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Monthly EditorialEinen Moment bitte! 横井一江特集『配信演奏とポスト・コロナ』No. 267

#19 音楽活動の現場は変わり得るのか?

text and photo by Kazue Yokoi  横井一江

 

緊急事態宣言が解除されてから早一ヶ月経とうとしている。政府や行政は再び経済を回そうとしているが、新型コロナウイルスによる影響で私たちの生活は深く傷ついたたままである。感染拡大はいったんは収まるかのように思えたものの、経済活動が再開したこともあってか、東京では再び感染者数が増え続けている。現実世界においてはコロナ禍がまだまだ続いていると言っていい。

コロナの影響で、あらゆるイベントが中止になったのと対照的に盛んになったのはストリーミングだ。それは、音楽、映画、ゲーム、討論会、講演会などあらゆるジャンルに亘っている。音楽界でもそれは顕著で、無数の無観客ライヴストリーミング、VOD(ヴィデオ・オン・デマンド)、アーカイヴ映像がネット上に溢れている。それはライヴ/コンサート活動が出来なくなってしまった音楽家や音楽業界がそこに活路、いや希望を見出そうとして動いた結果である。最初は機会があれば閲覧していたものの、正直に言うとその多さにさすがにあっという間にお腹いっぱいになってしまったくらいだ。

観客を入れてのライヴ/コンサートが出来ないのなら、無観客ライヴストリーミングをしようという発想が出てくることは容易に想像が出来た。なぜならば、私の個人的なストリーミング体験は、20年ぐらい前にインターネットを通じて海外のラジオ放送でのコンサート中継を含めた音楽番組を聴くことから始まったからである。最初はラジオだけだったが、動画でコンサートやフェスティヴァルの中継も見られるようになり、今ではarteのようにインターネットで多くの番組を観ることができる仏独公共放送もあるくらいだ。加えて、YouTubeで代表されるように素人でもチャンネルを持って動画配信が出来るようになって久しい。コロナ下で音楽活動ができなくなったり、活動の制限がかかってしまったことで、ミュージシャンの多くは空いた時間が増えた。また、商機とばかりに課金サービスなどを始める会社も出てきた。DIY精神で無観客ライヴストリーミングに参入しようとする者が増えたことは自然な流れだったと言っていい。ストリーミングということでいえば、既にフィジカルな音盤(CD、LP)からサブスクリプション方式による聴取への移行は進行している。マニアやコアなファンはまだまだフィジカルなCD やLPを好むし、自主制作盤などではそれしかなかったりする。だが、一般的には(特に若い世代は)iTune MusicやSpotifyを始めとするサブスクリプション・サービスで聴くのが普通になっているのである。もはやCDプレーヤーもDVDプレイヤーも過去のものになりつつあるのだ。

しかし、伝達するメディアがどうであれ、実演なくして音楽は生まれない。それは楽器演奏のみによるものか、コンピューター・テクノロジーを用いた演奏かを問わない。中には楽譜を読むことを楽しむという能力を持つ人もいないではないがそれは例外としておく。演奏には、聴衆を入れてのライヴやコンサートと、アルバム制作のための録音と2つに大別できるだろう。その他にもテレビや映画、CFのための録音録画もある。本誌で取り上げるようなジャズ・ミュージシャンや即興演奏家にとって、主要な演奏の場はライヴ会場である。音楽が形成されるのも、新たなプロジェクトが試されるのもライヴにおいてだ。そこには聴衆の存在が不可欠である。演奏者のテンションも聴衆の反応、声を出す出さない、直接的なアクションだけではなく、空気感によって左右される。人数は関係なく、聴衆不在の「ライヴ」などこれまであり得なかったのだ。

では、無観客ライヴストリーミングをどう捉えたらよいのだろう。これは果たして「ライヴ」なのか、配信のための「ビデオ撮影」あるいはリハーサルとどう違うのか。あえて無観客状態でライヴを行って、それを同時配信する意味はあるのか、録画を編集した映像を配信するのではダメなのか等々、演奏の良し悪しとは別に違和感と疑問がどうしてもつきまとってしまうのである。コロナ禍はライヴ=聴衆の前での演奏という固定概念さえも覆してしまったのかもしれない。それは演奏家と聴衆の関係性を問い直している。無観客ライヴストリーミングにおいて視聴者は、これまでのコンサート中継と同様に時間を共有できるのものの、同じ空間を共有している聴衆は誰もいない。演奏家にとって聴衆とはどのような存在なのか、目撃者なのか共犯者なのか、それともただの消費者なのか、果たして音楽創造の現場に聴衆=他者は必要なのかという疑問さえ湧いてくるのだ。

確かに「中継」ということでは、過去にラジオによるライヴ中継によって広まった音楽があった。1930年代スウィングが大衆的な人気を得たのはラジオ中継によるところが大きい。「中継」が有用な伝達手段となることを我々は暫く忘れていた気がする。ラジオ放送は始まったのは1920年代だが、ラジオが普及したのは大恐慌の時代である。なぜなら、ニュースを読むために新聞を買ったり、音楽を聴くのにレコードを買うのにはお金が必要だが、ラジオを聴くのはタダだからだ。それは革命的な装置だったに違いない。何しろ報道、娯楽を問わず様々な出来事をラジオを通して聴くこと出来るようになったのだから。コロナ下において足下に大不況がひたひたと忍び寄ってきている昨今、何かにつけて様々なチャンネルでストリーミング動画が配信されるのを見るにつけ、草創期のラジオが果たした革新的な役割がオーバーラップして見えたのは偶然ではないだろう。しかし、ネットワーク配信は企業から個人まで誰でも参入できるが、ラジオ放送は規制があり、1930年代のアメリカはNBCとCBSの二大ネットワークの時代だったという大きな違いがあることも確かだ。

幸いなことに日本ではライブハウスの営業が再開できるようになった。とは言っても、業界のガイドラインに沿った感染対策、人数制限などかつての営業状態とはほど遠い状況だ。これで果たして採算がとれるのだろうかと思っていたら、やはり閉店するお店が出てきている。中には、秋葉原クラブグッドマンのように、母体となる会社(グッドマンの場合は池部楽器店)が事業継続は難しいと判断するというケースもあった。ソーシャルディスタンスを保つために入場者数を制限せざる得ないということは収入が減るということである。だが、経費は以前と変わらないどころか、コロナ対策で寧ろ増えているのではないだろうか。もっとも私が行くようなライヴでは常にぎゅうぎゅう詰めの満員御礼ということはあまりないので(そうであれば嬉しいのだが…)、心配しすぎかなとも思うものの、経営面では厳しいだろうなとつい考えてしまうのだ。演奏時における飛沫の飛散がどうであるかということについては、ヤマハが実験を行い「楽器演奏による飛沫の飛散距離と左右への広がりにおいては、くしゃみ、発声と同等以下」であるとの結果を動画と共に発表している(→リンク)。普通に小編成のバンドが今までどおりにライヴ会場で演奏するのはまず問題ないだろう。だが、大編成のバンドは、コロナが落ち着くまではよほど広いヴェニューではない限りライヴを行なうことは難しいといえる。コンサートにしても、スカスカな状態で演奏している関西フィルハーモニー管弦楽団の写真をニュースで見かけたが、ソーシャルディスタンスに過剰に気を遣えば音楽自体も変わりかねないなと思った。

ライヴの現場がコロナ以前に戻るにはまだまだ時間がかかるだろう。もしかすると戻れないかもしれないし、暫くはこのような状態が続くかもしれない。ライヴストリーミングやオンライン上での音楽活動の試行錯誤はこれからも続くといえる。ヤマハはSYNCROOMというネットワーク上の音の遅れによるストレスを減らした演奏アプリを公開した(→リンク)。だが、私個人的には演奏はやはりリアルがいいし、家で聴くのならば作品として制作されたアルバムがいい。実演の代替としてのオンライン・セッションよりも、オンラインで現代のテクノロジーだから制作出来る音楽、あるいはバーチャル空間でしか出来ないミクスト・メディア的なものを含めた新たな試みが行われることを期待してしまうのだ。ヒロ・ホンシュクが本号の楽曲解説で取り上げた #IHarmU というプロジェクトを行ったジェイコブ・コリアーのような若い逸材が他にもどこかにいるに違いない、と(→リンク)。

 

横井一江

横井一江 Kazue Yokoi 北海道帯広市生まれ。音楽専門誌等に執筆、 雑誌・CD等に写真を提供。ドイツ年協賛企画『伯林大都会-交響楽 都市は漂う~東京-ベルリン2005』、横浜開港150周年企画『横浜発-鏡像』(2009年)、A.v.シュリッペンバッハ・トリオ2018年日本ツアー招聘などにも携わる。フェリス女子学院大学音楽学部非常勤講師「音楽情報論」(2002年~2004年)。著書に『アヴァンギャルド・ジャズ―ヨーロッパ・フリーの軌跡』(未知谷)、共著に『音と耳から考える』(アルテスパブリッシング)他。メールス ・フェスティヴァル第50回記。本『(Re) Visiting Moers Festival』(Moers Kultur GmbH, 2021)にも寄稿。The Jazz Journalist Association会員。趣味は料理。当誌「副編集長」。 http://kazueyokoi.exblog.jp/

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