、テナーの朝顔がぶつかりそうなジェームス・カーター (reeds, 1969~50歳)、その後ろにリチャード・デイヴィス (b, 1930~ 88歳)、ピアノはジョン・ヒックス (p, 1941~2006 64歳没)、ドラムに中村達也 (ds, 1945~74歳)というものすごい顔ぶれは中村達也「ニューヨーク・ユニット」ジャパン・ツアーの一夜。
事前のインフォメーションが十分でなかったのかこの夜は最前列の中央の席がぽっかりとあいていた。

ジェームス・カーターの雷鳴のような爆音とみなぎる迫力に圧倒されたが、そのカーターの後ろで、まるで哲学者のような表情で弦を弾いていたのがリチャード・デイヴィスであった。
どっしりと椅子に腰かけて大きなベースを斜めに構えて弓を弾く。
ほとんどPAなしのベースの生音は柔らかく穏やかな空気をホールに漂わせる。そしてカーターの激しい轟音をスポンジケーキのようにふわっと包み込み吸収してサウンドのバランスをとる。
デイヴィスとカーターがからむシーンでは思わずデイヴィスとドルフィーのデュオがオーバーラップしてしまったことが記憶の片隅に残っている。

コンサートが終わって外へ出てひんやりとした夜風でライヴの熱を冷ましながら道路を横切り新宿の方向に歩き出すとすぐに電話ボックスが目に入る。
ボックスの中には人がいて電話機を片手にこちらを見てにっこり笑っている。
近寄ってみると、なんと手招きしている電話の主はリチャード・デイヴィスであった。
最前列に座っていたのでリチャード・デイヴィスも顔を覚えてくれていたのかもしれないがその人懐っこい笑顔がコンサートの楽しみを倍加してくれた。
リチャード・デイヴィスとジョン・ヒックスの二人はこのコンサートの翌日キングのスタジオで『The Bassist ~ Homage To Diversity』(1999, キング) を録音している。

リチャード・デイヴィスの存在に初めて心をとめたのはエリック・ドルフィー(reeds, 1928~1964 36歳没)とブッカー・リトル (tp, 1938~1961 23歳没) の双頭クインテットによる『エリック・ドルフィー・アット・ザ・ファイヴ・スポット』(1961, Prestige)<Fire Waltz>であった。
マル・ウオルドロン(p, 1925~2002 77歳没) のドロッと沈み込むようなピアノとエド・ブラックウェル(ds  1929~1992 62歳没) のハイハットが刻む3拍子のリズムをリチャード・デイヴィスのベースがビシッとしめてドルフィーとリトルに自由なソロ空間を与えているところがとても印象的で、このアルバムからリチャード・デイヴィスを意識して聴くようになったと記憶している。

リチャード・デイヴィスとエリック・ドルフィーは以降しばしば演奏の機会を持ち『アウト・トゥ・ランチ』(1964, Blue Note) など何作かで共演しているが極めつけはドルフィーの『Conversations』(1963, FM) での二人のデュオ<Alone Together>で、デイヴィスのアルコとピチカートにのってドルフィーのバスクラが深い余韻を感じさせるところが圧巻である。

リチャード・デイヴィスが大きく評価されポピュラーになったのがエルヴィン・ジョーンズ (ds, 1927~2004 76歳没)との『HEAVY SOUNDS』(1967, impulse!) での、二人のデュオ<サマータイム>。
エルヴィンのマレットの連打に誘われるようにデイヴィスが弓でガーシュインのメロデイーを弾き荘厳な空間を広げる。
テーマが終わるとピチカートで艶のある倍音を響かせて緊迫したソロを繰り広げる。
そして、満を持したようにエルヴィンがマレットのソロを展開しそのエルヴィンの熱い炎をうけてデイヴィスがさらにアルコでその炎を燃焼する。
コントラバスの限界を超えるような高い音を駆使してのソロはデイヴィスの真骨頂である。
エルヴィン・ジョーンズとリチャード・デイヴィスは後年アート・ペッパーが入った『エルヴィン・ジョーンズ /ヴェリー・レアー』(1979, トリオ) でもデュオを1曲演奏しているが、エグセクティヴ・プロデューサーはJazzTokyoの稲岡編集長そして原田和男さんのお二人である。

インパルスでのエルヴィンとデイヴィスの共演作『DEAR JOHN C. / ELVIN JONES』と『HEAVY SOUNDS』のプロデュースはボブ・シールが行った。
ボブ・シール (1922 ~1996 73歳没) は1961年にクリード・テイラー(pd,1929~88歳)がCTI設立のためにインパルスを退いたあとを引き継ぎRVGことルディ・ヴァン・ゲルダー (eng, 1924~2016 91歳没)とタッグを組んでジョン・コルトレーン(sax, 1926~1967, 40歳没) やアーチー・シェップ (sax, 1937~81歳)、アルバート・アイラー (sax, 1930~1970、34歳没) など多くの話題作を創ってきた名プロデューサーであるがサッチモ、ルイ・アームストロング (tp, 1901~1971 69歳没) の『この素晴らしき世界』(1968, MCA) をプロデュースし大ヒットさせたことでも知られている。

そのボブ・シールは1968年にレーベル「フライング・ダッチマン」を立ち上げガトー・バルビエリ(sax)、やオーネット・コールマン(sax)、ラリー・コリエル(g)、オリバー・ネルソン(sax)、レオン・トーマス(vo)などの話題作を制作している。
そのボブがプロデュースした『ソング・フォー・ウーンデッド・ニー』(1973 release, Flying Dutchman)はリチャード・デイヴィス(b)とジョー・ベック(g, 1945~2008 62歳没) そしてジャック・ディジョネット (ds, 1942~76歳) というトリオをベースに、曲によってはデイヴィスとジョー・ベック、デイヴィスとディジョネットのデュオが行われている。ライナーノーツを書いたナット・ヘントフ (1925~2017, 91歳没) はこのアルバムはすべて即興で行われたものである、と述べている通り最初から最後までフリーでかなり刺激的な展開が続くので聴くほうもながら聴きなどはできず真正面から音と向き合うことになり、半世紀前の作品とは思えない新しい発見がある不思議な存在感のあるアルバムである。

リチャード・デイヴィスは1930年シカゴに生まれる。
子供の頃は兄弟3人でヴォーカル・トリオをつくり唄っていたそうである。
ハイスクールに進んでベースを始め、ヴァイオリニストで音楽教育者として高名なウォルター・ディエットに音楽理論を学ぶ。
ウォルター・ディエットは多くのシカゴ出身のミュージシャンを指導しており、ジョセフ・ジャーマン (reeds, 1937~2019 81歳没)もその一人であった。

デイヴィスは「シカゴ・ユース・シンフォニー・オーケストラ」に加わり1947年の11月にシカゴのオーケストラ・ホールでその初演を行っている。
ハイスクールを卒業したあとバンダークック・カレッジ・オブ・ミュージックに進みシカゴ交響楽団の奏者からベースを学ぶ。
カレッジを卒業したあとダンス・バンドでプレイしたりしていたがその後ドン・シャーリー(p, 1927~2013 86歳没) のトリオに加わり、1954年にドン・シャーリーと共にニューヨークに進出し56年までドンと行を共にする。

1957年にサラ・ヴォーン (vo, 1924~1990 66歳没) のリズム・セクションの一員となり1960年まで在籍しサラを支える。
サラ・ヴォーンとのセッションはシカゴのクラヴ「ミスター・ケリーズ」での『アット・ミスター・ケリーズ』(1957, Mercury)と同じくシカゴのクラヴ「ザ・ロンドン・ハウス」での『アフター・アワーズ・アット・ザ・ロンドン・ハウス』(1958, Mercury) がリリースされているが個人的にはサラとロイ・ヘインズ(ds)そしてデイヴィスとの粋なやりとりが入った「ロンドン・ハウス」をターンテーブルにのせることが多い。

1960年以降はエリック・ドルフィーとのセッションを含めてメインストリームからフリーまで数え切れないほどのセッションに参加しているが、やはりデイヴィスの何にでも対応できる美しい音とパーソナリティーによるものと思われる。

ローランド・カーク (reeds, 1935~1977 42歳没)との共演も多く、なかでも『リップ・リグ・アンド・パニック』(1965, LIMELIGHT) はカーク、エルヴィンとジャッキー・バイアード(p, 1922~1999 76歳没) という個性のかたまりの中で要所要所のポイントをおさえるデイヴィスによってジャズの王道を歩むメインストリーマーとしての資質をカークから引き出しカークを際物的にとらえている人たちをも納得させる作品を創り上げたのである。

またシカゴ時代の同胞、アンドリュー・ヒル (p, 1931~2007 75歳没) との共演の機会も多く『ブラック・ファイアー』(1963, Blue Note) ではロイ・ヘインズ(ds)と共にジョー・ヘンダーソン (ts, 1937~2001 64歳没) をいつになく過激なプレイへと駆り立てている。

またこの頃、ロン・カーター(b)のトラとしてなんどかマイルス・デイヴィス(tp)のグループでツアーをしていて1966年の “Portland State College Jazz Festival” の模様はブートで出ているらしい、メンバーはマイルス、ショーター、ハンコック、デイヴィス、そしてトニーのクインテット。

その翌年の1968年7月、たぶん「木馬」の帰りだったと思うが新宿の街のあちらこちらに「サド&メル紀伊国屋ホール出演」の看板が立てられているのを目にしてびっくりし半信半疑でピットインに行ってみるとやはりこれは本当の話だった。
1968年の7月11日の夜、サド・ジョーンズ & メル・ルイス・オーケストラ一行総勢27人が羽田空港に降り立った。
エルヴィン夫人が計画しての来日であったが困ったことにピットイン以外のブッキングは何もとれていない状況の中での来日であったという。
たまたまピットインでその話を聞きつけたシャープス & フラッツのリーダー原信夫(ts, 1926~92歳) の骨折りで紀伊国屋ホールや都市センター・ホールでの公演が実現したのだそうである。
この辺の事情は相倉久人さん(1931~2015 83歳没)の「至高の日本ジャズ全史」(集英社新書)に詳細に記されている。
紀伊国屋ホールのステージにはサド & メル以下ボブ・ブルックマイヤー(btb)にジミー・ネッパー(tb)、ジェリー・ダジオン(sax)、ペッパー・アダムス(bs)、ローランド・ハナ(p)等がいたがなぜかベースは稲葉国光さんであった。当夜はリチャード・デイヴィスのトラで稲葉さんがステージを務めていたのである。
とにかくステージ狭しと動きまわり、全身で指揮をするサド・ジョーンズに応えてサド&メルは全員が燃えに燃えた。
こうした和気あいあい、チームワークの取れたバンドは見ても聴いても楽しい、しかもソロは超一流となればなおさら気分は高調する。
当時とほぼ同じメンバーでNYのヴィレッジ・ヴァンガードで収録された『Live AT THE VILLAGE VANGUARD』(1967, Solid State)と『MONDAY NIGHT』(1968, Solid State) の2枚が当時を思い出させてくれる。

1969年、シカゴ出身のクリフォード・ジョーダン (ts, 1931~1993 61歳没)の『クリフォード・ジョーダン・イン・ザ・ワールド』(1969, STRATA-EAST)ではウィルバー・ウエア(b)とリチャード・デイヴィス(b)のツイン・ベースで黒く燃えるようなリズムを生み出しドン・チェリー(tp)やケニー・ドーハム(tp)などのフロント陣に刺激を与えている。

リチャード・デイヴィスはジャズだけでなくクラシックにも精通しており、イゴール・ストラヴィンスキー、レナード・バーンスタイン、ピエール・ブーレーズ、レオポルド・ストコフスキーそしてガンサー・シュラー等と共演をしている。
その一方でアーチー・シェップ(ts)やロスコー・ミッチェル(reeds)からローラ・ニーロ(vo, 1947~1997  49歳没)、ブルース・スプリングスティーン(vo, 1949~ 69歳)等とも共演するというなんとも幅の広いキャリアの持ち主である。

デイヴィスは1977年にニューヨークからウィスコンシンに移り住みマディソン大学の教授としてベースとジャズの歴史そして即興などを教えていてデイヴィスの指導を受けていた一人にウイリアム・パーカー(b)がいる。
こうした多方面にわたる活躍が評価され2014年にはNEAのジャズマスターに選出されている。

リチャード・デイヴィスのもう一つの功績は「Richard Davis Foundation for Young Bassists Inc.」を創設し後進の育成にも力を入れ、3歳から18歳までの若者で有能なベース奏者のサポートに力を入れていることがあげられる。

リチャード・デイヴィスは自叙伝に取り組んでいるということである。
ジャズの枠にとどまらないデイヴィスの多彩なキャリアがどのような形で描かれるのか興味深い。

望月由美

望月由美

望月由美 Yumi Mochizuki FM番組の企画・構成・DJと並行し1988年までスイングジャーナル誌、ジャズ・ワールド誌などにレギュラー執筆。 フォトグラファー、音楽プロデューサー。自己のレーベル「Yumi's Alley」主宰。『渋谷 毅/エッセンシャル・エリントン』でSJ誌のジャズ・ディスク大賞<日本ジャズ賞>受賞。

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